38. 救出
「うわ怖ぁ…」
外から中の様子は見えないにもかかわらず、避難していなければ寸分たがわずに空色の髪の青年の首に突き立っていただろうその墨色の刃を見て、《天蜘蛛》は笑顔のまま冷や汗を流す。
すると、チッという舌打ちが聞こえたかと思うと、そのまま刃が真一文字に幌を切り裂き、その裂け目からスルリと黒い影が荷台に滑り込んだ。
即座に《天蜘蛛》が手から放った鋼糸が影を切り裂こうと迫るが、影が一閃したナイフに切断されて制御を失いはらりと床に落ちる。
メイド服をまとったその影――ルナの、メアリが無事なことに安堵の息を吐く顔を見て《天蜘蛛》は苦い顔をする。
「うえ…やっぱルナって《黒猫》のことだったのかー…。それにしても幼女だったのに数年で随分と成長したね。天国にいる《銀鎖》が悲しむよ」
「黙れ。お嬢様に傷一つでもつけていてみろ、殺すぞ」
メアリはルナが突然この場に現れたことに困惑しつつも、ルナから放たれる殺気と怒気をはらんだ低い声に相変わらずの恐怖と、それを上回る安心感を得て涙目になる。
いくら気丈に振る舞おうとも、やはり緊張していたのだ。
「いやもうここで《伝書鳩》の部下が一人死んじゃってるんだけどね? …時に黒猫さん、総帥のところに戻ってくるつもりはないかな……ってナイフ投げないでくれる!?」
「あの老いぼれ、まだ生きてましたか。その情報は感謝します」
「それならナイフ投げるのやめてくれないかなあ!? ってかあの《黒猫》が敬語とか気持ちわる……ごめんごめん冗談冗談!」
額に青筋を立ててナイフを構えるルナに、冷や汗をだらだら流しながら後ずさる青年。
だがそんなふざけた掛け合いをしながらも鋼糸をあやつり、的確に急所を狙うナイフの腹に押し当てて弾くことでナイフの軌道を反らすという、地味ながら常軌を逸した行為を片手間にやっている。
因みに、ルナの本領は投擲ではなく【影遁】で接近しての近接戦闘で、また《天蜘蛛》の得意とする領分も防御ではなく攻撃であり、お互いにそれは解った上でのこのやり取りである。
「周囲の被害がどれだけのものになるかわかりませんので、貴方とここで殺りあうつもりはありませんが、お嬢様は返していただきますよ」
「周りなんてどうでもいいけど、僕も同胞を積極的に殺そうとは思わないから賛成。でも戻らないってことは《黒猫》も他の二人みたいに『主』を見つけたんだろ?」
「二人…? ああ、《緋槍》と《蒼剣》ですか。あの二人も主を?」
「うん、二人で同じ『主』に仕えてた。もうあいつら結婚しろよ」
「あの二人まだ結婚していなかったんですか…」
「気持ちはわかるけどツッコむとこそこ? あの最強夫婦が個人につくなんて過剰戦力だーとか言わないんだ」
「いやー、彼らなら嫌な命令はあっさり断りそうですし」
「まあ確かに。……これくらいでいいか?」
《天蜘蛛》の言葉に、ルナは唐突に始まった自分の侍女と誘拐犯の世間話のノリに困惑しているメアリを守るように立つ。
「当然お嬢様は返していただきます。最後に、あと何人さらうつもりですか?」
「やっぱりこの子貰っちゃだめかー。でもそれ答えないとダメ? その子にそんな価値があるとは思えないんだけど」
「人の主を誘拐しておいて随分な言いぐさですね」
「えっ…もしかしなくても《黒猫》の主って、この子? 僕、運悪くない?」
青年は「うへぇ」と顔をしかめてぼやく。
ルナがいたおかげで即座に天蜘蛛の関与に気付けたのであって、その言い分も事実ではある。
自業自得なのでルナは申し訳ないともなんとも思わないが。
「そういう訳ですのでさっさと吐いてください」
「本当はそこの子で最後のつもりだったんだけどね、無理っぽいから今回はあと2人ってとこかな。僕たちを止めなくていいのかい?」
「聞くまでもないでしょうに」
ルナの素っ気ない答えに青年は「まあね」とへらりと笑う。
彼はふとメアリに目を合わせた。
「ああそうそう、怖い思いをさせちゃってごめんね?」
「そう思うのなら他の子供たちを解放して」
メアリの返事に《天蜘蛛》は不意打ちを食らったように一瞬目を見開き、「さすがは黒猫の主」と苦笑いする。
二人が会話している間、呆けていたように見えたメアリはしかし、その会話の意図――代償としての情報の提供――をしっかりと見抜き、独自にできる限りの情報を読み取っていたのだ。
「残念だけど、それはできないかな」
「じゃあ私に謝るのは筋違いね。私はその謝罪は受け入れない」
「手厳しいね」
「当然よ。ルナ、帰るわよ」
「かしこまりました。お嬢様、失礼します」
ルナはメアリを抱きかかえ、「おおーなんか侍女っぽい」という青年の声を無視して走る馬車の荷台から飛び降りた。
荷台からさほど離れていなかった地面に着地し、その道を通る他の馬車に巻き込まれないように道の端によってメアリを立たせると、途端に気まずい雰囲気になる。
「…えっと、ルナ、助けてくれてありがとう」
「い、いえ。当主様がたがお待ちです、お早目にお帰り下さい」
ルナはメアリをジェフィードのもとに送り届けて事情を説明した後は侍女をやめるつもりだった。
唯一の救いだった、メアリに自分が人殺しをするところを見られていないということも、先ほどの救出劇で一人の《伝書鳩》を殺しているためもうない。
そんなルナの突き放すような言葉に、メアリは顔を泣きそうに歪める。
「ダメ。ルナも一緒に帰るのよ」
「ですがお嬢様、先ほどの私をご覧になったでしょう? 私は人を殺しても何も思わない人間なのです」
「だから何? ルナが私の傍にいる資格はないなんて言うつもりじゃないでしょうね」
「そ、れは…」
図星を指されてルナが黙り込む。その反応に、メアリが「やっぱり」と溜息をついた。
「私はルナの『主』なのでしょう? ルナが私の傍にいるかどうかは私が決めることよ」
「しかし! お嬢様…」
反射的に言い返したルナだったが、メアリの納得するまで一歩も引かない決意を秘めた目を見て言葉を失う。
「ねえルナ、私はルナのことをほとんど知らなかったみたい」
だから
「ルナお願い、ルナのお話を、聞かせて?」
きりが悪いですが、多分しばらく更新を止めます。
もしかしたらぽつぽつ投稿するかも知れませんが、遅くとも年内には更新を再開するつもりです。
詳しくは活動報告をお読み下さい。




