29. 湖畔の別荘
「わあ! ねえねえルナ、あれ見て! 真っ白な湖よ!」
目的地のレクタン湖が近付いてくると、メアリは興奮してルナに窓の外を示した。
高台を走る馬車の窓からは、真っ白な雪に覆われ、まばらに木が生えた幻想的な風景の森と、その木々の隙間の向こうにある凍り付いた巨大な湖が見える。
「綺麗ですね。雪遊びにはもってこいです」
ルナも感嘆の声を上げる。
今回ジェフィードが計画したのは、要約すると冬の湖でのメアリとアリスのストレス発散である。
ルナが以前、メアリは適度にガス抜きをしないと何をするかわからない、とジェフィードに進言したためだ。ジェフィードもメアリが生まれてからずっと大人しくしていたアリスもついでに、と家族旅行を計画したのだ。
「楽しみね!」
「そうですね、お嬢様がやらかすであろうことを考えなければ」
「……ルナ、余計なことは言わなくていいのよ?」
「まあまあメアリ、ほらそろそろ着くわよ」
仮にも主に対してしれっとした表情を崩さずに全く遠慮のない物言いをするルナに、それに怒るでもなくただむくれるメアリ。
そんな二人の掛け合いを微笑ましそうに見ながらも、流石にそれは主従としてどうなのかとアリスは二人を仲裁した。
「ルナちゃん、基本無表情なのに結構辛辣よね……」
「ルナは仕事の時になると仕事モードとかでこんな感じになるんです。なんでも知的でクールな侍女を目指しているとかで…。
休みの日は普通に女の子らしいのですが……」
二人が無言でルナを見る。
と、ルナはわずかに得意そうな表情を浮かべ「メイドの美学です」と貧しい胸を張った。母娘はそろって微妙な顔をする。
「公私がきっちり分かれているのはいいことなのだけど……」
「もはや二重人格かと思うぐらい違いますよ、お母様」
「それもそれでどうかと……あら、着いたようね」
そうして一行を乗せた馬車は、目的地であるスーリヤ家の別荘に到着した。
「お嬢様、お手をどうぞ」
「ん、ありがと」
護衛のアランと使用人のルナが最初に馬車を降り、メアリが馬車から降りる手助けをする。メアリの手を取るのは専属のルナの役目だ。
続いてアランを支えにアリスが地面に降り、一行は別荘の中へ入った。
ルナが今回の旅で初めて知ったことだが、アランは普段は殆ど喋らない寡黙な男らしい。事実、今までの旅路でアランは必要事項以外では口を開いていない。東の市でぺらぺら喋っていたのは完全に演技だったそうだ。
その話を聞いたルナはついアランを二度見したほど驚いた。それほど当時のアランの喋りが自然だったのだ。
「わあ、別荘と聞いて、もう少し小さいものを想像していたけれど、意外に大きいものね」
「そうですね、掃除も行き届いておりますし、なかなかいいところです」
「久々にここに来たわ、懐かしいわね。最後に来たのはメアリが生まれた時だったから、十年以上前になるかしら」
そう口々に感想を言い合う三人。ホールに集まり、ふとメアリは疑問に思ったことをアリスに尋ねた。
「お母様、十年もここに来ていなかったのなら、どうしてこんなに奇麗なのですか?埃の一つも見当たらないのですが」
「ええと、なんでだったかしら……ジェフが前に何か言っていたような気がするけれど、忘れてしまったわ。もう少しで思い出せそうなのだけど」
「恐らく魔術かなにかでは? もう夕方と言ってもいい時間ですが、それにしてもこの別荘の中は薄暗いような気がします」
ルナは既に答えが分かっていたが、敢えてそう言う。
魔術は本来貴族や魔術師に弟子入りしたような限られた一部のが学ぶもので、そこらの平民は存在は知っていて見たことはあっても、詳細な仕組みや術を知っている物ではない。
「ああ、それよ、確か闇魔術の【状態維持】だと言っていたわ」
アリスはポンと手を打って記憶を堀りおこした。
「闇魔術ですか?」
「ええ、細かい仕組みは来年から始まる学院で習うのだけど、闇属性の魔力を空間に満たして、闇属性の性質の一つ『沈静化』を使って埃が出ないようにする魔術らしいわ。
大きなカバーでお屋敷の内側全部を覆ってしまうようなもの……と言っていたわ」
現代の感覚で言うと、紙にラミネート加工をするようなものだ。
腐敗などには効果はないが、掛けておくと紙に小さな火が近付いても燃えなくなるぐらいには便利な術である。が、効果を持続させるには魔力を多く込めるか定期的に魔力の補充をしないといけないため、余り使われないマイナーな術である。
「そんな術もあるのですか。魔術とは面白そうですね」
メアリは感心したように何度も頷いている。魔術に興味を持ったようだ。
「関心があれば自警団の魔術師にでも話を聞いてみるといいわよ、学園で魔術科を目指すのもいいかしら」
「本当ですか?」
「ええ、メアリは婿を取って……婿……チッ」
「お母様が舌打ちした!?」
婚約者様はスーリヤ家の皆から例外なく嫌われているのだった。
メアリは母親のイメージが音をたてて崩れていくのを感じていたが、ルナはアリスに深く共感していた。
「とにかく、メアリは婿を取って、その婿がスーリヤ家の当主になるわけだから将来の選択岐は結構多いのよ。
まあ、魔術科に入るには魔力量が多くないといけないから、努力ではなくて持って生まれた資質の問題になるのだけど……あら、そろそろディナーの時間ね」
部屋の隅にある木造の振り子時計を見て、アリスは脇に控えたルナに指示を出す。
「ルナちゃん、この話は長くなりそうだから先にご飯の準備をしておいて。ルナちゃんともお話をしたいから三人分お願いね」
「かしこまりました」
ルナは一礼して、今頃大急ぎで調理をしているであろう厨房へ、料理を取りに部屋を出た。




