エルフになる魔法<カラクウェンディ>〜アホでバカな師匠から全てを継承したら、一万年生きるエルフになりました〜
——アホでバカで、最も面白いやつが最強で最高の魔法使いだ。
そう言ったのは、もう一万年前に天に召された『師匠』だった。
まだ体の小さい少女に向かって毎日、自慢げに魔法について力説していた師匠は、端的に言えばバカだった。
「見てみろ。これは<流し素麺を取り逃さない魔法>だ」
「へえ、本当だ。箸を出したところで素麺が止まるんですね」
少女が目の前で見せられたのは、わざわざ切ってきた竹で組み上げた即席の流し素麺台。上流から木製の桶に溜めた水を流しながら同時に素麺も流し、箸で掬っていくのだが、一度掬うとその間に次の素麺が流れてしまうのが難点だった。
回転する仕組みにすれば良いんじゃ?
という意見は怠惰な魔法使いには禁句である。
竹を組み上げるだけでも疲れて死ぬ思いをしたのに、それをさらに改造するなど愚の極みだ。しかもこの装置は師匠が作ったのではない。力のない少女に作らせたのだから、鬼畜である。
「ん〜、うまいっ! ほら、お前も食え」
「師匠。私が食べてる時は、誰が水と素麺を流すんですか?」
師匠は少女にそう言われハッとした。
「そうだな。なら、こうしよう」
師匠は竹の上流にいる少女に近づき、手を伸ばした。
「てーいっ!」
「え」
師匠は手刀で竹を破壊。ばらばらと数時間かけて組み上げた竹が地面へと散らばっていった。
「これでお前も一緒に素麺を食べられるなっ」
「………………」
人の苦労をなんとも思っていない極悪非道な女のことは置いておいてだ。
そもそも少女には、なぜ素麺を流して食べることが良いのかわからなかった。
◇◇◇
「──どうすれば魔法を覚えられるの?」
ある時、少女だった人物は当たり前のように質問をした。
魔法とは、この世の理に逆らい不条理を条理にしてしまう超常現象。
今では多くの者が使えるようになっているが、それでも魔法とは人類にとっては奇跡の産物だった。
「魔法はな、色々な覚え方があるんだ。書物に記されていたり、術式がいきなり頭の中に降りてくることだってある。生まれながらに持っていることもあるし、誰かに与えらてもらったりも……」
魔法の法則全てを解き明かした者はいないとされている。しかし、高みへと至った者はいる。
この、目の前にいる頭のおかしい『師匠』のように。
「じゃあ、死なない体になれる魔法もあったりするの?」
続いて質問したのは、永遠の命を得られる魔法のこと。
少女はただの人間に過ぎなかった。そして、同じく師匠も人間だった。
誰かに殺されずとも寿命がくれば死ぬ。
しかし、まだ生を受けて十年ほどの少女は、早くもその限りある命の灯火に着目した。
「…………あるだろうな」
どこか、遠くを見ながらそう言った師匠。
世界一有名な魔法使いであっても、知らないものは知らない。
しかし彼女は師匠である。大事な弟子である少女にバカにされるわけにはいかないのだ。
「なんていう魔法なの?」
詰め寄るように師匠に接近。
少女はキラキラと目を輝かせた。
そして師匠が紡いだその魔法の名は──
「──<エルフになる魔法>だ」
師匠は死なない体になれる魔法は知らない。
しかし、似たような別の魔法は知っていた。
捻り出した答え。
それは寿命を持たない種族とされるエルフのことだった。
透き通るような綺麗な髪を生まれた時から持ち、宝石のように輝く瞳は時代によっては人々を魅了した。見た目はそれぞれだが、一つだけ揃った特徴があった。
――それは耳が人間より三倍ほど長いこと。
師匠が長く尖った耳をピクっと震わせた。
「なんで師匠はその魔法の名前を知ってるの?」
少女は疑問を口にし、そして師匠の特徴的な耳を視界に収めた。
師匠は少女を抱き上げ、互いの瞳が交差する。
「—————私がエルフになったからだ」
