勇者と魔王
俺、ハル、ミリの三人は、真っすぐ最下層である第十五階層に向かった。
最下層に現れるゴリラのような魔物を一刀両断し、俺はボスの間に続く扉の手前に来た。強い気配を感じる。
「ハル、ミリ、警戒してくれ」
そこに、ひとりの鬼族の男がいた。
ここにいるということはこいつが魔王の本当の姿なのか?
とてもガタイのいい男で、以前に出会ったツァオバールの国王の姿とは全然違う。
確認するために俺は男の職業を調べ――そして気付いた。
職業が調べられないことに。
「ご主人様――あの魔王は――」
「ああ……言われなくてもわかっている」
魔王はもう死んでいる。
ラスボス戦に挑むつもりでいたら、魔王が死んでいた。
普通なら、肩透かし過ぎる展開だが、そうは思わない。
なぜなら、この場に魔王をも超える敵がいることを示していたのだから。
「そこにいるんだろ、出て来いよ、勇者様」
俺が言うと、魔王の影から黒髪の二十代後半の男――勇者アレッシオが現れた。
鬼族の巨漢と比べると見た目は普通――だが、その力はとんでもない物を感じる。
「やぁ、待ちくたびれたよ。本来、待つのは勇者ではなく魔王の役目なんだけどね」
「待ちくたびれたからって、わざわざ魔王を倒してくれたのか? 仲間だったんだろ?」
「勇者と魔王が仲間なんて、世界はそんないかさまを許さない。前に教えたはずだけどね」
アレッシオはそう言って笑った。
「そもそも、魔神と魔王、そして俺の願いはそれぞれ微妙に異なるんだよね」
「確か、ライブラ様が言っていたな。勇者と魔王、メティアス様の復活という同じ目的のためにふたりは手を組むことにしたって」
その詳細については教えてもらえなかったが。
「魔神の目的はもうわかっているよね? この世界に必ず訪れるという災厄に対抗するため、それから人々を救うためにこの地に住むすべての人間の魂を地球に送る。イチノジョウくんの世界に伝わるノアの箱舟も真っ青の壮大な計画さ」
ノアの箱舟については、魔神たちから聞いたのか、それともダイジロウさんから聞いたのかはわからない。
アレッシオはそう言って、次に、鬼族の男を見た。
「この魔王の目的は、この世界を元の状態に戻すこと」
「元の状態に?」
元って、魔神のいない世界が元の世界じゃないのか?
「イチノジョウ君、不思議に思わないかい? 僕たち人間は様々な職業を持ち、その職業に応じてステータスが割り当てられる。種族に応じて少しは基礎能力が異なったり、専用職業があったりするけれど、言ってみればそれだけだ。レベル1の見習い剣士はどんなに頑張ってもレベル40の剣聖に勝てないし、レベル10の見習い魔術師の放ったプチファイヤとレベル10の魔術師の放ったプチファイヤが衝突すれば、レベル10の魔術師の放ったプチファイヤが勝つ。君のような例外を除けば、誰が魔物を倒しても経験値は等しく与えられる。まるで、世界を平等にしようとしているような、すべての種族を平等にしようとしているような、そんな優しい世界だ。だが、それは持たざる者には救いであっても、持つ者にとっては絶望でしかない。女神たちがこの世界を管理するようになるまで、この世界は鬼族の楽園だったのさ。本来、職業なんてものがなかったら、彼らのステータスは僕たち人間族の何十倍もあったんだから。それこそ、犬、猿、雉を連れたモモタローが数十人がかりで戦って、ようやくひとりの鬼族を倒せるほどにね。それが、世界に職業ができたおかげで、世界の人々の能力が引き上げられ、彼らは落ちたのさ。それをよく思っていない彼らは、女神と敵対する道を選んだ」
長々と魔王について語る勇者の話を聞いて、俺は魔王とまでなった男の亡骸を見た。
果たして、女神がこの世界を管理する前というのは何年前のことなのだろうか?
