準備完了
ミリは「少し散歩のついでに、歓楽街で魔物でも倒してくる」と言って屋敷から出ていった。
ミリなら、魔物と出くわしても遅れをとることはないだろうが、俺も追いかけて一緒に魔物退治をしようかと思った。
その時だった。
「マリーナさん、待ってください!」
キャロの声が聞こえてきた。
屋敷の入り口に行くと、そこで真里菜――いや、仮面をつけているからいまはマリーナか――がキャロに止められていた。
「どうしたんだ?」
「イチノ様、どうもマリナさんがオレゲール様から話を聞いたそうで」
「止めるでない、楠! 我が盟友のカノンが勇者に連れ去られたのだぞ! 悠久の日の誓いに従い、我は彼女を救うべく、出向かねばならぬのだ! たとえそれが地獄の底であろうとも、進まねばならぬ。足を砕かれれば腕の力で進み、腕がもげども、羽化する前の芋虫のごとく、這って進む」
「足が折れても腕がもげても回復魔法を使ってやるから、とりあえず落ち着け。まだ勇者と一緒にいたのがカノンだって確証もないんだぞ」
「みなまで言うな楠よ。我の額に封印されし、すべてを見通す第三の瞳によれば、カノンは間違いなく、この燃える帝都の遥か下にいる」
「ここは帝都でもないし燃えてもない」
マリーナの中二は全開だな。
こいつと別行動する直前は、かなりマシになったと思っていたのだが。
「とにかく、マリーナ、落ち着け。カノンは勇者にとって必要な人材みたいだから彼女に危険はない。迷宮には俺たちも行くから少し待ってくれ。こっちも情報を集めないといけないんだ」
「……うむ、いいだろう。そうだ、イチノよ。おぬしは魔記者のスキルも持っていたな。ある札が欲しいのだが」
マリーナはその札の名前を言った。
危ない品だが、しかし、無茶をしないという約束を取り付け、俺はその札を渡すことにした。
それを受け取ると、マリーナは仮面を外した。
「すみません、楠さん。少し休んできます」
そう言って屋敷に戻る真里菜からは、先ほどまでの笑顔は消え、焦燥感だけが表面に出ているようだった。
真里菜を見送ったところで、キャロも情報収集をするために町に向かった。
ひとりでは危ないので、ジョフレとエリーズに護衛をしてもらうそうだが、余計心配な気がする。
ミリを追いかけるか、キャロと一緒に行くかと悩んだところで、
「イチノジョウ准男爵、手紙が届いています」
今度はセバスタンが四角いトレイに手紙の入った封筒とペーパーナイフを載せて来た。
貴族の執事は、手紙一つを届けるのにも丁寧だ。
ペーパーナイフなんて初めて使うなと思いながら、封筒の端を切り、中身を取り出す。
『今夜、迷宮で待っているよ。来なかったら、テト様は魔神になるから絶対に来てね。アレッシオ・マグナール』
そう書かれている手紙だった。
勇者からの招待状か。
書かれている内容が真実かどうかはわからない。テト様のタイムリミットはもっと先かもしれない。
だが、この招待状は断れそうにないな。
俺はハルを呼び、手紙の内容を伝えた。
彼女にはこれから町にいるキャロとミリを探してもらい、今の手紙の内容を伝えてもらうことにした。
その間に俺はすることがある。
俺は手元にある一本の刀を――いや、刀だったものをみた。
いまはバラバラの破片となってしまい、見る影もない。
「ご主人様、それは白狼牙ですか?」
ハルが尋ねた。
「ああ。タルウィとの戦いで砕けたな」
剣劣化防止スキルがあれば、多少の刃こぼれ程度なら元に戻るが、折れてしまった刀は二度と元に戻らない。
だが、俺は微かに感じていた。
「剣の鼓動ってスキルがあるんだ。見習い剣士と剣士を極めたときに手に入れたスキルで、そのスキルを使えば剣の癖とかそういうものを瞬時に理解できる……が、でも俺はこの白狼牙に使ってみると、なんというかな、まだ戦えるって鼓動を感じるんだ。俺の牙でいたいっていうな」
