43. ジェフィードとの対話 1
メアリが屋敷にもどって数日後、ルナはジェフィードに呼びだされ、書斎にジェフィードとむかいあって座っていた。
ジェフィードにメイド服は着てくるな指示されたため、現在のルナの服装は薄い茶色を基調としたシンプルな私服である。流石に孤児院時代に着ていた服は持ってきていない。
「当主様、私に要件とはなんでしょうか」
「そう堅くなるな。私がなんのために君のメイド服を禁止したのかくらいは、気付いているだろう?」
そう言って、軽く手をふるジェフィードの言葉にルナは小さく息をはき出し、肩の力を抜いて苦笑いを返した。その途端、ルナのまとっていたクールな侍女としての雰囲気はたちどころに霧散する。
「『メアリのメイドではない』私と会話するためですか」
「ああそうだ、今日は君と腹を割って話をしたかったからな。みたところ、君は線引きをきっちりとするタイプのようだし、『伯爵』と『使用人』の状態で君と率直な会話はできないと判断させてもらった」
ジェフィードの的を射た言葉に、反論できないルナはどこか気まずげに目をそらす。
「まあそれはいい、まずは君の処遇についてだ」
そのジェフィードの言葉にルナの顔に緊張が走った。このさきのジェフィードの言葉によって、ルナとメアリのこれからの関係が決定する。 たとえスーリヤ家を放逐されたとしてもルナは影からメアリを守るつもりではあるが、それでも公然と側にいれるのであればそれが最善だ。
「まず、君が《黒猫》だったということについて裏付けがとれた。正直半信半疑ではあったんだが、残念ながら『暁の槍』から押収した《黒猫》の短刀が保管庫から消えていた」
さすがにあの強さを見て君が《黒猫》だということは疑えないしな、というジェフィードの言葉に違和感を感じたルナは、思わずジェフィードに問いかける。
「残念ながら、ですか?」
皮肉の色のないジェフィードの言葉は、まるでルナが残ることが前提になっているように聞こえて、ルナは耳をうたがう。 そんなルナに、ジェフィードはかつてルナと共にメアリへのドッキリを成功させたときと同じような、にやりとした笑みを浮かべた。
「ああ、君が《黒猫》だったおかげで、君の経歴の偽造をしなければいけない私の苦労が増えるだろう?」
「なっ……!?」
ジェフィードの答えを聞いたルナは今度こそ目を丸くした。その言葉は、ジェフィードがルナの処分を決めず、まだメアリがルナに対する決定権をもっている以上、ルナにこれまでと同じ生活をさせると言っているのと同義だ。
そんな呆然とするルナをよそに、戸籍の偽造のときの騎士団への根回しの大変さについての話にそれはじめたジェフィードに、ルナはこらえきれなくなって質問する。
「……どうして、そこまでするんですか?」
「ああ、そう警戒しなくてもいい。……正直、君が団員を殺したことがあるということに何も思わないわけではないが、あの襲撃作戦では相応の犠牲は皆覚悟していたから、いまさら私がどうこう言う問題でもない」
「……当主様」
なんでもないように言っているジェフィードだが、自警団員を家族同然に思っているジェフィードがそう簡単に割り切れるわけがない。
おそらく今も、団員の仇でもあるルナを今すぐ捕らえたいとも思っているはずだ。それでも、その感情をおくびにも出さないジェフィードにルナは感心する。
「とりあえず、君は信用できる黒髪の団員の娘という設定にしてある。当初の予定通り、君には学院でメアリのつゆ払いをしてもらおうと思っているが……どうした? なにかふに落ちていないようだが」
「私が裏切る、とは考えていないのですか?」
いくらメアリの信用を得たからといって、つい先日まで疑っていた人間をこうも信用できるものだろうか。ここまで信用できるということは今までの疑惑を拭底しうる『なにか』があったのだろうが、そのなにかがルナにはわからなかった。
そんなルナの疑念を察したらしいジェフィードは、ふむ、と一呼吸おいて話しはじめた。
「君が転生者だ、とメアリから聞いたからな。君が裏切るということはないと思っている」
「どういうことでしょうか?」
「君が転生者だと聞いた私がどれだけ安心したか、君にわかるか?」
ただ単に転生者に温厚な人間が多いから、というわけではないだろう。 ジェフィードの言葉にルナはしばらく眉を寄せて考え、やがて納得したようにぽんと手を打った。
「なるほど、『洗脳』ですか」