エメラルドのような翠色の双眸がじっと少女の瞳を見つめた。
少女は思った。
永く生きた方が幸せで、色々なことを楽しめるのではないかと。
師匠のような人生――ゆらりゆらりと漂う遊覧船のような生き方が、一番幸せなのではないかと。
それなら、人間の自分はエルフになるべきだ。
エルフこそが人生を誰よりも楽しめる存在なのだと、そう思って──
「──なら、私もエルフになる!」
そう師匠に向けて屈託のない笑顔を向けたのは、もう一万年も前のことだ。
◇◇◇
雲のような灰色の長い髪をお洒落に編み、子供のような幼い顔には宝石のような碧い瞳が揃う。
特徴的な長い耳にはダイアモンドより硬い結晶石を拵えたイヤリング。
整った顔ではあるが、その表情はまるでやる気がない。
「――お師匠様。そろそろ起きてください。朝は私の日課を見てくれるって約束だったじゃないですか」
「あー」
「お尻ぺんぺんしますよ?」
「うー」
お師匠様と呼んだのは薄青の髪をストレートに長く伸ばした人間の少女。
まだ十歳になったばかりだが、目の前の師匠より大人で世話焼きだ。
「あいだっ!?」
「お師匠様が起きないからです」
ぐちゃぐちゃになった毛布をうつ伏せのまま抱き、ぷりんとしたお尻を向けていた師匠——クラウは、弟子である少女――アーリィに、ぺちんとお尻を叩かれた。
だらだらと起き上がるクラウの腕を抱え、肌着のままなのに無理やり引きずるようにして外へと連れていった。
「さぁっっっっむ!?」
外は大吹雪だった。
山の中腹に建てられた小屋から出たクラウはその寒さに目が覚めた。
覚めたどころではない。垂れた鼻水は出てすぐに凍りつき、つららとなって空気を吸い込むのを阻害した。
「死ぬっ、死ぬって!?」
「お師匠様はそれくらいじゃ死にません」
「バ、バカいうな。私の師匠の死因は喉に餅を詰まらせたことによる窒息死だ。人なんて簡単に死ぬんだ」
「知ってますよ、それ嘘ですよね。前に違うこと言ってました。――大丈夫です。餅くらい私が喉に手を突っ込んで引っこ抜いてあげますから」
「そんなことしたら、私の喉が裂けちゃうじゃん」
冗談を交えた会話をする二人。
クラウが薄着の一方、アーリィは何重にも着込んだ暖かい服装。寒さはそれほど感じていなかった。
「――では、見ていてください」
アーリィが持っていた杖を掲げると先端の宝珠から複数の白光が飛び出す。
その白光は崖の反対側にあった山へと一直線に伸びていった。
一つ、また一つと、白光は山から崖へと落ちてきた雪塊に当たり、消滅させていく。
向かい側にある山は、定期的に雪崩が起きる不思議な山で、削り取られた岩が雪を纏って雪塊となり、複数個が崖下へと落ちていくものだった。
だが、アーリィは全てに当てることはできず、この日の日課は終わりを迎えた。
「……今日もダメでした」
「ああ、死ぬから戻ろう」
二人は急いで小屋へと戻った。
◇◇◇
日課があるからといって、常に山に籠もりきりというわけではない。
この雪山はあくまで通過点。次の目的地へ向かう途中、数日ほど滞在していただけだった。
「お師匠様、村へはいつ頃到着するのですか?」
小屋を発ってから、すでに三日が経っている。
魔法で作った特製のかまくらに身を寄せ、厚着と寝袋で夜を越す日々が続いていた。
氷点下三十度の山道をよく生き抜いたものだと思う。
だが、アーリィの言う通り、クラウはそれくらいでは死ななかった。
そして――一緒にいるアーリィのことも、決して簡単には死なせなかった。
「ほら、見えてきただろう」
アーリィが問いかけた、その瞬間だった。
目の前に横一線の境界が現れる。一歩踏み出せば、降り続いていた雪は嘘のように止み、足元には緑の草原が広がっていた。
さらにその先、地平線の向こうには小さな村らしき集落が見えた。
「……やっと、温かい場所で休めますね」
「ああ、もうあんな寒いところは勘弁だ……ずびっ」
