45. 侵入者?
ある朝、ルナは使用人棟にある自室のベッドの上でふと目を覚ました。 窓から外を見ると、空はまだうっすらと明るくなってきたところで、まだ暗い。
もう少しでルナが起きる時間だが、いつもならまだ眠っている時間だ。
(侵入者……だよね、これは)
ルナは使用人棟に何者かが侵入した気配を感じとっていた。侵入者ということで非常事態だと判断したルナは、一切の音を立てずにベッドから身を起こし、手てばやく寝衣からメイド服に着替えて懐に短刀を忍ばせる。
もはやルナにとってメイド服は戦闘服であった。ルナ自身でもなにかがおかしいような気がしなくもなかったが、ルナは『戦闘メイド』という言葉の持つロマンに負けたのだった。
実際、掃除をはじめとする家事をするのに邪魔にならないよう動きやすさを重視しているメイド服は、戦闘用としてもそこそこ優秀だった。
そうこうしているうちに、侵入者の気配が近付いてくるのがわかった。
(数は1、体重から考えて子供か女性。んー、歩幅からすると子供かな)
ルナは侵入者の気配に感覚を研ぎ澄ませ、そこからできる限りの情報を読みとっていく。
(気配と足音の消し方が単純な忍び足じゃないし、まだ未熟だけど素人じゃないね)
当の侵入者は気配を消して歩いているつもりなのだろうが、敷きものなどない使用人棟の板張りの床から発せられる微かな足音や床板のきしむ音は、恐らく本人が思っている以上に雄弁に、侵入者自身の情報を他人の耳に届けていた。
とはいっても、ルナが未熟と評したとはいえ、特殊な歩法で殺した足音を聞きとり、また判別するということは、ルナの天性の感覚の鋭さと圧倒的な経験のなせる技であった。
ふと、ルナはその足音の調子が聞き覚えのあるものだということに気付いた。
(この歩法……もしかして、私と同じ?)
侵入者の足音はまだ稚拙ではあるものの、ルナが『暁の槍』で叩き込まれ、身につけた歩法のパターンとよくにていた。
(《天蜘蛛》の仲間? いや、それならこんなに詰めが甘い訳ないか。でも他の『暁の槍』の残党だとしてもここにいる理由はないし……)
自分がかつて所属していた犯罪組織の関与を疑ったルナだが、どうにも拭えない違和感を感じて内心首をひねる。
そんなことを考えながらも警戒を緩めずに気配を探っていると、徐々に気配は近付いてきて、やがてルナの自室の前で止まった。そのことにルナはどこか納得しながらも、内心で若干の焦りを感じていた。
なにしろ最初はただの侵入者だと思い、まさか対象が自分の部屋だなどとは、ましてや『暁の槍』の関与など想定していなかったルナは現在、完全装備のメイド服である。 多少語弊がある気がしなくもないが、まあおおむねそんな感じなのだ。
侵入者の目的がわからない以上、下手に手を出すのは危険ではあるが、いまさら着替えてベッドに戻ることもできない。
(……仕方ないか)
ルナは素早く考えをめぐらせ、侵入者をこの場で捕縛することに決めた。
侵入者の目的がルナの命か、あるいはこの部屋にある何かなのかはわからないが、ルナを起こさないように扉を開ける際はゆっくりとドアノブを回し、慎重に扉を開けるはずだ。 相手がドアノブを回しきった時点で、一気に扉を開けて扉ごと侵入者を引きよせ、体のバランスを崩した彼あるいは彼女を取り押さえればいい。
(よし、いける)
そう判断したルナは、気配を探って扉のむこうの相手のおおよその体格を把握する。その結果にまた相変わらず若干の違和感を覚えながらも、ルナは完璧に気配を消してドアノブが回り始めた扉にそっと身を寄せた。
ズバーン! 「うぐっ」
「ルナおはよー!! ……ってうわっ、ルナどうしたの!?」
扉を勢いよく開けてひょっこりと室内をのぞきこんだ侵入者――メアリが見たものは、予想外に勢いよく開いた扉に顔をおもいっきりぶつけ、一割程度の痛みと九割のはずかしさに顔を押さえてうずくまる、自分のメイドの姿だった。
* * * * *
「『どうしたの!?』ではありませんよ……」
「ごめんなさい。本っ当にごめんなさい……くくっ」
空が白み始めたころ、使用人棟のルナの部屋には、撫然とした表情のルナと、そんなルナに謝りながらも笑いを堪えるメアリという、普段とは立場の逆転した珍しい光景が広がっていた。
「だ、だってルナが……ドアに……顔を……く、くくっ」
「そもそも、どこでそんな気配の消し方を習ったのですか……」
メアリが普通でない歩法をしていたからこそ、扉に顔を強打するというルナの目指す『メイドの美学』にふさわしくない間抜けな絵面になったのだ。顔には出さないが、ルナは恥ずかしい場面を見られたことに内心で悶絶していた。
答えをなんとなく察しながらも、ルナは若干の恨みのこもった目で目の前に座るメアリに問い掛ける。
「え? ルナがたまにやってるのを真似しただけなのだけど?」
「…………」
案の定の答えに、メアリのチート具合にはもう何もいうまい、とルナは心に決めた。
ルナがずっと感じていた違和感の正体は、メアリの歩法がルナのそれに『似過ぎていた』ことにあった。
通常、気配を断つ方法は、それを使う当人の経験に基づいてある程度改変され、本来の歩き方とは若干異なる物になることが多い。ルナの歩法もその例に漏れず、訓練で教えられた歩法をベースに、ルナの幼い体に合わせたアレンジが加わっていた。そして、メアリの歩き方はそれに酷似していたのだ。