少なくとも、千二百年前、ミリの前世であるかぐやがこの世界に転移したときには女神はいた。
「この魔王は、鬼族は、恨みを忘れずに女神と敵対を続けたというのか」
「そうだね。そして、女神がすべて滅びれば、世界から職業なんてシステムがなくなることを信じていたみたいだよ。女神がこの世界からいなくなったらどうなるかなんて、女神たち本人ですらもわからないというのにね」
アレッシオはそう言って、どこか呆れたように苦笑を浮かべた。
そうだ、女神様もまた、この世界のシステムの一部。
メティアス様は無職スキルに細工を加えたそうだが、しかし女神様が職業のすべてを弄れるということはないはずだ。
それが可能だというのなら、勇者が敵だと認識したとき、その職業とスキルを奪っているはずだし、そもそも、魔王のスキルのように女神や魔神に対抗するようなスキルを用意したりはしないだろう。
「じゃあ、お前の目的はなんなんだ? 魔神とも違うんだよな?」
「俺の目的はただひとつ、俺が勇者であり続けること、ただそれだけだ」
アレッシオは語った。
「勇者ってね、そのスキルに『人類の希望』っていうものがあるんだけど、このスキルの効果がとても面白くてね、人々の勇者への強い想いとか願いとかそういう思念に応じて、ステータスが上昇するんだよ。それこそ、悪しき魔王軍に勝つためにって全世界の大半の人が僕に希望を託してくれたときは、HPとか一万を超えていたんだよ。それでも魔王は強かったけどさ。それが、平和になったとたん、僕のステータスは大幅に減少してね、悲しかったな。あれだけみんな俺のことを希望だのなんだの言ってくれたのに、世界が平和になったとたんにこれだもん。教会も僕を軟禁状態にしてさ。だから思ったんだ。世界が混乱状態にないと勇者は必要じゃないんだって。世界中の迷宮から魔物が溢れたいま、世界は僕を望んでいる」
勇者の力が膨れ上がる。
やる気のようだ。
「そうだ、戦う前に言っておくことがある」
「なんだ?」
俺も白狼牙を抜いた。
ハルとミリも戦いの態勢を整える。
「僕は日本人だ」
「――っ⁉」
「ただし、遺伝子的にはというだけ。正確には、勇者としての天恵を授かった人間の遺伝子を元に作られた、勇者のクローンの一体に過ぎない。それでも、勇者であり、転移者であることには変わらない。僕にもあったのさ、世界という名の独楽に少しだけ細工をする力がさ。もしかしたら僕が魔神と戦うことになっていたのかもね」
「世界にもしかしたらなんてねぇよ。いいからそこをどけ。勇者に代わって俺が世界を救ってやるよ」
「あはは、ダメダメ、このボス扉は細工されていてね、僕を殺さなければ開かないんだ。だから――」
勇者の気が膨れ上がったと思うと、
「ここを通りたければ俺を倒していけ、ヒャッハーっ!」
突然、大声を上げたかと思うと、テンション爆上げで俺に突撃してきた。
これが勇者の戦い方かっ⁉
剣と剣がぶつかる。
重いっ!
今の俺の物攻は4000を超えているのに、なんで簡単にはじけないんだ。
「こなくそっ!」
俺は力尽くで剣を押し返そうとしたその時――みぞおちに痛みが走る。
剣で鍔迫り合いをしているときに蹴りを食らわせてきた。
普通、そんな状態で蹴りなんてしようものなら、バランスを崩すぞ。
「え? ウソ、あまり効いてない? パラライソードを加えた蹴りなんだけど」
アレッシオがとんでもないことを言ってきた。
俺が蹴りでスラッシュを放てるように、こいつも剣だけでなく蹴りでパラライソードを放てるのか。
魔王のレベルを上げて状態異常に対して耐性を持っていなかったらやばかった。
「悪いな、こっちも鍛えてるんだよ」
俺はアレッシオの真似をして蹴りを繰り出そうとするが、簡単によけられた。
成長チートでステータスを爆上げしているとはいえ、戦闘技能だけなら勇者のほうが上だ。
「ご主人様、助太刀しま――」
ハルが参戦しようとしたとき――彼女に一つの影が迫ったと思うと、剣と剣がぶつかる音が聞こえた。
タルウィの剣とハルの剣が激突したのだ。
「下がれ、お前では私の敵にはならん」
「それはどうでしょうか――火竜の牙剣っ!」
ハルの剣から炎が噴き出し、タルウィを襲う。
だが、彼女はその炎を軽く躱したが――その逃げた先にはミリによって仕掛けられていた無数の闇の糸が張り巡らされていた。
「ちっ!」
タルウィは舌打ちをした――その直後、目が赤く染まったと思うと、物理法則を無視したかのような動きで体を反転させ、剣でその闇の糸を切り裂いた。
獣の血を発動させたのか。
「おっと、よそ見しててもいいのかな――聖なる雷」
「サンダーっ!」
アレッシオの雷光の魔法を、俺は雷魔法で迎撃する。