「ああ、正解だ」
ルナの言葉に、ジェフィードはわが意を得たりというように深くうなずいた。
人を見る目には自信があり、実際に自警団に潜りこもうとする間諜や邪な考えをもつ者を数度の面接だけでふるい落とし『信頼できる自警団』を維持してきたジェフィードが、いまいちルナを信用しきれなかった理由がこれだった。
ルナのメアリを守りたいと思っている気持ちが本物だということはわかっていたし、スーリヤ家に入った理由にも他意はないことも見てわかっていたのだが、幼児期から『暁の槍』という特殊な環境で育ったルナは、人格の形成段階からすり込みに近い形で、洗脳まがいのものを受けている可能性もあった。
「孤児院に入った経緯も調べていたし、もとから君が訳ありだというのはわかってはいたんだ」
「そうだったのですか?」
「ああ。君がこの屋敷にきたはじめの頃、侍女としての立ち居振る舞いを身につけるのが異常に早かったのも、以前に一度侍女としての教育をうけていたことがあるのであれば説明がつく」
「あー、たしかにその通りです」
ルナは上手くごまかせたと思っていたその時からすでに疑われていたということに、内心で冷や汗を流す。下手をすれば、その時点でスーリヤ家を叩き出されていたかもしれなかったのだ。
「だが、私もそれなりに人を見る目には自信があるつもりだ。君がメアリの側にいる時の笑顔に偽りはないことくらい、見ていればわかった。だからある程度までは受け入れようと思ってはいたんだがな……」
「まあ、『暁の槍』ですからね。仕方ないかと」
「……ああ。関係者かもしれないとは思っていたが、まさか幹部だとまでは思わなかった」
ジェフィードは、ルナが孤児院に入った時期と経緯を考えて、ルナが自分達の摘発した組織の関係者である可能性は考えていたが、せいぜい『暁の槍』がつぶした貴族の奴隷を手元に置いてでもいたのだろうと考えていた。 『暁の槍』にいたことがあったとしても1、2年のことだろうと思っていたのだ。
「正直、あの組織に育てられた子供、という時点で前代未聞で、どんな危険があるかわかったものではなかったんだ。 不快な思いをしただろうが、こちらにも立場というものがあるからな」
「……育てられていた自覚はなかったんですが、確かにそう聞くと怪しすぎですね、私」
転生者だったために、『暁の槍』内では最初から対等な同僚としてあつわれていたルナだったが、そんなことを知るよしもないジェフィード達からすれば、得体のしれない組織で殺しの英才教育をうけて育った子供である。怖い。
実際は『暁の槍』は洗脳方面の精神干渉系には一切手をだしていなかったのだが、残念ながら疑って疑いすぎることはなかったのが『暁の槍』という組織であった。
ともあれ、ルナが「メアリを守りたい」と言う笑顔のままスーリヤ家に牙をむく、という可能性があった以上、家や自警団を守る義務があるジェフィードは、ルナに対する警戒を解くわけにはいかなかったのだ。
「君が転生者だと聞いて、洗脳や刷り込みの心配が薄れたときは心底ほっとしたぞ」
「……では、私は」
「ああ、私からはとくに命令はしない。貴族としてのメアリの意見を尊重するさ。私は君を信用できると判断した」
「ありがとう、ございます」
ルナはひとまずメアリと離れる心配がなくなったことに安堵の息をはく。 そんなルナをジェフィードは純粋に娘の友人を見る父親の目で見ていたが、やがて当主としての顔に戻ってルナを見据える。
「さて、そうは言ったが、君を匿うにあたってこちらは少なくないリスクを負うことになっている。 君が望むならば、これまでとまったく同じ生活を送ってもいいが、こちらとしてはなにかしらの対価をはらって欲しいところだ」
君も何もしなければ落ちつかないだろうしな、というジェフィードの言葉に、ルナは姿勢を改めて彼に向きなおる。
当然ながら、自警団を擁するジェフィードが、疑われることはほぼないであろうとは言え、犯罪組織の元幹部であるルナを抱え込むリスクはかなり高い。いくら娘に甘いとはいっても、ジェフィードは無償でそこまでできるようなお人好しではない。
ルナも、何の対価もなしにスーリヤ家に留まりたいなどと都合のいいことは考えていない。当然手札になるいくつかの交渉材料を準備していた。
「ではいくつかこちらから協力できるものを申し上げます」
ルナはしっかりとジェフィードの目を見据えて話しはじめた。




