あの駅
夏が来ると思い出す。
今は亡き祖父から聞いた話です。
その話はとても生々しくて、今でも終戦日近くの夏の頃になると、夢にでてきます。
祖父が忘れるな、心に刻んどけって、今も言っているのですかね。
もう間もなく終戦を迎える昭和20年初夏の頃、それは起こったそうです。
祖父は学徒出陣で動員され、その訓練中に足を怪我してしまい戦場にはいっていません。
その頃は、町の軍事工場に動員され、働いていました。
祖父の住む田舎の村から、工場のある町まで、およそ一時間、歩きで駅まで30分、それから電車で30分かけて工場まで通ったそうです。
日本の敗戦は濃厚でした。
しかし、それはごく一部の人間が知ること、祖父は別の町が空襲にあったと聞いても、日本の勝利を疑っていなかったそうです。
文民統制というのは恐ろしいですね。
その日はいつもより遅くまで、仕事があったそうです。
祖父は夕日暮れなずむ町の中を、大勢の仲間たちとワイワイ話しながら、駅へと辿り着きました。
突如、空襲を知らせるサイレンが鳴りました。
多くの人達は慌てて電車に乗り込みました。
しかし、足の悪い祖父は、ホームに数人の人達とともに残されました。
次の電車を待つしかありません。
普段なら、そこそこに止む警報サイレンも今日は、いつまでも続いていたそうです。
次第に空が赤くなりました。
町が燃え、薄暗い空を赤々と照らしだしているのです。
電車は出発せず、様子をうかがっています。
恐怖と業を煮やした若い乗客が、次々と出発しろと騒ぎ立てます。
やがて電車は出発しました。
その時です。
祖父の視界一面に眩い閃光が見えたそうです。
その一瞬の記憶はないそうです。
祖父は気を失いました。
気がついて、目を開けると、一面は火の海、駅もホームも無残に朽ちていたそうです。
大勢の人が乗っていた電車は、赤々と燃えています。
その人たちの、叫び声、悲しみの声、怒り、絶望、憎しみ、そして苦しむ声が聞こえたそうです。
祖父はホームに残った人たちと、助けに行こうとしましたが、無理でした。
真っ赤に燃える電車は高度の熱をもち、近寄る事が出来なかったのです。
祖父はただただ、心の中で祈りながら見つめることしか出来なかったそうです。
祖父が亡くなる一週間前の事でしたか、ふと、「あの駅に行ってくる」と言い残し、祖父はふらりと半日ほど帰ってきませんでした。
多少、認知症を患っていましたので、私たち家族は総出で祖父を探しました。
見つけたのは私でした。
祖父はある建物の前で佇んで涙を流していました。
「ごめんな、ごめんな」
何度もそう呟いていました。
祖父は私の姿に気づくと、涙を拭い、
「ここは駅があった場所だ」
と、はっきりとした口調で言いました。
ひょっとしたら・・・いや祖父には見えていたのかもしれませんね、あの駅が・・・。
夏が来ると必ず思い出します。
祖父が戦争の恐ろしさを、私に伝えているのでしょうね。
また、夏がやって来ました。
夏になると、思い出します。
決して忘れてはいけませんよね。