「お師匠様、鼻水が汚いです。はい、ちーん」
「ずびびびびびっ」
アーリィはポケットから紙を取り出し、クラウの鼻水を手早く拭った。
その光景は、傍から見れば、もはや介護にも近いものだった。
◇◇◇
「すごい……この村、職人さんが多いんですね」
複数の家の煙突から、もくもくと煙が立ち上っている。
それだけで、この村に工房が多いことは一目でわかった。
さらに、カンカンと金属を打つ音が、あちこちから響いてくる。
「――おや、旅の者かい」
「はい。二人で旅をしています」
声をかけてきたのは、薄汚れた作業着を身にまとった老人だった。
無骨な腕、煤のついた手。どう見ても職人そのものだ。
「若い嬢ちゃんが二人旅とはな……おや、杖を持っているね。魔法使いか」
「はい。それにお師匠様は若くはありません。どちらかと言えば――おばあ」
「――お姉さん」
「そう、お姉さんです」
「お姉さんか。背丈はあまり変わらないが」
「よ、余計なお世話だいっ」
クラウの背丈は、十歳のアーリィとほとんど変わらない。
童顔でもあり、並んで歩けば本当の姉妹に見えても不思議ではなかった。
この調子なら、いずれ簡単に追い越されてしまうだろう。
「――あの、すみません。一つ伺ってもいいですか?」
「ああ、なんでも聞いてくれ」
「この村、工房が多いのはわかるんですけど……その――」
「――掛け時計、だね」
「はい……」
掛け時計は本来、時刻を確認するために家の中に置くものだ。
外に設置する場合でも、せいぜい村や街の中央が一般的だろう。
だがこの村では、なぜか各家の屋根に、それぞれ時計が飾られていた。
「外に出してる時計はな、職人の腕前を見せびらかすためのもんさ」
「つまり……他の職人と競っている、ということでしょうか?」
「ああ、小さいのに鋭いね。その通りだ。職人なんてのは、頑固で負けず嫌いばかりだ。俺の時計の方が正確だ、いや美しいってな。もっとも――」
老人は肩をすくめた。
「時計なんて、時間が分かれば十分なんだがね」
一方で世の中には時計好きもいる。
見た目や材質、精巧さを重視する者だっているのだ。
「――要するに、自己満足だね」
「お師匠様、職人さんの前でよくそんなことが言えますね」
「ははっ、その通りだよ。俺達は自己満で作ってる。だからこそ、自分が一番だと思う時計を、堂々と飾るのさ」
見渡せば、装飾を削ぎ落としたものもあれば、もはや時間が読めないものもある。
どれもが、職人の癖と意地を主張していた。
だが、アーリィにはそれ以上に気になるものがあった。
視線の先――村の中央。
「あの……中央の時計台だけ、動いていないように見えるんですが」
「ああ、あれか……大昔の職人が作った時計だ。見た目は簡素だが、中身はとてつもなく複雑でな。ワシらの腕じゃ、どうにもならなかった」
「え……こんなに職人さんがいるのにですか?」
「そうだ」
村で最も目立つ場所にある、シンプルな時計。
時を示すのに最適な場所にありながら――
その針だけが、止まったままだった。
「……別の時計を設置しよう、とは考えなかったんですね」
「その時計を置いた人物がな。この村にとっては職人の神様みたいな存在だったらしい。だから、そんな発想にはならなかった」
「でも、残したからこそ、わざわざこの村にあの時計を直そうって職人が遠くからやってきたりもする」
「へえ……それは、すごい話だ」
老人はどこか哀愁を滲ませた声でそう語った。
遠い記憶を呼び起こすように、視線は過去へと向けられている。
老人と別れた後、アーリィはクラウの顔を見つめて問いかけた。
「お師匠様……あの時計、魔法で直してあげることはできないのでしょうか?」
「――いけないよ、アーリィ」
村の職人たちを思っての言葉だった。
だが、クラウははっきりと首を振る。
「この村の時計は、この村のためのものだ。部外者である私達が、安易に手を出すべきじゃない」
