二柱の魔神
その女神像の間は、二百メートルトラックのある運動場くらいの広さだろうか? これまで入ったことのある女神像の間より少し広く感じた。
違うのはそれだけでない。
本来この部屋の中にあるとされていた、ミネルヴァの女神像そのものが存在しなかった。
これでは、女神像の間と呼ぶべきではないのかもしれない。
いや、呼称でいうのなら、ミネルヴァが魔神となった時点で、ここは女神像の間ではなく魔神像の間だったのかもしれないな。
魔神像の間ってどんな邪教崇拝者が儀式を行う場所だよって思わずツッコミを入れたくなる。
しかし、仮に魔神を神とあがめる崇拝者がいるとしたら、おそらくこの部屋はどこよりも神聖な場所になるのだろうな。
なにしろ、ここにはメティアス、ミネルヴァの二柱の魔神と、テト様という魔神になりかけている女神様が揃っているのだから。
「よく来ましたね、イチノジョウ、ハルワタート、ミリュウ。歓迎しましょう」
魔神メティアスが俺に声をかけた。
「お願いです、メティアス様。テト様を解放し、この世界の人々を殺すなんてことは辞めてください」
「あなたは話し合いのためにここに来たのですか? それとも、戦いに来たのですか?」
「どちらでもありません。あなたを止めるためにここに来ました。そのために、俺はあなたたちに勝ちます」
「あら、スケ君。さっきの攻撃魔法で私たちに傷ひとつ付けられなかったのに、勝つ算段はあるの?」
ミネルヴァが笑って言った。
確かに、今の状態だと俺がミネルヴァ様やメティアス様に勝つことはできそうにない。
魔力増幅をした、ブースト世界の始動を使えばどうかはわからないが、少なくともそんな威力の魔法を打ち込めば、迷宮どころか周辺の大地がグチャグチャになる。
だが、俺にはミリから教わり、習得したスキルがある。
『本当はロンギヌスの槍を使えれば神に対してダメージを与えることができるんだけど、そんな伝説の武器、どこにあるのかもわからないしね。そこで、魔王のスキルなんだけど。おにい、魔王の伝承って世界中にあるんだけど、その中でも有名な魔王は二体。一体はベルゼブル。そして、もう一体はルシファー』
『ああ、名前くらい聞いたことがあるな。よくゲームにも出てくる。確か、ベルゼブルは蠅の王で、ルシファーは堕天使だったよな?』
『そう、ルシファーは堕天使。本来、神によって創造された天使が神に逆らうなんてことはあってはならない。魔王には、世界で唯一、神に対して反逆するためのスキルがあるの。ルシファーと同一とされる悪魔の名前のスキル。その名前は――』
「《神の敵対者》」
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神の敵対者:補助スキル【魔王レベル300】
神と名の付く相手とその能力に対し、与える攻撃のダメージを上昇させる。
ただし、対価として最大MPの八割が消費される。
効果は一時間持続し、一時間が経過すると、二十三時間スキルが使えなくなる。
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失われたMPによる倦怠感が激しい。
だが、決して動けないわけではない。
魔王のレベルが300になった現在、MPは約二万。
世界の始動によるMP消費は約千八百。神の敵対者の使用によるMPの消費は約一万六千。つまり、あと二千二百くらいMPが残っている計算になる。
この状態では、もうブースト世界の始動を打つ力は残っていない。
「魔王結界!」
ミリが部屋全体に結界を張り巡らせた。
この状態で魔神たちに逃げられ、神の敵対者の効果が切れたときに襲われたら対処できなくなってしまう。
ここで勝負を決めるしか俺たちには勝ち筋が残されていない。
「魔神たちの防御結界は俺が潰す。ハルとミリはその隙に牽制を頼む」
魔神の力は絶対ではない。
ハルも俺の眷属としてステータスが上がっているし、ミリにもなにか秘策があるという。
勝てない敵じゃない。
「神の敵対者。その力を用意していることは想定済みです。ですが、あなたたちも理解しているはず、地球の伝承においても魔王サタンは神には勝てなかったと」
メティアス様の前に、黒く染まった槍が現れる。
セトランス様が使っていた炎の槍に似ている。
そして、ミネルヴァ様の前には一本の杖が現れた。
「メティアス様こそ知らないんですか? 最近のゲームだと、魔王が神を倒すことだってあるんですよ!」
俺は白狼牙を抜き、前に出た。
これでも戦いの経験は積んできたつもりだが、戦闘技術は勇者にもハルにも及ばない。下手な小細工は通用しないだろう。
ならば、ステータスで押し切るしかない。
俺が一気に距離を詰めると、メティアス様の前に薄いガラスのような結界が現れた。
だが、見た目に騙されてはいけない。
俺の世界の始動をも防ぐ結界だ。
それがわかっているから、俺は全力で叩ける。
カンっ!
