真里菜とカノン
「お前ら、いったいなんで!?」
「よくわからないんだけど、寝ていたら夢枕にトレールール様が現れて」
「ここでジョーが危ないから助けてあげてって言われたの。で、ジョーの部屋に行ったら誰もいないから、慌てて駆けつけたんだ」
トレールール様がなにかしたのか。
ったく、あの女神様は普段はサボってばかりいるくせに、ここぞというときにいい活躍をしてくれる。
「ジョフレ、エリーズ、ちょうどいい。ここでキャロとクインスさん……彼女を守ってやってくれ。それと、これをお前に預ける」
俺はフロアランスの迷宮で魔物を狩り続けて手に入れたレアメダル、合計十二枚を纏めてジョフレに渡した。
「使い方はわかるな」
「ああ、任せておけ。ケンタウロスが魔物を倒したご褒美に一枚ずつ食わせたらいいんだな」
いや、これを食べさせてケンタウロスを強化しろって言おうと思ったんだが、しかしそれでもいいだろう。
ジョフレとエリーズもそれぞれレベルが上がり、相当強くなったが、一番頼りになるのはケンタウロスだ。
「キャロ、危なくなったら拠点帰還を使え」
「かしこまりました、イチノ様もご武運を」
俺はキャロに見送られ、落とし穴があるという部屋に向かった。
俺は真里菜を、ハルはミリを抱え、一気に落とし穴を降りる。
【イチノジョウのレベルが上がった】
【火魔術師スキル:火耐性(中)が火耐性(大)にスキルアップした】
【風魔術師スキル:風耐性(中)が風耐性(大)にスキルアップした】
【土魔術師スキル:土耐性(中)が土耐性(大)にスキルアップした】
【水魔術師スキル:水耐性(中)が水耐性(大)にスキルアップした】
落とし穴に落下中、レベルアップを告げるメッセージとともに、各々の属性耐性が上がったという知らせを受けた。心の隅にとどめておこう。
以前、落とし穴で一気に迷宮攻略をしたときは水魔法により威力を殺したが、今回は魔力を少しでも温存しておくため、ふたりそろって壁を蹴って落下速度を殺しながら降りていく。
幸い、落とし穴の下は針地獄ではなく、ただの床だったから猶更だ。
「マリーナ、しっかり歯を食いしばれ!」
「ミリ様、衝撃に気を付けてください」
俺とハルは声をそろえ、最後の壁を蹴り、斜めに滑るように着地した。
足のダメージはほとんどない。
ハルも無事のようだ。
「ここが十三階層か。三人とも大丈夫か?」
「私は無事です」
「こっちも大丈夫よ」
「以前、ハルに抱えられて飛び回ったダキャットの森での出来事を思えば大したことがない」
マリーナが少し強がっている様子だったが、三人とも無事のようだ。
この迷宮は十五階層までしかないそうなので、残り二階層ということになる。
そこに行くまでに、おそらく勇者とカノン、そしてタルウィがいる。
十三階層の魔物にはキャロとクインスさんの月の魅惑香の効果がないのだろう。俺たちに目もくれずクインスさんのところに向かっていた魔物たちと違い、俺を見つけたら当然のように襲い掛かってきた。
マリーナが弓を構えるが、
「魔力は温存しておけ!」
俺はそう言って、白狼牙を抜き、道を切り開く。
ドロップアイテムは今回は放置、拾っている時間が惜しい。
「ご主人様、ミリ様、マリーナさん、カノンさんの匂いがします!」
「カノンだとっ! ハル、カノンはどこにいるっ⁉」
「こちらです!」
ハルはそう言うと、俺たちを先導しはじめた。
彼女についていく。途中の魔物は、スラッシュ、竜巻切り、一閃など剣士や侍のスキルでなぎ倒していった。
十四階層に続く階段は魔物で満ちていたが、
「プチストーン!」
名前だけプチとつく、一メートルくらいの岩が魔物たちに衝突し、他の魔物を巻き込んで階段の下に落ちて行った。
この程度の魔力の消費なら、一分もかからずに回復する。
「ご主人様、こちらです!」
階段の下に倒れている魔物を踏みつけ、さらに進む。
とうとう十五階層、最下層に続く階段を見つけた。
ここを下りれば――
「って、え? ハル、こっちじゃないのか?」
「はい、勇者は下にいるようですが、カノンさんはこの階層にいるようです」
カノンと勇者は一緒に行動していないのか?