「おにい、こっちは私とハルに任せて! そっちに集中して」
「わかったっ! 速攻で終わらせるぞ、勇者様よ」
「そう簡単に俺が倒せるわけねぇだろうがっ!」
勇者の剣と俺の白狼牙が再度激突した。
注意しろ、すべてに注意するんだ。
剣? 蹴り? いや、それはフェイントで――
「聖なる炎!」
「暗黒の氷!」
聖なる炎の攻撃を、俺は闇と氷の融合魔法で打ち消す。
「へぇ、属性まで予想したんだっ!」
相反する属性での攻撃魔法による相殺に、勇者は笑って感心する。
もっとも、完全には相殺しきれず、勇者の背後の壁は凍り付き、俺の背後の壁は熱で赤みを帯びている。
「属性が逆だったのはマジで偶然だよっ」
俺はそう言って距離を取った勇者に対し、追い打ちの魔法を唱える。
「サンダーっ!」
最大の速度を誇る雷の魔法を、勇者は剣で受け止めた。
勇者の持つ剣が帯電し、青白く光る。
「魔法の連続使用だと……とんでもない力だな」
「そっちこそ、雷を剣で受け止めるなんて、普通じゃできないぞ」
これじゃ、ハルたちの助太刀をする余裕がない。
圧倒的なステータスの差でギリギリ俺が優位に戦っているが、彼女たちの戦いを気にしたら、俺がやられる。
「なら、この攻撃が受けられるか! ブーストオイルクリエイトっ!」
俺の手から油が出た。
魔力が増幅されたことにより生み出された油は、もはや油の洪水だ。
すると、勇者は剣を構え、
「スラッシュっ!」
と俺も得意な飛ぶ剣戟で油を切り裂いた。
「帯電した剣の熱で引火させるつもりだったんだろうが、剣戟を飛ばせば直接剣が触れることはないぜ」
「あぁ、知ってるよ。そして、燃えるのは液体の油だけじゃないってこともな」
「なにっ⁉」
勇者が驚いた直後、アレッシオの言う通り帯電した剣の熱が気化したガソリンオイルに引火、同時に勇者の体を炎が呑み込んだ。
突然の出来事。普通なら、これで俺の勝ちだ。
だが、思考トレースのスキルを使い、俺は勇者の考えを読む。
焦りは一瞬だけ、今はひたすら思考している。
アレッシオはこの瞬間にも熱に耐え、逆転するための次の一手を模索していた。
だから、俺は息をつかせず次の攻撃に移る。
「ブースト大洪水」
すべてを飲み込む大洪水の水が、アレッシオの体を飲み込んだ。
いかん、威力が強すぎた。
下手をすれば壁に跳ね返った水に、俺も飲み込まれるところだった。
とっさに氷魔法で迫りくる水を凍らせていなかったら危なかった。
そして、ハルへの助太刀だが、その必要なかったようだ。
「勝負ありですね、タルウィさん」
「なぜだ、二対一とはいえ、なぜ勝てない」
俺が水魔法で慌てている間に、向こう側も決着がついていた。
タルウィも強いが、眷属強化によりハルのステータスが増大したこと、そしてなにより――
「私とタルウィさんの決定的な強さの違いは、この剣に秘めた思いです。ひとりよがりな剣では、私のご主人様への忠誠心には勝てません」
そこは愛情とか言ってほしかったところだが、しかしそれがハルの強さなんだな。
俺は足下に転がる勇者を見た。
意識は戻ったようだが、立ち上がる力はもう残っていなさそうだ。
「……そうか、僕は負けたのか。紙一重じゃない、全然かなわなかったよ」
「ああ、俺たちの勝ちだ」
「結構いい人生だったな。殺してくれて構わない。このボスの間には、アンフィスバエナという双頭の蛇がいて、そのさらに奥、女神像の間に、メティアス様とミネルヴァ様、そしてテト様はいらっしゃる」
「三柱の魔神しかいないんだな?」
俺はそれを確認すると、王笏を取り出した。
勇者を殺さないと開かない扉があるとしても、俺は勇者を殺さずに前を進んでやる。
「世界の始動っ!」
世界の始まりを告げる大爆発が、ボスの間に続く扉だけでなく、ボスの間の空間そのものを破壊した。
一瞬、扉が破壊されるときに、この迷宮の本当のボスであろう双頭の蛇、アンフェスバエナが消滅するのが見えた。
そして、さらに破壊されていく扉の向こう側にいた。
俺の最強魔法の範囲内にいながら、球体状の結界に守られて無傷の状態でいる三柱の魔神の姿が。
「そんな……僕と戦っているとき、あれでも手加減していたというのか」
「まぁな。あぁ、そうだ、言い忘れてたが、アレッシオ。お前も勇者なんてくだらない肩書きを捨てて、一回無職になってみろって。世界はそれだけで違って見えるんだぜ」
俺はそう言うと、ハルとミリに声をかけた。
「行くぞ!」
「はいっ!」
「ええ――」
迷宮が黒い糸によって修復されていく。
俺たちは床が修復され、扉が修復される前にボス部屋の中に足を踏み入れ、そのまま開きっぱなしになっている女神像の間に入った。




