34. 圧倒
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(……弱い)
ルナは冷静な表情の裏でそっと溜息をついた。
胸中には、やってしまった、とかこれでもうここにはいられないな、とかいう主に落胆を含んだ思いが渦巻いているが、ここまで来たからにはもう引きかえせない。
こうしなければ間違いなくジェフィードは死ぬか重傷を負っていたので、後悔はしていないのだが。
そんなもうどうしようもないことよりも、今最もルナの頭を占めるのはイレイズの弱さに対する憤りだった。
踏み込みも甘いし槍の振るい方にも無駄が多い。これくらいなら今は冷静さを欠いているようだが、冷静になったアラン達2人でもなんとか対処できるレベルじゃない、と。恐らく、アランが初めの一撃を受けようとせずに避けていれば二人だけでなんとかなっていただろう。
この程度の相手に自分の築いてきた関係を壊されるのか、と。
イレイズがさらに槍を振るってくるが、手に持ったイレイズの小型のナイフ一本で全て余裕を持って捌ききる。
イレイズの槍は『弱者を嬲る』槍だ。無意識にだろうが、自分よりも格下の相手だけを想定し、いかに彼らの精神を効果的に追い詰め恐怖を刻み込んで屈伏させるかだけを追求し、槍さばきは大振りに、戦闘中に発する声はただ相手を威嚇し萎縮させるためだけのものになっている。アラン達にしたように先手をとって混乱させ、平静さを奪った状態でなら効き目はあるだろうが、ルナにとってそれらはすべて隙であり攻撃を入れるための穴にしかならない。
鬱陶しくなってきたルナは身を屈めて槍の一撃を頭上でやり過ごし、身を回してその勢いをつけた蹴りをイレイズの鳩尾に突き出した。 胸の中央に直撃した蹴りの衝撃でイレイズの足が床から離れ、壁に叩きつけられる。
「がはッ……!」
「いやいや、その程度で『壱』のエース二人を殺す? ありえないでしょう。言っておきますが、あの二人は直接的な戦闘力で言えば私よりも上ですよ?」
「て、テメェは何だ……!」
イレイズが呻きながらも睨めつけてくる。一応強化された蹴りの直撃を喰らってもまだ意識もあって戦意を失わずにいるあたりは、腐っても『暁の槍』といったところか。
しかし、イレイズの問いはこの場にいる全員が持っている疑問だろう。
答えるべきか、結論はすでにジェフィードを助けたときに出ている。このまま誤魔化してもスーリヤ家の面々なら受け入れてくれそうな気もするが、今までのように隠すのはともかく、疑いをもたれた今、特にメアリには嘘をつきたくない。
ちらりとルナがメアリを見遣ると、目まぐるしく変わる状況についていけずに目を白黒させていた。
その時、ルナの手に持っていたイレイズの小型ナイフが、戦闘の負荷に耐えきれなくなったのか不意に根元から折れた。
それを見たイレイズはチャンスだとにやりと嗤う。しかしルナがため息を吐き、軽く両手を振るのをみて怪訝そうにする。
次の瞬間、イレイズは顔を真っ青にして後ずさった。
「なっ、その短刀は……!」
ルナの両手にはいつの間にか光を一切反射しない洋式の墨色の短刀が握られていた。
ルナもこれでメアリと決別することになるかも知れないと思うと内心穏やかではいられないのだが、努めて冷静に言葉を放つ。
「まあ良いでしょう。貴方は名乗りからして全くなっていませんでしたし、お手本を見せて差し上げますよ」
自らの罪を告白し懺悔するように、しかしそれでもその生き方に誇りを持っている者の目で、両の手に短刀を無造作に逆手に構えたルナは言い放つ。
「元『暁の槍』が『参』所属、《黒猫》ルナ。参ります」
その言葉に、室内の空気が凍りつく。
自警団のメンバーは信じられないとばかりに目を見開いている。
アリスとメアリの母娘だけは何が起きたのかわからない様子で、唖然としてた表情から一転して厳しい顔になった男性陣を不安そうに見つめている。
「ふッ、ふざけんな! 黒猫だと!? この偽物がはぁッ……!」
「貴方程度と一緒にしないでいただけますか?」
周囲の人間から見ると、ルナの姿が黒いもやと共にかき消えたように見えた。
ルナは一拍置いてイレイズの眼前に出現すると、短刀のつかをイレイズの腹部にねじこんだ。
「がっ…はっ…! チ、クショォぉぉ!」
「これだけやってもまだ倒れないとは……。これだから中途半端に力を持った奴は面倒くさい」
