33. 戦闘
「貴様は何者だ、私たちに何の用だ」
今回の旅行の護衛の中で最も腕の立つスコット達が歯が立たないとなると、今すぐに目の前の男をどうにかする手段は無いといっていい。
時間稼ぎをして別荘内で起きている他の戦闘が終わるのを待つため、スコットの意を汲んだジェフィードが男に話しかける。既に彼の纏う雰囲気は先刻までの父親としての”ジェフ”から、誇りを持つ貴族としての”スーリヤ伯爵”へと変わっている。
「へぇ、堂々としたもんだな。今までの泣いて縋ってきた奴らに比べたら百万倍マシだぜ」
「質問に答えろ」
「おォ怖。でもおっさん、どっちが立場が上か解って言ってる? ムカつくな……まあいい、俺は『暁の槍』の十二将が一人、《緋槍》のイレイズ様だ」
「な………! 暁の槍だと?! それに緋槍!?」
剣を構えて聞いていたスコットが、予想外の名前が出てきたことに驚きの声を上げる。
過去、スーリヤ家自警団が騎士団と共同で摘発し、多大な犠牲を払いながらもなんとか壊滅させた組織『暁の槍』。その中でも、一部は取り逃がしてしまったものの、一人殺害するのに20人以上の死者を出した正真正銘の化け物である12人の幹部クラス、そのうち取り逃がした一人が『緋槍』である。
騎士団や自警団といった体制側は彼らのことを便宜上、十二将と名付けていた。
男―――イレイズの言葉が正しければ、今湖畔まで同行している自警団のメンバー全員が束になってかかったとしても全滅するのは目に見えている。
スーリヤ家当主とその娘の護衛を任される程の腕を持つスコットとアランすら軽くあしらったその腕から見ても、彼が緋槍だというのは事実だろうとジェフィードは判断する。
勝てない―――そんな絶望が室内に満ちる。そんな中でも、空気を読まないイレイズの声が朗々と響く。
「あァ、後は俺の目的だっけ? 言わなくてもわかんじゃねェの? おっさんの奥さんに娘、それにそこの使用人も随分な上玉だよなァ、え?」
イレイズは下卑た目で、四十代には見えない程若々しいアリスとその娘のメアリ、それにルナを順番に舐めるように見る。母娘は嫌悪感からイレイズを睨むが、何ができるわけでもない。
メアリは、この状況下でも泣き出さず、自分と同じく指名されたルナを心配そうに見遣っていた。
大したものだとルナは関心するが、当のルナも平然としているのだから似たようなものだ。まあルナの場合は何か別のことを考えていないと、怒りで我を忘れかねないというのも理由の一つなのだが。
「くははは、その目つきいいなァ。後でたっぷりと可愛がって服従させてやんよ。だからまずは――野郎どもは死ね」
イレイズは言うが早いか懐から取り出した小型のナイフを数本、スコットとジェフィードの2人に向けて視認できない程の速さで投擲した。
「ジェフ!?」
「旦那様!?」
アリスが突然の出来事に悲鳴をあげる。
スコットはとっさに剣で自分に向けて放たれたナイフを全て叩き落とし、無防備だったジェフィードに振り返った。
ジェフィードもそこそこ剣は使えるが、護衛のスコットやアラン程ではない。スコットは絶望的な気持で振り返ったが、見た光景は予想もしないものだった。
「――先ほどから黙って聞いていればよくもまあ。緋槍?とおっしゃいましたか。当主様を殺す? お嬢様や母君をどうなさると? ……随分といろんな方面に舐めた口を利いてくれやがりましたね」
一同の視線の先にいたのは、3本のナイフを指に挟む形で全て受けきった、つい先程までジェフィードからは一番遠い下座でメアリの隣に座っていたはずのルナだった。
その漆黒の瞳は静かな怒りに燃え、凍てつくような殺気を放っている。
「……は?」
信じられない光景を前に、イレイズを含む食堂にいる皆が呆気にとられる。守られた側のジェフィードですら珍しくぽかんとした表情を浮かべている。
メアリに至っては、ついさっきまでルナがいたはずの自分の隣の席と父親の前に立っているルナをしきりに見比べていた。
真っ先にわれに返ったのは、この場所を敵地だとしっかりと認識していたイレイズだった。スーリヤ家の奥の手だとでも考えて納得したのか、鋭い殺気をルナに向ける。
「ガキが、舐めた真似してんじゃねェぞ」
「ルナ、彼は危険だ! 早く逃げないと殺され……くっ!」
「うるせェよ」
ルナに向けられた殺気に反射的に年長者として逃げるよう言ったアランに、イレイズは軽く槍を振るう。明らかに手加減された一撃に、しかしアランは受け留めるだけで精一杯になる。
沈黙したアランには一瞥もくれず、イレイズは嘲るような口調でルナに話しかけた。
「おいガキ、お子様は知らねぇかもしれねェだろうが、俺ァ『暁の槍』っつー「ああ、思い出しました」……あァ?」
「確か『弐』お抱えの《伝書鳩》にあなたのような地味男がいましたね。平凡すぎてすぐには思い出せませんでした。……というか、そんなキャラでしたっけ? 昔はもっと影が薄…地味…失礼、落ち着いた雰囲気でしたのに」
「なッ……!? てめェ! なんでそれを!」
ルナの言葉にイレイズは目に見えて動揺する。
「間違ってもそんなチンピラみたいな言動をする人ではありませんでしたよね……? しかしまあ、貴方程度が《緋槍》を名乗るなど、身の程知らずにも限度があるでしょう。偶然得物が槍だったから思いついたのかも知れませんが、分不相応です」
「うるせェ! 俺だって変わったんだよ! 舐められてたあの頃の俺じゃねェぞ、ガキが。お前はなんでか知らねェが昔の俺を知ってるみてェだから嬲るのはやめだ、ここで殺す。緋槍だろうが蒼剣だろうが、俺の過去は全部殺し尽くしてやんよ!」
「おい、ルナ! 逃げるんだ!」
ルナ達の会話の意味はほとんど理解できていなかったが、今ルナの目の前にいるイレイズはスコットとアランを圧倒できる力量をもっているのは間違いない。
吹き飛ばされて彼我の力の差をはっきりと理解できていたアランは、激昂したイレイズがルナに迫り、首を薙ぐように槍を水平に振るったのを見て血相を変えてルナに叫ぶ。
しかし、アランの叫びが役にたつことはなかった。
「なっ……?!」
驚きの声を上げたのは誰だろうか。
ギィィン!という音とともに、イレイズの速さ、重さ共にこれまでとは桁違いの一撃が、ルナが持つ投げられたナイフに受け止められていた。




