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18 コーダⅢ②

「彼女の願いは叶った。自分の生命力がなくなったのは、さすがに想定外だったろうが」


 円のすぐ後ろで声がした。

 白いスーツに赤い蝶ネクタイ。

 少し間違えれば陳腐もしくは滑稽になりかねない正装を隙なく着こなす、人形めいて整った顔の少年。

 あの、小憎たらしくも大いなる少年(モノ)だ。

 いつの間にか丘の上にあった若木はなくなり、その代りのように彼がいた。

 指揮棒を持ったまま、彼は軽く腕を組む。


「彼女は望んだ。九条円が自分の意思で、自分の生死を決めてほしい、と。誰かのためだとか誰かに巻き込まれなんとなくだとか、そんな曖昧な決め方ではなく、自分の意思で決めてほしい、と。可能ならば彼に生きていてほしいが、本人が決然と死を願うのならそれでもかまわない、と」


 組んでいた腕をほどき、輝く指揮棒をゆるやかに振って彼は言う。


「私はヒトコトヌシ。ひと言で願う……すなわち心からの願いひとつだけなら、叶える神といえよう。彼女の願いは叶えられた」


「……なんだよ、それ」


 怒りのあまりかえって気の抜けたような台詞が、円の口をつく。


「願いと引き換えに命を取ったってことか? 詐欺かよ! カミサマってヤツは悪魔とおんなじかそれ以上、意地が悪いとは思ってたけど。最低最悪の詐欺野郎なんだと認識を改めたよ!」


「断っておくが」


 癪に障るほど涼しい顔で、ヒトコトヌシは飄々とこう言った。


「別に願いを叶える代償など求めない、少なくとも私は、な。最短でその願いが叶うよう、各々を導くだけだ。私が今ヒトコトヌシなのは、私が今やりたくてやっている、いわば趣味だよ。趣味でやっていることに、いちいち代償など求めない」


 彼はひょいと指揮棒をしゃくる。


「ところで、九条円。君は何を望む? 死神からの誘惑は自らの意思で絶ったが、それは君が能動的に望んだ何かという訳ではない。思いがけず襲ってきた出来事(アクシデント)に、どう対処したかというだけのことだ。改めて問う。君は今、何を望む?」


「……あんたは違うと言うけど」


 円にしてはぞんざいな口調で言葉を絞り出す。

 本音を言えばぶん殴ってやりたい、そういう凶暴な衝動は体内にくぐもるが、この『大いなる少年』を今、殴ろうが蹴ろうがくびり殺そうが、まったく意味がないであろうことは本能でわかる。

 どんなダメージを与えようとも彼には響かない。

 その辺の機微は、キョウコさんもしくはイザナミノミコトこと【管理者・ゼロ】との短くない付き合いで体感している。

 彼ら……そして彼らより上位の者へ、人間ができることなどまずない。

 空へ向かって怨嗟を吐いても、空自身は何も感じないのと同じ理屈だ。


「俺的にはどうしても、願いを叶える代償に命を奪われたとしか思えない、結木さくやさんの黄泉がえりを願う。そちらが叶うなら、せっかく助けてもらった命だが、俺の命を代償にしてもいい」


「代償はいらないって言ってるだろう? まったく物分かりの悪い子だね。まあ、あのイザナミの秘蔵っ子だ。こういうひねくれた、素直じゃない子の方が多いのかもしれないけど。……九条円。結木さくやを黄泉から連れ戻したければ、君自身が黄泉へ行き、連れ戻せばいい。今ならばまだ間に合わなくもない。そら……」


 彼は指揮棒を複雑な感じにしゃくった。

 不意にあたたかな光が円を包み込み……無残にも半ばほどで折った角が、完全に元に戻る。

 あちこちにこびりついたまま乾いていた血も、きれいさっぱり拭い去られていた。


「君の本性はユニコーン。天馬といってもいいかもしれない。その脚は地上最速を誇るだろう。一度は『全き形』を否定した君だが、元通り『全き形』となれば。その自慢の脚で闇へ落ちてゆく彼女に追いつき、連れ戻すことも可能だ。但し」


 ヒトコトヌシは意地の悪い薄笑みを浮かべた。


「彼女がそれを受け入れるとは限らない。結果として彼女の命を犠牲にした罪悪感にかられた君が、自分の保身のために連れ戻そうとしても。魂に女神の欠片を持つ、誇り高い乙女の心へは響くまい。彼女を連れ戻したい、本当の本音を彼女に語れ。それこそが君のコーダだ」


 ヒトコトヌシは指揮棒を大きく振り、一点をピシリと指した。


「行きたまえ。彼女はあちらだ」


 瞬きの間に円は、自身の身体をユニコーンへと変え、指揮棒の指し示す方向へと駆け出した。

 彼女を連れ戻す。

 ただそれだけを思って。

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