呆れたようにつぶやくルナに、イレイズが手に持った槍をでたらめにふり回す。
スコットが近づくことすらできなかった、大の大人が一撃で吹き飛ぶ威力をもつそれをルナは軽いステップで避け、受け流し、じりじりとイレイズとの距離を詰めていく。
「く、っそぉぉ…!!」
「どうやら、随分とぬるま湯につかっていたようですね……彼我の実力差もわからないとは」
淡々と、しかし静かな怒りをふくんだ口調のルナがイレイズを2本の短刀で攻めたてる。
実力差は圧倒的で、明らかに体格でまさるイレイズが完全に押し負けていた。
ルナが無造作に突き出した短刀の一撃をイレイズは槍の柄で受けるも、想像以上の力に2.3歩後退する。
「真面目に相手をするのもバカらしくなってきました」
そんなイレイズを圧倒するルナを唖然として見つめる周囲の視線を感じながらルナはぼやく。
ルナはため息を一つ吐くと、メイド服の中に二本の短刀を仕舞った。
訝しげな表情になりながらも、先ほどとは違って警戒を解かないイレイズをルナは鼻で笑う。
警戒するイレイズの背後に一瞬で回り込んだルナが首筋に手刀を打ち込むと、イレイズはそのままの体勢で床に崩れ落ち、完全に沈黙した。
誰もが唖然として床に伏したイレイズと彼を圧倒したルナを見比べる。
「……ルナ君」
「なんでしょうか」
痛いほどの沈黙の中最初に口を開いたのは、未だ伯爵としての顔を続けて事態の推移を見守っていたジェフィードだった。
「先ず助けてもらったことには礼を言おう。ありがとう」
「当然のことをしたまでです」
「そうか、しかし聞き流せないこともある。……君があの《黒猫》だというのは本当か?」
「はい、事実です」
ルナの答えに再び室内に緊張が走り、スコットが剣を構えようとしてジェフィードに手で制される。
「やめろ、勝ち目がないのは見ていてわかっただろう。――黒猫は4年前に死んだ筈だ」
《黒猫》は4年前のスーリヤ家自警団・騎士団共同の『暁の槍』摘発作戦時に死亡している扱いになっている。
しかし、《緋槍》だと信じて疑わなかったイレイズを一蹴したその実力は、確かに十二将クラスに相応しい。訝しげにジェフィードはルナを見る。
「存じ上げております。が、資料を拝見致しましたところ、そちらが《黒猫》だと判断した死体は他の幹部のものだと思われます」
「……確かにあの報告書には他に考えうる間違いはない。しかし、十二将はもう一人いた……ということか?」
「その十二将という呼び方本当にやめて頂きたいのですが……まあそうです。
そもそも十二将というのもそちら側の勝手な呼称ですし、実際の『暁の槍』は、総帥を頂点としてその下に十三人の幹部、そして幹部がそれぞれ4人づつ所属する『壱』から『参』までの3つの部門に、残りの幹部が統括する研究開発部門の『肆』の計4つの部門から成っています。十中八九、その老人の死体は『肆』のトップの方ですね」
ジェフィードは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「『肆』とやらの情報はこちらでも噂話程度にしか存在が確認できていなかった、それも摘発作戦後にやっとというものだ。どうやら、ルナが『暁の槍』の構成員、それも相当深いところにいたのは間違いないようだな。
……それで、《黒猫》だという君が我がスーリヤ家に潜入していた目的はなんだ」
「そんな! お父様、ルナは私の」
「メアリ、今は黙っていろ」
「……っ!」
厳しい顔をしたジェフィードの言葉にメアリは息をのんで沈黙し、ルナは僅かに微妙な表情になる。
「……いや、目的も何も、私を孤児院から拾ってきたのは当主様なのですが……」
「……あ」
そういえば、とメアリははっとして間抜けな声を上げる。
「私は何もなければあの孤児院に骨を埋めるつもりでしたし、この場にいるのはただお嬢様にお仕えしたいと思ったがためだけです。他意はありません」
「……だが、それを狙ってメアリに近付いたという可能性もある。ルナ君、部屋に戻っていなさい。扉の前に一人監視をつける。しばらく大人しくしているように。メアリ、良いな」
「でもお父様……」
「いいな?」
「……はい」
実際、『暁の槍』はそれくらいの仕込みならば簡単にやってのける組織だった。
過剰に見えるジェフィードの懸念も、過去自分達がやらかしたことを考えて理解できてしまったルナは、おとなしく一礼して食堂から退出した。