そもそも、暗殺者としてはこの国でも最高峰にいるルナが全力で気配を断つと、たとえ直視していたとしても、その挙動どころか顔を認識することすら困難になる。
そんなルナの隠行を、ほんの一端とはいえ『見て』覚えるということの異常性、もとい特異性をメアリは理解しているのだろうか、とルナは目の前の自分の主を見やる。
「……ん? なにかしら? ルナ」
「……これはわかってないですね」
「え?」
「いえ、なんでもないです」
「なんだか扱いが酷くないかしら!?」
もしかしてまだ少し怒っているの? というメアリの言葉にルナは気のせいでしょう、と軽く返す。
「そうではありませんよ。……はあ、とりあえずお嬢様はその歩き方は禁止です」
「どうして?」
「おおかた『パーティーで使えば影が薄くなって便利』とでも考えていたのでしょう?」
「えっ、いや、その……うふふ」
ルナのじとっとした目線に目を泳がせるメアリ。どうやら図星だったらしい。自分の主の無自覚な才能の無駄づかいに、ルナは思わず額に手をあててもう一度溜息をついた。
「いいですか、確かにその方法ならば大多数の貴族から注目されることはないでしょう。でもそれは、一定以上の実力を持つ護衛の人間や一部の貴族には効果がないということでもあるんですよ」
騎士団に所属していたり従軍経験があったりして、気配に敏感な貴族や腕のたつ護衛はそれなりにいるし、そういう者達の前で下手に気配を消すということは、「私は怪しいです」と喧伝しているようなものだ。
ルナの説明に、不満げだったメアリははっとして面を改めた。メアリは根っからのスーリヤ家の令嬢である。こう言っておけば、家に不利益が出るような噂の原因になるようなことはしないだろう。
「まさか、もう使ってはいませんよね?」
そういえば先日もパーティーに出席なさっていましたが、というルナの疑惑の視線に、メアリはあわてて手を振って身の潔白を主張する。
「い、いやいや、していないわよ?」
「本当ですか?」
「本当よ! だってこれを覚えたのも、もとはルナを驚かせようと思ったからだし、パーティーでどうのってのはルナに見せてからにしようと思っていたもの」
「……もう、いいです」
メアリの想像の斜め上を地でいくさまに、ルナはついに頭を抱えた。それなりの自信と自負を持っている自身の隠行を、ほんの一端とはいえ素人のメアリに見抜かれ、あまつさえコピーまでされた理由がそんなどうでもいい理由だなどとは信じたくなかった。
「……それで、結局なんのご用だったのですか?」
まだ夜が明けたばかりだというのに、すでに疲労がたまりはじめたように感じるルナは、本題にはいることにした。正直いやな予感しかしないのだが、目をそむけていてもまた別のところで疲れるだけだ。
そんなある種の悟りの境地に達したルナの言葉に、メアリは「そう、それよ!」と体を机にのりだした。
「お父様が、ついに、私の冒険者登録を認めてくださったのよ!」
「…………はあ」
ルナはたっぷりと間をおいて返事をする。ルナのそろそろ3年目に突入するメアリとの付き合いからくる経験が全力で警鐘を鳴らしはじめた。ものすごくいやな予感がする。
「それはよかったですね。冒険者ギルドへはアランといくのですか?」
「アランは今日はお休みよ。スコットもお父様の護衛の仕事が入っていたわ」
「では、明日以降に行くことになるのですね。それはおめでとうございます」
「お父様はルナと行くなら今日でもいいと言ってくださったわ」
「……」
「言ってくださったわ」
大事なことなので2回言ったようだ。どうにか現実に抵抗しようとこころみていたルナだったが、メアリの言葉にあっさり逃げ道を封じられた。もとよりルナに逃げるという選択肢は残されていなかったのだが。
それでも、面倒な事態になる予感しかしないルナはメアリになんとか冒険者登録を思いとどまらせようとする。
「……お嬢様では中級冒険者が数名で因縁をつけてきた場合、対処できないではありませんか」
メアリもいちおう剣を習ってはいるが、それはせいぜいが護身用の域をこえない程度のものでしかなく、相手の動きは目で見えても体がついていかない、といった状態であった。
「……うん? なんのことかしら?」
「なんのこと、とおっしゃられましても……私達のような女子供が冒険者になろうとすると、登録の場で大抵だれかしらにからまれるものなのですよ」
「そんなきまりがあるの?」
「きまり……といいますか、様式美?のようなものかと」
わけがわからないというようにこてんと首をかしげるメアリに、同じように首をかしげるルナ。実のところ、ルナも冒険者については、何人か殺したことはあっても会話などしたことはなく、あまり詳しくはなかったため、なんとなくのイメージで言っていた。
「……まあ、いいじゃない。 なにかあったらルナが守ってくれるんでしょう?」
「それはもちろんです」
即答であった。
「だったら問題ないわよね。さあルナ、冒険者ギルドに行くわよ!」
「私はあまり目立ってはいけないのですが……」
半ば諦めているルナの弱々しい最後の抵抗は、冒険者登録という甘美なひびきに気分が高揚しているメアリの耳に届くことはなかった。




