夢魔の魔王
俺たちは、王都内北西部にある迷宮へと向かった。
迷宮の周囲にはバリケードが築かれていたが、冒険者ギルドからの推薦状に加え、セバスタンが用意してくれたロブッティ家の家紋の入った書状により通ることを許された。
迷宮の中には誰もいないと言ったが、あの勇者たちのことだ、衛兵の隙をついて迷宮の中に入ることは可能だろう。
「妙だな、魔物が溢れていると言っていたが、静か過ぎる」
「魔物の気配も感じませんね」
ハルが周囲を警戒しながら先頭を進む。
「キャロが調べた情報によると、どうも勇者たちが迷宮の中に入った直後から魔物が外に出てこなくなったそうです」
つまり、勇者が出てくる魔物をすべて倒していったというのか?
でも、俺がキャロの力を使ってもフロアランスですべての魔物を倒せなかったように、再出現する魔物まですべてを倒すことができるだろうか?
それこそ一階層の入り口に拠点を構え、出ていこうとする魔物をすべて倒さない限り不可能だ。
結局、迷宮に続くと思われる地下階段をさらに進み、一階層を進むも魔物が現れる気配はない。
何かの罠か?
つい先ほどまで魔物が溢れかえっていたという話はいったいなんだったのか。
そう思った時だった。
「ご主人様、下から魔物の臭いを感じます。凄い数です」
ハルが目を細めて言う。
彼女はその臭いを頼りに、地下への最短ルートを進んでいった。
そして、六階層にたどり着いたとき、俺は目を疑った。
大量の魔物が溢れかえっていたのだ。
ただし、上り階段や俺には目もくれず、ただひたすらにどこかを目指している。
「竜巻切りっ!」
白狼牙を抜き、刀を振るった。
生み出された切り裂く竜巻は、その速度、威力、大きさ、なにもかもが俺の知るものと違った。
魔物たちを飲み込むと同時に、すべてを切り裂いていき、通り過ぎた場所にはドロップアイテムしか残っていない。
魔王のレベルが上がってステータスが向上したことも要因のひとつにあるだろうが、新しく生まれ変わった白狼牙の力がなにより大きい。
以前も俺の腕のように扱えていたが、いまは自分の腕以上に一体感を感じる。
いい刀だ。
しかし、魔物たちはいったいどこを目指していたんだ?
まるでキャロの月の魅惑香に当てられた魔物のようだったが……まさか。
「クインス様っ⁉」
キャロが声を上げた。
そうだ、キャロと同じ夢魔の女王としての力を持っているクインスさんなら、夢魔の女王の下位職業である誘惑士のスキルを持っているのが自然な考え方だ。
そして、勇者が迷宮の中に入った時と魔物が出現しなくなった時間が一致するというのなら、クインスさんは月の魅惑香を常に使い続けているということになる。
月の魅惑香はパッシブスキルであり、夜、もしくは迷宮の中だと常に効果を発揮し続ける。
キャロは職業の切り替えにより月の魅惑香の発動を制御することでその弱点を補っていたが、それは俺か俺の眷属であるキャロにしかできない裏技だ。
月の魅惑香は魔物を引き寄せ、魔物に襲われることはない。しかし、それはしばしの間のことだ。暴走した魔物は、最後には誘惑士に襲いかかる。
このままではクインスさんが危ない。
俺は魔物たちが向かっていった方に駆けた。
途中も魔物の群れは絶えない。
「ダブルスラッシュ!」
ハルが放った二本の剣戟――火竜の牙剣の炎と風の刃の風が、まるで本物の竜の炎のような形となって魔物の群れを飲み込んだ。
「打ち漏らした敵は我が対処しよう」
真里菜の風の弓から放たれた矢が、小さな魔物一匹見逃さず、敵を打ち落としていく。
「ご主人様、この先の部屋から血の臭いがします!」
「クインスさんがいるのか」
なら、ここで大技を使えば彼女を巻き込むことになる。
部屋まではまだ魔物の群れがいるが、一体一体潰していくしかない。
「暗黒の千なる剣」
と思った矢先、ミリが闇の剣を生み出し、通路を塞ぐ魔物を一掃した。
「お前、クインスさんを巻き込むつもりかよ!」
「大丈夫、あいつはあれで魔王軍の元幹部。このくらいの攻撃は防げる」
ミリが目を細めてみたその先に、ひときわ大きな石の魔物がいた。
ストーンゴーレムだ。
ミリの攻撃を受けて絶命し、その陰から、ひとりの黒髪の幼女が現れた。
自分の身長より遥かに大きなメイスを持っている。
「ずいぶん手荒な真似だね、盾となる魔物を操るのが遅れたら危なかったよ。せっかく、生まれ変わって若くなったんだから、もっと大人しくなってほしかったんだけどね。いつも無茶ばかりだ」
幼女がミリを見て言った。
俺はその幼女の職業を確認する。
【夢魔の女王:LV75】
やはり、この子が――
「あら、あなたのほうが若返ったんじゃない? モテモテじゃない」
ミリが皮肉を込めて彼女――クインスさんに言った。
小人族は五、六歳くらいの姿だと聞いたことがあったが、ここまで小さいとは思わなかったな。
「クインス様、ご無事でしたか」
「キャロル、無事ってこの状況を見て言っているのかい?」
クインスさんがそう言ったとき、突然彼女の後ろから一頭の巨大なクマが現れて、その爪を振り下ろした。
彼女はそれを躱し、メイスの一撃を打ち込む。
強い――だが、魔物はどこから現れた?
