そして魔王に
ハッグを倒したことにより、魔法が使えるようになった俺たちは、ダークエルフたちとともにマイワールドに戻った。
あれだけ覚悟を決めたと思ったのに、覚悟が足りなかった。
少なくとも、ハッグの見せた覚悟には遠く及ばない。
俺たちが正しいと思って動いていることは、本当に正しいのだろうか?
少なくとも、メティアスとミネルヴァは、この世界に住むすべての人の魂を救済するために動いている。
この世界をいつか覆う災厄から守るために。
その目的を台無しにして、今生きている人のためだけに動くのはいいことなのだろうか?
もしかしたら、俺は世界を災厄から守る最初で最後の機会を台無しにしているのではないだろうか?
「おにい、将来生まれてくる魂のために、今生きている人を全員殺すって間違っているから。それは危険思想よ」
「わかっている」
頭ではわかっているが、心がついていかない。
「……ミリ、今の魔王はなんで魔神と手を組んでるんだ?」
「知らない。知りたくもないし、今の魔王が何者なのかもわからない。だけど、想像は付く」
「え?」
「おにいは余計なことを考えなくていいの。ほら、さっさと魔王になっちゃいなさい」
そんな、「遊んでないで早くご飯食べちゃいなさい」みたいな感覚で言われてもな。
「そもそも、魔王になるってこの宝玉をどうすればいいんだ? 食べればいいのか?」
このままで食べるのは少し硬そうなので、圧力鍋で三時間くらい煮込みたい。
とか冗談っぽいことを考えてみる。
軽口をたたいて、不安を吹き飛ばそうとしたのだ。
「食べるなら、まずはオレンジを丸呑みする練習からしないといけないけどやってみる? ケンタウロスならそのくらいできそうね」
勇者たちが放置して、いまでもマイワールドに残っているケンタウロスは、本当に丸呑みしているのではないかと思うくらい、トマトを凄い速度で食べている。
「それでも力は吸収できるわよ」
「できるのかっ⁉」
「まぁね。普通はやらないけど、理論上は可能なはずよ」
「だったら普通の方法で頼む」
魔王の力を取り込もうとして窒息死とか、就職面接に行く途中に馬に蹴られて死ぬ以上に死にきれない。
「じゃあ、ついてきて」
ミリがそう言って俺を連れていく。
その先には、マイワールドで最初に作られた建物があった。ライブラ様が建てた天文台のような建物だ。
「どうしたのですか?」
中からライブラ様が現れた。
え? 魔王って女神様の力を借りるのか?
「ちょっと用事があってね。そこをどきなさい、ライブラ」
「女神様を呼び捨てにするな」
「……ライブラ様。用があるのはこの場所。ここはちょうどこの世界の中心地。ここでなら、魔王戴冠の儀式にぴったりだから」
「魔王戴冠の儀式ですか。しかし、ミリュウ、あなたはすでに魔王なのでは?」
「魔王になるのはおにい――楠一之丞のほうよ」
ライブラ様はそれを聞くと、俺のほうを見てなにやら考え込む。
もしかして、魔王は女神と敵対するからダメなのだろうか?
心臓の鼓動が高鳴り、変な汗が出てくる。
ただでさえ勇者、現魔王、魔神と俺の敵は多いというのに、この上女神様たちまで敵に回したら四面楚歌どころの騒ぎでは済まない。
ライブラ様は一瞬目を閉じると、
「なにを考えているか、だいたいわかりました。彼ならいいでしょう」
と言って頷いた。
俺はほっと安堵の息を漏らし、ふと疑問がよぎった。
「ところで、ライブラ様はここでいったいなにを?」
てっきり女神様たちは魔神対策をするために行動していると思っていたが。
「この場所は世界の中心であると同時に、あなたが最初にこの世界に訪れた場所でもあります。そのため、アザワルドからの影響を強く受け、結果的に空間の綻びが強いのです。それを利用して、この世界を調べると同時に、他の女神の空間を調べるには最適なのです。ここからテトとミネルヴァの空間を調べていました」
そうか、直感的に天文台だと思ったが、まさに天上――神の世界を調べることができる建物だったというわけか。
「それで、なにかわかりましたか?」
「いいえ。もしかしたら彼女たちはどちらかにいるのかと思いましたが、ミネルヴァの空間はもぬけの殻。テトの空間は瘴気に満ちていて空間を保っているのが奇跡という状態です。いま、コショマーレ先輩とトレールールが浄化作業と同時に調査を行っていますが、メティアスたちはおそらくいないでしょう」
「となると、三柱は別の次元でも作ったのかしら?」
「別の次元なんて簡単に作れるものなのか?」
「作れるじゃない。私の空間魔法もあるし、アイテムバッグもある。三次元的な考え方をしていたら難しいけど、女神は四次元方向にも移動できるんだし、超ひも理論は言い過ぎにしても、カルツァ=クライン理論における五次元以上の時空が空間魔法によって仮定ではなく真実だと実証できた以上、潜伏先なんて無限にあるわ」
全然わからない。
中学レベルの物理で理解できる話をしてほしい。
「残念ながら、魔神全員が他次元に逃げたという可能性はありません。現在、世界中の十二箇所の迷宮から、魔物が溢れだしている現象を観測しています。魔神の力を及ぼすには、迷宮と強いつながりを持つ我々女神の空間、もしくは――」
「地上しかないってことね。オッケー、わかったわ。しかもメティアスが入れる女神の空間となったら、ここしかないものね」
よくわからないが、ミリが納得したのでそういうことなのだろう。
魔神は地上のどこかにいる。
そして、その最有力候補は、勇者が待っているというアランデル王国というわけか。
そうと決まれば、ますます俺が魔王にならないといけなくなる。
「ミリ様、お待たせしました。ダークエルフの皆さんに頼んで用意してもらいました」
「イチノ様にとてもお似合いだと思います」
ハルとキャロがミリに頼まれていたというものを持ってきた。
俺はそれを見て、目を疑った。
彼女たちが持ってきたものは、赤いマント、杖、そして王冠だったのだから。
戴冠式だからって、こんなの必要あるのか?