「でも……直してあげた方が、神様みたいな職人さんが作った時計が動いているって噂になって、人も増えて、村が栄えるかもしれないじゃないですか」
「それも、一理ある。アーリィの言う通りだよ」
しかし、その言葉は肯定ではなかった。
「それでもね――自分達で直すからいいんだ。直せないという事実すら、この村にとっては意味がある」
「……私には、よくわかりません」
「何事も、完璧である必要はないさ。ほら、完璧な私だって、たまにはだらけているだろう?」
「お師匠様は、いつもだらけています。完璧なところを見たことがありません」
「…………コホン。――ともかくだ」
クラウは咳払いを一つして、言葉を続けた。
「職人には、職人なりの歴史がある。アーリィの善意は立派なものだが、善意が必ずしも喜ばれるとは限らない。そのことを、頭の片隅に置いておくといい」
「……はい」
歯切れの悪い返事だったが、アーリィはまだ幼い。
今は理解できなくてもいい――クラウはそう思っていた。
◇◇◇
「時計台の時計を――オーバーホールするぞおおお!!」
クラウたちがこの村に滞在して、一週間が経った頃のことだった。
宿屋の外へ出ると、広場の方から職人らしき男の大声が響いてきた。
「お師匠様……」
「ああ。面白い場面が見られそうだ」
秒針が止まったままの、あの時計台の時計。
職人の神様と呼ばれた大昔の名工が作ったとされる逸品が、今まさに解体され、修理に挑まれようとしていた。
「挑戦者は――カラクリ時計店の息子、レックスだあああ!!」
前へ進み出たのは、まだ年端もいかない少年だった。
せいぜい十代後半といったところだろう。
集まっている職人たちは中年以上ばかりで、その中で彼だけが際立って若い。
「わあ……解体するだけでも、元に戻せる気がしません……」
時計の中身を目にしたアーリィは、思わず息をのんだ。
部品は細かく複雑で、どう修理するのか想像するだけで頭が痛くなってくる。
「だが、見てみろ――あの少年の手は止まっていない」
レックスはぶつぶつと何かを呟きながら、次々と部品を外し、並べていく。
その手捌きに淀みはなく、一度として迷う様子もなかった。
約一時間後。
ようやく解体が終わり、これから部品の点検と修理、そして再組み立てへと入る。
「お師匠様……疲れてきちゃいました」
「正直だね。私も疲れた」
「正直者はお師匠様です」
「まだ時間がかかりそうだ。昼食にしよう」
ちょうど昼時だった。
二人は村の店へ向かい、食事を取ることにした。
――ドッ、と歓声が上がったのは、食後のパフェを口に運んでいる最中だった。
「お、お師匠様っ!」
「行ってきなさい。私はパフェを食べてから向かうよ」
「は、はいっ!」
アーリィは一人、店を飛び出し、時計台のある広場へと駆けた。
「動いてる……動いてる……!!」
時計台に据えられた、あのシンプルな時計。
確かに止まっていた秒針が、今ははっきりと時を刻んでいる。
一度散った人々も再び集まり、拍手と歓声で少年を称えていた。
「――時計の神様の再来だ!!」
誰かの叫びをきっかけに、声は瞬く間に広がっていく。
「「レックス! レックス! レックス!」」
少年の名が、何度も何度も呼ばれた。
レックスは、恥ずかしそうにしながらも、どこか誇らしげだった。
「――どうやら、私たちは奇跡を目撃したみたいだね」
「はい……」
「アーリィ。少しは、私の言ったことがわかったかい?」
――職人には職人の歴史がある。
部外者が踏み込んではいけない領域がある。
「少年の職人が直したから、こんなに盛り上がったんですよね……きっと」
「おそらくね。私が直していたら、こうはならなかった」
「時計の神様の再来、なんて呼ばれることも……なかったかもしれません」
アーリィは、ようやくその意味を理解した。