硬い音が響いた。
結界にわずかに罅が入るが、破壊されるまでには至っていない。
そして、その罅もすぐに修復された。
「嘘っ……」
これでもまだ俺の力はまだ魔神に届かないというのか。
結界の向こうから、メティアスが闇の矢を放ち、俺の腹に刺さった。
「がはっ」
なんて威力だ、勇者の蹴りが可愛く思えてくる。
「ご主人様っ!」
「おにいっ!」
ハルとミリが声を上げた。
「……大丈夫だ!」
俺は腹に刺さった矢を手で掴む。
手が焼けるように痛いが、しかしそれを無理やり抜いて、メティアスたちに投げた。
しかし、その攻撃も結界に阻まれる。
魔神の放った矢なら結界を抜けられるのかと思ったが、そうではないらしい。
外側からの攻撃を防ぐのか、それとも俺の攻撃を防ぐのかはわからないが、やはり結界を壊すしか勝機がないということだ。
「諦めたらどうですか? イチノジョウさん。あなたたちの実力があれば、簡単に死ぬことはないでしょうがこのまま戦い続けたらそうも言っていられません。ここで命を落とす必要はありません。逃げるというのなら、どうぞご自由に逃げてください」
「そうよ、スケ君。あなたが死にたいというのなら止めはしないけど、死にたがりは私の専売特許だから、真似しないでほしいわね」
ミネルヴァが言った。
あぁ、そうだよな。
魔王結界で逃げることができないのは、ミネルヴァとメティアスだけ。
俺は逃げられるんだよな。
「ヒール」
腹に回復魔法をかけて俺は前を見る。
だけど、ここで逃げたら、キャロや真里菜、ハル、ミリ、みんなの頑張りが全部無駄になる。
「まだやる気? さっきの世界の始動を使ってみる? あの魔法なら、神の敵対者の力を使っているあなたが使えば、結界を破れるかもしれないわよ」
メティアスがわざわざ助言を送る。
確かにその通りかもしれないが、しかしここで引くわけにはいかない。
「甘く見ないでくださいよ。俺も、俺のこの刀のことも」
俺はそう言って白狼牙に声をかける。
「白狼牙、お前の力はそんなもんじゃないだろっ!」
「根性論? そんなもの、私の結界には――」
「瞬殺っ!」
辻斬り犯のスキル、一秒間限定、速度を倍に、相手へのダメージを三倍にするスキルを使った。
白狼牙と結界が衝突する。
それはまさに一瞬の出来事だった。
結界が音を立てて割れたのだ。
「ミリ、テト様を!」
「《転移》」
俺が結界を破壊するのを待っていたミリが一瞬にして割れた結界の向こう側にいたテト様の前に転移した。
《転移》だけなら結界が割れる前でもできただろうが、《転移》の連続使用ができない以上、一度結界を破壊する必要があった。
ミリの接近に気付いたミネルヴァが、その杖をミリに向けるが、最速の白狼族であるハルがふたりの間に割って入れないわけがなかった。
ミリはその間に、魔法を使う。
「暗殺者の操り人形」
他者を意のままに操る闇魔法。
本来は魔防値の高い相手――女神や魔神などは操ることができないこの魔法も、気絶しているテト様になら効果があった。
彼女は意識を失ったまま立ち上がると、ミリを抱え上げて跳躍した。
その速度はさすが魔神――一瞬にしてこちら側に来る。
「テト様の奪還は成功したわ! おにい、もう大丈夫!」
「了解っ!」
俺は王笏を構える。
「待って、スケ君。そこで使えばハルちゃんも巻き込まれて――」
ミネルヴァはそう言って気付いたようだ。
いつの間にかハルの前に、マイワールドへの扉が開いていることに。
ハルはその中に飛び込んだ。
だが、ミネルヴァは入れない。
魔王からは逃げられないから。
マイワールドへの扉が閉まったことを確認し、
「世界の始動っ!」
俺は魔法を唱えた。
巨大な振動とともに、二柱の魔神を飲み込んだ。
「やった……か」