「おにい、王っていうのはひとりではなれないの。ひとりしかいない国に王はいない。将棋で王将だけだと勝負できないのと同じ。王は誰かに承認されて、初めて王になる。数千、数万人規模の人から賛同されることで、初めて魔王になれるの」
数千、数万って無理じゃないかっ!
マイワールドにいるのはせいぜい五十人だぞ?
「今回は裏技かな? 王権神授説を利用する」
「王権神授説? ってあれか? 王様は神からその権利を受けているから、王の言葉は神の言葉だ。逆らうなっていう」
「ありていに言えばそうだけど、元はこっちの世界の特別な儀式にある言葉なの。つまり、神の許可をもらったものは、数人の見届け人をもって、王となることができる。そして、魔の力が備わったとき、その者は魔王となる」
そういえば、こっちの世界では王族は生まれたときから職業が王族だって話だったよな。
女神様に認められた職業だから、そんなに偉いのか。
「もちろん、形は大事。見届け人がしっかりとその人こそ自分たちの王だと認めないといけないんだから。そういう点では、ハルワとキャロが適任でしょ?」
確かに、ハルたちなら俺のことを王と認めるだろう。
「ちょうどいいわ。ライブラ様、力を貸してくれるわね」
「ええ、問題ありません」
ライブラ様の協力も取り付けた。
よし、なら早速――
「お待ちください。その戴冠式、私たちも見届けさせてください」
早速始めようとしたところに駆けつけたのは、ララエルをはじめ、ダークエルフたちだった。
「イチノジョウ様が魔王になるための条件を伺いました。我々も全員、見届け人となることを希望いたします」
どうしてそのことを?
いや、ハルとキャロは王冠や杖をダークエルフたちに作ってもらったって言っていた。
となれば、当然この戴冠式のことは彼女たちにも伝わっていたのだろう。
ダークエルフ全員が片膝をついた。
これだけ大勢に見届け人になってもらえたら、魔王としても箔がつく。
喜んで受け入れようとしたとき、ミリは彼女たちを窘めるように言った。
「あなたたち、わかっているの? 魔王の戴冠の見届け人になるっていうことは、文字通り魔王の眷属になるってことよ? ハルワとキャロはもともとおにいの眷属だから問題ないけど、そんなことになったら、あなたたちも魔王の眷属になるわ。しかも種族全員で魔王の眷属になるというのなら、今後生まれてくるあなたたちの一族もまた魔王の眷属になるの。何百年、何千年もあと、アザワルドの誰もがダークエルフの罪を忘れたとき、地上に戻ったあとも魔王の眷属である事実はステータスの中に刻まれる。そうなったら、普通の生活を送るのは難しくなるわよ? 魔王が悪だって言うのは教会の決めつけだけど、それでも社会の常識として浸透しているんだから」
それを聞いて俺はギョッとなった。
ここにいるダークエルフたちだけなら俺が責任を取るつもりでいたが、未来永劫、今後生まれてくる一族全員となるとさすがに放ってはおけない。
「それはダメだ、ララエル、ここは俺たちだけで――」
「私たちは覚悟を持ってここにいます。我々の中にイチノジョウ様の眷属であるという称号が刻まれるのであれば、一族の誇りとなります。恥となることなど永遠にありません」
「……だそうよ、おにい」
俺はダークエルフたちを見まわした。
全員が俺のことを信用してくれているというのか。
覚悟――その言葉が重く俺にのしかかってくる。
ハッグが見せた覚悟、ダークエルフたちが示した覚悟。
どちらも俺なんかのちっぽけな覚悟とはくらべものにならない。
正直眩しい。
「わかった。みんな、俺が魔王になるところを見届けてくれ」
俺はそのちっぽけな覚悟を胸に抱え、キャロが持っていた赤いマントを羽織った。
前魔王であるミリの前に跪き、彼女のとなえる文言を聞きながら、俺は杖――王笏を受け取り、王冠を被せられる。
女神ライブラ様が持っているファミリスの力を封印したという宝玉から徐々に光が消えていき、俺の中に入っていく感じがした。
そんな光景を、ハルたち見届け人は固唾をのんで見守った。
「あ、言うの忘れていたけど、戴冠式が終わると、自動的に第一職業が魔王に代わるから、無職にはもう戻れないよ。就職おめでとう、おにい」
重い空気の中、ミリが突然そんなことを言い出し、
【職業:魔王が解放された】
【第一職業が魔王に設定された】
と、俺はおそらく世界で初めて、無職から魔王に転職した男になったのだった。