――この日から、時計台の時計は復活の意味を持つ『リ』と少年の名の『レックス』を合わせ、『リレックス』と呼ばれるようになった。
そして約十年後。
少年の作る時計は『リレックス』の名でブランド化され、最高の価値を持つ時計を生み出す職人として名を馳せることになる――が、それはまた別の話である。
◇◇◇
「――私は、だらけている」
「突然どうしたんですか? そんなこと、言われなくてもわかっています」
時計職人の村を後にした二人は、馬車に揺られながら、どこまでも続く緑の草原を眺めていた。
クラウがぽつりと呟いたのには、もちろん理由がある。
それは――アーリィが、ようやく理解し始めた人の歴史のことだった。
「だらけている私だけどね。一つだけ、大事にしていることがあるんだ」
「睡眠、でしょうか」
「二つだけ、大事にしていることがあるんだ」
「食事、でしょうか」
「たくさん大事にしていることがあるんだっ!!」
「すみません。いじわるしました」
本当に師匠と思っているのか怪しい態度だが、こうしたやり取りは今に始まったことではない。
けれど――これから話す内容だけは、アーリィにとって初めて聞くものだった。
「私が大事にしているのは――継承だ」
「継承、ですか……」
地位、権利、仕事、技術。
前の者から、次の者へと受け渡されていくもの。
その意味くらいは、アーリィにも理解できた。
「ああ。あの時計も、神様と呼ばれた職人から、少年へと技術が引き継がれたんだ」
「え……でも、それは少年が自分の力で……」
「本当に、そうだろうか」
神様と呼ばれた職人。
この村に滞在した一週間、何度もその呼び名は耳にしたが――その人物の名前を聞くことは、ついぞなかった。
つまり、名すら残らないほど昔に生き、そして死んだ存在だ。
それでも時計作りの神様の技術がこの村に残っているのなら――村そのものが、長い時間をかけて技術を継承してきたと言えるのではないだろうか。
「あの少年は、直接神様の職人に教えられたわけじゃない。だが、この村は神様を生んだ村だ。技術は途切れず受け継がれ、そして今――それを継承した少年が、時計を復活させた」
「つまりそれは、神様と呼ばれた職人の技術が、少年に引き継がれた、といってもよいと……」
「ああ。私はね、継承というのは、必ずしも直接じゃなくていいと思っている」
「……今の話を聞いて、私もそう思いました」
「――だから、アーリィ。いつかその時が来たら、私のすべてを継承するんだ」
宝石のような瞳で、じっと見つめられる。
アーリィは思わず、息を呑んだ。
クラウの脳裏に、ふと昔の光景がよみがえる。
今よりずっと小さな少女が、屈託のない笑顔で言った言葉。
『──なら、私もエルフになる!』
遠い昔。
エルフになろうと思った自分と同じ言葉を発したのが、このアーリィだった。
◇◇◇
「――どうだ、クラウ」
一万年前。クラウはエルフになった。
人間だった頃の耳は長く尖り、手入れもしていないはずの髪は透き通るような美しさを帯び、瞳は宝石のように輝いていた。
「頭が……割れそう……です」
「そうだろうな。私も、そうだった」
師匠が<エルフになる魔法>を発動した瞬間、クラウの中に師匠の記憶が、全て流れ込んできた。
師匠が生きてきた記憶――それだけではない。
もっと、もっと……遥か以前の記憶。
師匠より前に生きた者たちの記憶までもが、雪崩のように押し寄せていた。
「さすがはクラウだ。耐えられると思っていた」
「こんなに苦しいなんて、言わなかったのに……」
「サプライズだ」
「こんなサプライズ、いらないです……」
記憶が一気に流れ込んだ瞬間、頭は今にも弾けそうになった。
だが、それから逃れることはできない。
なぜなら、今回受け継いだ魔法の中に<記憶を忘れない魔法>が含まれており、それが自動的に起動していたからだ。
「だが、もう少しで収まる。これも、魔法のおかげだ」