気配は全く感じなかった。
転移してきた、いや、それよりもまるで、そこから生まれたような。
「おにい、これ以上近付いたらダメ。言ったでしょ。誘惑士の力は魔物だけでなく瘴気を集める。普通の迷宮だったらそれほど問題ないんだけど、戦争の起こったマレイグルリだけじゃない、おそらく世界中から集めた瘴気がいま、テトを蝕んでいる。その瘴気の一部をクインスはこの部屋に集めているの」
「余計な事をベラベラしゃべるようになったね。昔のあんたはもっと寡黙だったと思ったんだが」
クインスさんはそう言って自嘲気味に笑った。
「ミリさん、クインス様はどうなるのですかっ⁉」
「このままだと、あと少しで瘴気の許容量を超えて、彼女は魔神になる。勇者たちの狙い通りにね」
「安心おし。私はそう簡単に瘴気になんて屈しはしないよ」
「嘘ね。クインス、あんたの髪の色はもともと鮮やかな紫色だったはず。髪が濃く染まっているのは瘴気に染まりつつある証拠じゃない。悪いことは言わない、いますぐ迷宮から出て、どこか密室に引きこもりなさい」
「迷宮の魔物を引き連れてかい? はん、そうなったら多くの犠牲が出るだろ。私はここを離れることができないのさ」
クインスさんは町の人を守るために、自分を犠牲にしようとしているのか。
勇者アレッシオ、これもあんたの立てた計画の一部なのか。
「大丈夫さ、あんたたちがすべてを終わらせてくれるまでは――」
とクインスさんが言ったとき、彼女の背後から、今度は巨大な虎が現れた。
いきなりのことに、クインスさんの反応が遅れる。
俺も刀を抜くのが間に合わない。
そう思ったとき、風の矢が魔物を打ち抜いた。
「我の早撃ちは〇.一秒。瞬きする間もなく散るがよい」
真里菜がいてくれて助かった。
〇.一秒はさすがに盛り過ぎだと思う。お前はの〇太君か。
「そこの通路を進んだ先に、落とし穴の罠がある。十三階層まで一気に落ちる穴だ。そこを通れば一気に近道ができる。勇者と魔神を止めるんだ」
クインスが言ったそのときだった。
黒い靄のようなものが現れた。
テト様の空間を飲み込む瘴気と同じだ。
このままでは――
「おにい、行くわよ。クインスの覚悟を無駄にしないで」
ミリに言われる。
そうだ、俺がここに残ってもできることはない。
クインスさんを無理やり地上につれていっても、いまの時刻は夜――彼女の香りに釣られて魔物を町に出してしまう。クインスさんをマイワールドに連れていっても、やはり瘴気が元の流れに戻り、魔物が迷宮から溢れることには変わりない。
俺ができるのは、一秒でも早くこの状況を改善することだ。
行こう――そう思ったときだった。
「イチノ様、すみません、キャロもここに残ります」
「キャロル、何を言ってるんだい!?」
クインスが声をあげた。
「私にはイチノ様が下さったこの指輪があります。これがあれば瘴気に少しは抵抗できます」
「見ればわかる。その指輪は確かに瘴気を遠ざける力はあるが、体内に入った瘴気を取り除く効果はないし、ここまで瘴気の溢れた場所では効果も薄い。あんたが犠牲になることはないんだよ」
「いいえ、犠牲にはなりません。イチノ様が帰ってくるまで耐えればいいだけのことです」
くそっ、本当にそれでいいのか?
なにかないのか、みんなを確実に助ける方法が。
そう思ったときだった。
【スキル:××××の効果により、眷属強化Ⅱの効果が発動】
なんだ? 眷属強化Ⅱ?
眷属強化って、眷属のステータスを上げる能力だったよな。
いや、待て。
俺は眷属強化のスキル説明は見たが、眷属強化Ⅱのスキルは眷属強化がパワーアップしたものだろうと思い、まだ見ていない。
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眷属強化Ⅱ:補助スキル【魔王レベル200】
眷属のステータスを上昇させる。
上昇するステータスは主の能力と、眷属と主の距離によって変わる。
また、主は眷属に任意のスキルを貸与することができる。
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最後の一文が追加されていた。
スキルの貸与?
一体なんのスキルを――俺は整理しているスキルが多すぎてすぐに把握できない。
「キャロ、ステータスを確認! スキルに何か追加されてないか⁉」
「は、はいっ! ステータスオープン!」
キャロは急ぎスキルを確認する。
「結界魔法が追加されています!」
「――っ! 『聖なる結界』の魔法を使え! そうすれば結界内に瘴気が入ってこない!』」
「わかりました! 『聖なる結界!』」
キャロが魔法を唱えると、黒い靄は結界の中に入ろうとしない。
「クインス様も早くこちらに」
「ああ……しかし、魔物はっ⁉」
クインスさんが結界の中に入るが、しかし新たに現れた魔物は結界をすり抜けてくる。結界で防げるのは瘴気だけ、魔物は防げない。
このままキャロが危険であることは変わりない。
誰かが残るか?
それだけじゃない、さっきあれだけ魔物を倒したというのに、俺たちの背後にも魔物が迫ってきた。
いったいどうすれば――と思ったときだ。
魔物の群れの中をなにかが駆け抜けてきた。
「ジョー! 助けに来たぜ!」
「ジョー! 助けに来たよ!」
ジョフレとエリーズがケンタウロスの前に人参をぶら下げ、魔物を蹴散らして現れた。




