靭惟之は礼儀を払う
「あ、つぐみさん起きたー」
声を聞きつぐみが視線を向けた先では、明日人がさとみと手を繋ぎながら自分の元に向かってくるのが見える。
『冬野、おきたのか? まだ泣いてるじゃないか! だれが泣かせた! また、しなこか?』
目が合ったさとみが、ぱたぱたと足音を立てながら走って来た。
ソファに座ったつぐみの頭を、腕を一生懸命に伸ばして撫でようとしている。
彼女の精いっぱいの優しさに、つぐみはまた泣きそうになってしまう。
「つぐみさん、具合は~? ……うん、大丈夫そうだね。惟之さ〜ん! つぐみさん起きましたよ~」
明日人がにこにこと笑いながら、惟之を呼んでいる。
そうだ、自分は起きてからまだ惟之の顔を見ていない。
眠る前の、厳しい表情をした彼を思い出す。
今の自分は、もう大丈夫のはずだが。
そう思い彼の姿を探す。
やがて廊下から背中を丸めて、顔を伏せがちにリビングに入ってくる惟之の姿が目に入った。
明らかにしょんぼりとした様子に申し訳ないと思いながらも、思わずくすりと笑ってしまう。
「ふ、冬野君。実は先程は確証も時間も無くて、あのような強引な手段に出てしまった訳なんだが」
普段は冷静沈着な惟之の動揺した姿。
珍しいその様子に、思わずつぐみはじっと彼を見つめてしまう。
その動きをつぐみが怒っていると勘違いした惟之は、慌ててつぐみに駆けよってきた。
自分の正面に来た惟之は、大きな体を折り曲げて膝立ちになる。
そんな彼の後ろから、なぜだか嬉しそうな品子の声が聞こえてきた。
「惟之ぃ〜。謝るんならちゃんと、サングラスくらい取りなよ。礼儀だよ、れ・い・ぎ!」
惟之は素直にサングラスを外すと、つぐみへと向き直る。
「冬野君、本当にすまなかった。君を悲しませることになってしまい、申し訳なく思っている」
間近で見る惟之の顔に、つぐみは思わず見入ってしまう。
何度か皆の会話では聞いてはいたが、彼の目尻は確かに優しい弧を描いている。
初めて見るサングラス無しの惟之の顔。
以前、室と会った喫茶店の時も惟之は、サングラスはしていなかった。
だがその時は、室を止めることに精一杯で惟之の顔のことは覚えていない。
更に言えば、先程の眠らされる直前。
この時もサングラスは外していたが、発動中で彼は目は閉じていたのだから。
真っ直ぐに見つめてくる、凛々しくて彫り深い顔。
緩やかに下がった目尻のその精悍な顔立ち。
何よりこの距離の近さというのは、男性慣れしていない自分にはかなり刺激が強い。
顔が赤くなるのを見せないようにと、つぐみは目を逸らしてしまう。
「そう、……だな。こんな、こんな卑怯な人間を、……許すはずも」
正面から、惟之の悲しげな声が聞こえる。
「え? 靭さん何か誤解して……」
「そうだそうだー! 冬野君がこんな卑怯なタレ目人間を、許すはずないだろー!」
ここぞとばかりに、品子が追い打ちのような言葉を惟之へと掛けている。
「ちちっ、違いますよー! ちょっと先生、何を言ってるんですかー! だ、誰か他の人っ!」
助けを求めるようにつぐみが周りを見ると、明日人と目が合う。
すがるように見つめるつぐみに、明日人はにっこりと笑うと口を開いた。
「あはは〜! なんか面白~い」
「……いや、ちっとも面白くないですから」
どうやら彼は、この状況を純粋に楽しんでいるようだ。
諦めたつぐみは、そのまま明日人の隣にいる木津兄妹へと目を向ける。
「放っとけ、冬野」
「そうですね、兄さんの言うとおりだと思います」
共に無表情で淡々と語っている。
どうやら強引だった大人組の行動に、二人は怒っているようだ。
戸惑う様子に気付いたさとみがつぐみの手を握ってくる。
「冬野とこれゆきが元気ないぞ? たべすぎでおなかいたいのか?」
「……あぁ、さとみちゃん。優しいね。もうあなたにお願いしちゃおうかな」
つぐみは彼女にあるお願いをしてみる。
さとみは真面目な顔でうなずくと、惟之の後ろ側へと回り込み彼の背中をとんとんと叩いた。
振り返った惟之と目が合うと、さとみは口を開く。
「……しゃとみ」
品子の口から「おぉ」という感嘆の声が漏れた。
惟之はそのまま、さとみをぎゅっと抱きしめている。
それを見つめつぐみは思う。
いいなぁ、靭さん。
さとみちゃん、ありがとう。
これで靭さんは元気になったよ。
ついでに言えば、靭さんの方を羨ましそうに見てる先生までもだ。
すごいな、さとみちゃん。
本当にありがとう。
さとみ本人には気づかれないものの、彼女へとサムズアップをして、つぐみはその行動をたたえた。
◇◇◇◇◇
「というわけで、冬野君」
つぐみは品子と二人で和室へと移動していた。
惟之との騒動の後、つぐみは品子から自分に起こった変化を少しだけではあるが説明をされた。
自分に発動者の様な兆候が表れたこと。
それはさとみが、つぐみの中に入ることによって引き起こされること。
そしてこの事実を落月や白日の一部の人に知られるのは、とても危険らしい。
明言こそされなかったが、つぐみは自分に起こった変化に予想はついている。
皆の自分を見たときの表情、特にその際のシヤの言葉。
だが皆は自分を守るために、それぞれが行動をしてくれたのだ。
ならば皆の望むようにあろうとつぐみは思う。
「とりあえずは、さとみちゃんが君の中に入らなければ問題ない。出来ればこれを維持していきたい」
「わかりました。今はそれでいいと思います。問題は学校の休みが終わった後ですよね。さとみちゃんはどうしましょう? 授業中は、私の中にいてもらうつもりだったのですが。私の家に、一人でいるのは可哀想ですし」
つぐみの言葉に品子は、目を閉じて考えこんでいる。
「そうだな、ならば君が自分の家に帰るまでの日中は、三条で預かるとのはどうだろうか?」
「よろしいのですか? そちらの方のご都合は?」
「まぁ、それなりに何とかしていくさ。でもさとみちゃんが本部に居たくないなら、こちらは無理強いはしないよ。それに蝶になって、いろいろ散歩やこの世界を見て回りたいと言うかもしれないし。うん、その辺りもさとみちゃん本人の意思を確認しておく必要があるね」
品子の言うとおり、さとみにも確認を取る必要がある。
出された提案は、つぐみの家に一人でいるよりはずっといい話だ。
『家』という言葉に、つぐみは自身のこれからのことを思う。
さとみだけでなく、今後の自分のこともあり、つい言葉が中途半端に途切れてしまった。
「そうですね。私としてはそれでお願いしようかと。うーん」
実は、以前から考えていたことがある。
今は品子と二人だけということもあり、思い切って相談しようかという考えがよぎる。
それが顔に出ていたのだろう。
品子から遠慮がちに声がかけられた。
「どうしたんだい? 何かあれば聞かせてくれないか?」
品子からの優しい口調につぐみの心は決まる。
「先生、相談に乗っていただきたいのです」
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次話タイトルは「冬野つぐみは語る」
つぐみはヒイラギとシヤに大切な話をします。