「……あ、ホントだ」
別の魔法が作用しているのか、頭痛は徐々に引き、思考も落ち着きを取り戻していった。
「――クラウ。今まで言わなくて、ごめんな」
落ち着いた頃合いで、師匠がぽつりと呟いた。
だが、その意味は、もうわかっていた。
師匠の記憶を受け継いだのだから。
「師匠……死んじゃうの?」
「ああ。それが<エルフになる魔法>だからな」
「…………」
――<エルフになる魔法>。
それは、長命種のエルフになれる代わりに、術者が命を失う魔法だった。
「私は、長く生き過ぎた。わかるだろう?」
「…………わから、ないっ」
「この期に及んで駄々をこねるとは……まだまだ子供だな」
この時、クラウは十八歳だった。
師匠が生きた一万年に比べれば、共に過ごした時間など、一瞬に等しい。
それでも師匠は、弟子に選び、エルフに変え、記憶も知識も魔法も……全てをクラウに託した。
「来なさい」
「師匠――――っ」
やっと師匠と同じ姿になれた。
その喜びがあるはずなのに、胸が苦しい。
師匠がいなくなる――その現実が耐えられず、クラウは涙を散らしながら、師匠の胸に飛び込んだ。
「あの日、流し素麺をしたことも、コロッケを作って食べたことも、海でバタフライを試したことも、火山の近くを掘って温泉を作ったことも……全部、私が受け継いできた記憶を試したかったからだ」
「コロッケは、師匠が火加減間違えて、食べられなかった……」
「ああ……そうだったかもね。ははは」
「師匠の、バカ……」
冗談を交えながら、師匠はクラウの頭を優しく撫でていた。
その体は、ぽろぽろと指先から静かに崩れ落ちていっていた。
「――クラウ。これだけは、覚えていてほしい」
「…………うん」
穏やかな声で紡がれる言葉。
聞き逃すまいと、クラウは師匠の服の裾を、ぎゅっと掴んだ。
「私が人生で一番大事にしているのは――継承だ」
「……けい、しょう?」
「このエルフになれる魔法は、『継承の魔法』なんだ……わかるだろう?」
「…………うん」
今なら、わかる。
師匠の記憶だけでなく、師匠にこの魔法を授けた人物の記憶までもが、クラウの中に刻まれていた。
「私にも師匠がいた。その人の記憶を受け継ぎ、さらにその師匠も、また記憶を受け継いできた」
だが、ひとつだけ疑問が残っていた。
この魔法が『継承の魔法』なら、『エルフ』とは何なのか。
そして、なぜ師匠だけが不死であり、不死身だったのか。
この魔法はエルフになれることで、長命種になることではないのか。
エルフは師匠以外にも存在した。
クラウも、何人かのエルフに会ってきた。
だが、一万年も生き続けた者など、他にいない。
他のエルフは長命ではあっても、不死ではなかったのだ。
「エルフになれる魔法って……本当は、何なの?」
師匠は答えを持っていた。
そして、記憶を受け継いだクラウも――既に知っていた。
遅れて気づいただけだった。
「最初期のエルフ族――その中でただ一人、ハイエルフと呼ばれた、不死身のエルフの王がいた。その名は――」
師匠の言葉を引き取るように、クラウは記憶の引き出しを開き、口にする。
「――――カラクウェンディ」
それが、<エルフになる魔法>。
魔法の名となった、人物の名前だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
本作はカクヨムコンテスト11短編のカクヨムネクスト賞への応募作品です。
『継承』をテーマにした本作。
流し素麺だったり、時計職人の村だったり、前任者からの記憶を引き継いでいたり、おおよそ『継承』について語ってきたかと思います。
もしカクヨムネクスト賞に受賞できたなら、こういった『継承』に纏わるエピソードをたくさん書いていこうと思っています。
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