「それともうひとつ、カノンさんと一緒にいる方が――」
ハルはその名を告げた。
カノンは、以前ノルンさんを捕まえた山賊たちがアジトにしていたような幻想壁――壁に見える幻――の向こうにある、広い隠し部屋にいた。
「あら、スケ君にかぐやちゃん。ここがバレちゃったのね」
そう言ってほほ笑む魔神ミネルヴァ様とともに。
「よく言うわ。こっちにはハルがいるのを知っていて、匂い対策もしていないなんて見つけてくださいって言っているようなものでしょ」
ミリはそう言いながら、ともにいるカノンを見た。
目がうつろで、正気の状態とは思えない。
「貴様、女神だかなんだか知らぬが、我が盟友のカノンに何をした!」
「なにって、私は元、薬の女神よ。使うのは薬」
彼女はそう言うと、ペロッと舌を出して、試験管に入っている黒色の液体を取り出した。
「魔神の器になるように調整しているだけ」
「それって――」
ミリは薬に見覚えがあるのか、それを見てミネルヴァをにらみつけた。
「ええ、カグヤちゃんが研究していた瘴気を浄化させるための薬の失敗作。魔物から瘴気を出すはずの薬を研究していたのに、まさか体内に入り込んだ瘴気に馴染む体になる薬ができるなんてね。おかげで、彼女の魔神としての覚醒の手助けに――」
ミネルヴァ様が言い終わる前に、一本の風の矢が彼女を襲った。
不意を突いた攻撃だったが、ミネルヴァ様はその矢を難なく躱してみせる。
「あら、マリナちゃん。話はまだ終わっていないんだけど」
「マリーナだ。話はもう十分、カノンがそうなった原因は貴様にある、それだけ聞けばな」
「あら? 私が悪いみたいな言い方だけど、これはすべてカノンちゃんが望んだことよ」
「……なんだと?」
マリーナの矢を引く手が止まった。
「カノンちゃんは、自分から魔神になる志願をしてきたの」
ミネルヴァ様は笑顔で言った。
「悪魔族はね、生まれたときから隠れて生きる運命にあったの。カグヤちゃんが魔王をしていたとき、その配下にいた一部の悪魔族はそれなりに差別されずにいたようだけれど。魔王軍に入る以前、彼女の母親も父親も兄も姉も、笑顔で接していた隣人によって密告され、正体がバレて教会に連行され、処刑された。たまたま森に行っていた彼女だけは無事に生き延び、魔王軍に入ることができた。でも、魔王軍内でも悪魔族の差別はかぐやちゃんの目の届かないところで行われた。このカノンちゃんだって、上官だった吸血鬼のヴァルフにずいぶんとひどい目にあわされたそうだしね」
俺は肩越しにミリを見た。
彼女は悔しそうに歯を食いしばっている。
「もちろん、カグヤちゃんが悪いわけじゃない。巨大な組織になれば、必ずどこかに綻びが出るものだもの」
「つまりカノンは、この世界が憎くて悪の手先に堕ちたというのか?」
「悪の手先って失礼ね。これも世界の救済よ?」
ミネルヴァはそう言ってほほ笑む。
死にたい死にたいと言っていた面影はまるで感じられない。
これが彼女の本性なのか。
「だって、世界が終われば女神にしろ魔神にしろ、その役目を終えて死ねるじゃない。いよいよすべてを放り出して死ねるの。それって素晴らしいでしょ?」
「だったら勝手に死んでなさい! 闇の剣」
ミリがそう言って闇の剣を放つ。
が、ミネルヴァ様――いや、ミネルヴァはそれを指で挟み、受け止めた。
次の瞬間、ミリの魔法が砕け散る。
「おにい!」
「わかった――」
今こそ魔王の力――と思ったときだった。
カノンが急に動いたかと思うと、俺に急接近してきた。
(格闘術っ⁉)
鋭いカノンの蹴りを俺は腕で受け止めた。
無傷ではあるが、摩擦熱で表皮が熱い。
さらにカノンは脚を突き出す。
「おにい、避けてっ!」
俺はミリの声を聴き、受け止めようとした腕を前に出したまま飛びのいた。
と同時にカノンの履いていた靴のつま先から短剣が飛び出し、俺の顔すれすれのところを飛んでいった。
油断していた。
「あぁ、やっぱりミリ様は手ごわいな」
「カノン、あんた正気を保っていたのね」
まさか、カノンが正気だったとは。
ミネルヴァのいたところを見ると、彼女はすでに姿を消していた。
「ええ、そうですよ。その方が油断してくれると思って」
騙すのは十八番と言いたげだ。
「カノン、命令よ。下がりなさい」
ミリがカノンに向かって叫んだ。
だが、彼女が後ろに下がることはない。
「残念だけど、今の私にはもう魔王の権威の力は及ばないわ」
カノンはそう言って不敵な笑みを浮かべる。
魔王の権威――服従した相手を強制的に眷属し、その経験値の一部を奪うというスキルだ。俺はこれを使って魔王のレベルを上げたが、本来の使い方は隷属の首輪のように相手を強制的に従わせることにある。
カノンはミリの眷属になっていたのか。
「カノン、なぜだ! なぜ魔神に手を貸す! そんなに世界が憎いのか!」
マリーナが悲痛な面持ちで叫んだ。
「……それを教える必要はないわ」
くそっ、こうなったら力づくでもカノンを止めるしかないのか。
「楠、ここは私に任せてくれないか?」
「マリーナ、何言ってるんだ?」
「友との決着は運命なのだろう。幸い、この部屋には魔物は来ないようだ」
「だが――」
「楠、時間は無限ではない。キャロとクインス殿が待っているのだぞ」
だが、マリーナをここにひとり置いていくわけには。
「あぁ、そうだね。安心していいよ。私がマリーナを殺すわけないじゃない。ちょっと痛い目を見てもらって、私が魔神になるのを見届けてもらったら、地上に無事送り届けるよ。この先ではミリちゃんに代わって今の魔王軍を取りまとめている魔王様がいるはずだから」
カノンが言った。
「ご主人様、ここはマリーナさんとカノンさんを信じましょう。ふたりにはふたりにしかわからない戦う理由があるはずです」
「時間がないのは事実よ。ミネルヴァがここにいた理由も気になるし、急いで勇者のところに行きましょ」
「……わかった。無茶だけはするんじゃないぞ……真里菜」
「我はマリーナだと……いや、そうだな」
マリーナはそう言って笑った。
「無茶をするつもりはない。安心して我にここを譲れ」
安心できるはずがない。
でも、俺は真里菜ではなく、カノンでもなく、ふたりの間にある絆を信じることにした。