「さすがは白狼の名を冠する刀です。白狼族はたとえその剣が折れ、四肢がもがれようとも、この牙で敵の喉に噛みつく種族ですから」
ハルがマリーナみたいに物騒なことを言い出した。
頼むから、瀕死の状態で無理はしないで――というか瀕死の状態になる前に逃げてほしい。
「俺はこの刀の破片を元に新しい刀を作ろうと思う」
「新しい刀ですか?」
「ああ。幸いというか、鉄と違って錆びたり酸化したりしているわけじゃないからな」
「それでしたら、ご主人様。これもお使いください」
ハルがそう言って俺に差し出したのは一本の針だった。
これは――
「オリハルコンの針か?」
「はい。マレイグルリの迷宮を踏破したときにいただいたものです。今のご主人様ならこれを使えるのでは?」
確かに、錬金術系と鍛冶系の職業はかなりレベルが上がっていて、無数のレシピが頭の中にある。
錬金術の合金レシピの中には、オリハルコンとミスリルの合金も存在する。
そして、その合金を使った鍛冶レシピも。
「いいのか?」
「はい、それが私の望みです。どうか、白狼牙にもう一度戦う機会をお与えください」
「……わかった」
俺は彼女に感謝し、このオリハルコンの針を使うことにした。
俺はマイワールドに戻り、鍛冶場で白狼牙として使われていたミスリルとオリハルコンを錬金術で一つの金属に生まれ変わらせる。
そして、白狼牙を作った時と同じように、スキルを使い一本の刀を生み出した。
透き通った白い刀身の中に、一本の強い芯が生まれた気がする。
銘はもちろん白狼牙だ。
「マスター、終わったのか?」
ニーテが開きっぱなしになっていた鍛冶場の扉をノックしながら俺に尋ねた。
「ああ、終わった」
俺は白狼牙を鞘に納めた。
「そうか。これを渡しておこうと思ってな」
ニーテが俺に寄越したのは、小さな指輪だった。小さすぎて俺の小指にも入りそうにない。
「この宝石部分、竜の目を使った指輪か?」
「あぁ、結構苦労したんだぜ? 闇、火、水、風、土、五つの属性に対する抵抗値を高め、さらに瘴気から身を守る力もある。スキルで作った魔道具じゃないから効果にはあまり期待しないでくれ。防御に不安のあるマスターキャロル用に、サイズは小さくしてある」
ニーテは期待しないでくれと言いながらも、どこか自慢げに俺に説明をした。
速度を上げるならハル、魔力を上げるなら真里菜に預けたかったが、防御特化の装飾品というなら、確かにキャロに預けるのが一番だ。
「助かる」
「こっちは休日返上で調整したんだ。全部終わったら一週間くらい休みが欲しいな」
ニーテたちに休日の設定をした覚えはない。休みたいときは勝手に休んでいるからだ。
だが、俺は笑顔で答えた。
「ああ、どこかでバカンスでも楽しもう。温泉旅行とかもいいな」
「そりゃ楽しみだ」
ニーテはそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
準備を終えた俺たちは、出発前に最後の確認をした。
「キャロ、これは竜の目の指輪だ。ニーテが作ってくれたからつけてくれ。ただし、左手の薬指以外にな。そこは予約しているから」
俺は指輪の性能について説明して、キャロに渡す。
「ありがとうございます、イチノ様」
俺が恥ずかしい気持ちを抑えて言うと、キャロは笑顔で受け取って右手の薬指に指輪を嵌めた。
「マリーナも準備はいいな?」
「うむ、問題ない。ハルワタートには聞かないのか?」
「ハルは酒を飲まない限り、準備不足だったことはないよ」
「はい。私は常に戦いの準備ができています」
ハルもまた準備は完了。
俺たちの出発を見送る人は誰もいない。誰にも知らせていないから当然だ。
そして、おそらくこの世界が危機に陥っていることを知っている者もまた、数えるほどしかいないだろう。それでいい。
最終決戦へ




