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15 月と水とめぐる夢とⅣ①

 九条円は、オオモトヒメノミコトとしての潜在能力を完全に発揮しているさくやに導かれ、ユニコーンの姿で小波を駆ける。



 怨霊の痕跡はあらゆる所にあった。


 小波神社周辺の民家。

 さくやと蒼司の母校である小学校・中学校。

 駅前のショッピングモール。

 地区内に点在する小さな公園。

 現在、円の主な仕事場でもある保健センター。


 しかし彼女はすぐ移動してしまうらしく、痕跡は濃く残っているのにもかかわらず、本人はいない。

 痕跡として残る【dark(不浄)】を円が浄化し、さくやが『場』を清めることにした。

 そうすることで彼女が居辛くなり、活動力を低下させるのが目的だ。


(……くそ!)


 相手を追い詰めている手ごたえは、なくもないが、もぐら叩きのような徒労感は否めない。

 抑えようとしても円の胸に、じりじりと焦りが湧いてくる。

 さっさと捕まえ、本音を言うならこれまでの積み重なった恨みを込め、本気の浄化の力を思い切り叩きつけてやりたい。

 さすがにそこまでする気はないが(やれば彼女が確実に死ぬから)、たとえるなら、胸倉をつかんで頬にビンタを張る程度のダメージは与えてやりたい。



 真面目に本気で、円は怒っていた。

 彼としては珍しいことだ。

 自分でも時々、このメンタルはどうかと思うのだが。

 彼は基本、あまり怒らないし苛立たない。

 別に人間が出来ているからとか、そんな高尚な話ではない。

 怒ったり苛立ったりするのが虚しい、と表現するのが一番近い。


 うまく説明できないが、円には、怒りを込めて真剣に何かを訴えてもどうせまともに取り合ってもらえない、とでもいう感覚が、物心がつく頃から根深く巣食っている。

 おそらく彼が持って生まれたこの能力――天津神の器である浄化の能力と、それ故の不浄を見極める能力――のせいで、幼い頃から怖いことや嫌なこと、不快なことが色々あったのに、親や親しい友人を含めた誰も、そう誰一人たりとも彼と真面目に向き合ってくれなかった絶望が、根っこにある気がする。

 小さくとも消えない(らしい)希死念慮も、同じところに根がありそうだ。


 理性ではそんなことかと笑ってしまうほど、幼い、子供が拗ねているような感覚だなと思うのだが。

 物心がつく前から重ねた数多の傷は、ひとつひとつは小さくとも、自覚以上に深いダメージになっているようだ。

 自衛本能なのか円には、自分の心の痛みに鈍感な面がある。

 怒りを感じにくいのも苛立ちを感じにくいのも、つまりはそういうことだろうと類推している。


 ただ、近しい他人がそういう類いの理不尽にさらされているのを目の当たりにすると。

 彼は、すさまじく腹が立つ。

 自分が嫌な思いを抑え込んできた反動なのかもしれない。

 理不尽にひしがれ、困っていたり泣いていたりする知人を見ると、円は、我を忘れそうになるほど頭に血が上る。

 【eraser】である自分を受け入れ、スイと共に【Darkness】を倒そうなどと決意したきっかけも、思えば、生まれてすぐから【Darkness】の駒として人生をゆがめられていた、同じ高校の女の子の先輩の境遇への、怒りと憤り、そして同情……だった……。


「九条さん」


 さくやに話しかけられ、円は自分だけの物思いから覚める。


「います。彼女です。津田高校の敷地を囲む、塀の陰……最初とほぼ同じ場所ですね」


「……結局そこか。多分そこが一番、居心地がいいんだろうな」


 こちらとしては、徒労と言えば徒労だが。

 地道に逃げ場を狭めてゆくのは、悪くないやり方だった。

 移動先へことごとく追いかけてこられ、ことごとく浄化されたあげく国津神直系の女神の手による『清め』が行われ、簡単に入れない場所が小波に増えてゆく。

 彼女にとってたまらなく鬱陶しい話だろう。


 今現在、彼女は小波を中心とした限られたエリアにしか存在できない。

 さすがにそろそろ、それに気付いてきているだろう。

 気付いたならば別の手を打ってくる筈。

 アチラがどんな手を打つつもりかわからないが、円としてはひるまず対抗するだけである。



 近付くにつれ、津田高校の敷地の中から何故か複数の笛の音色――おそらくはフルートだと思われる音色――が聞こえてきた。


(……まさか!)


 怨霊にさらわれた蒼司がいるのか!


「九条さん、あの音色。遥さんの笛です! もうひとつは蒼司の……」


「ああ、やっぱりそうなんだ。ちくしょう!」


 駆けながら円は、全身で気配を探る。

 二人の気配、そしてそのそばにいる怨霊。


「……見つけたぞ!」


 円は全力でその場へ向かった。

 


 メタセコイヤの大樹がある津田高校の中庭。

 木の根方である芝生の広場に、肩で息をしているような感じの遥。

 少し離れたところでぐったりと倒れている蒼司。

 蒼司を見下ろすように、広場の隅の空間に浮いている、何故か黒いベルベッド風のワンピースを身につけた斉木千佳。

 円は風を切って蒼司のそばへ走り寄る。

 すぐヒト型に戻り、やつれた雰囲気の蒼司を診る。

 蒼司は全身が衰弱していた。

 すぐ浄化し、少なくとも彼の心身にこびりついていた怨霊由来の【dark】は散らす。


「九条さん」


 遥が青い顔で円へ声をかける。


「蒼司さんは怨霊に操られ、僕を不浄だと思い込んで攻撃し、月の鏡に閉じ込めようとしてきました。何とかなだめて、ようやく僕は解放されましたけど」


 息も絶え絶えに、遥は一生懸命語る。


「気を付けて下さい! あの怨霊は、蒼司さん以上に月の氏族の霊力を操ります!」


 ククク、と、不気味な忍び笑いが頭上から響いてくる。


「九条円。(まどか)とは(エン)


 斉木千佳は祝詞らしきものを唱え始めた。


「『(エン)』とは全き形。全き形とは世界にして宇宙。九条円こそ、世界のすべてにして私のすべて」


 千佳の腕に抱えられているのは、巨大な青銅の鏡だ。


「九条円! 世界のすべてにして私のすべてであれかし、と名付けられし者よ! 月の鏡に映る己れを見、己れの真の姿を知れ!」


「九条さん! 見ないで! 呪いです!」


 さくやの叫びが聞こえてきたが……強引に設定された円の『真名』という言霊に縛られ、抵抗も虚しく彼は、鏡の映る己れの姿を見た。

 ……見た。

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