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14 月と水とめぐる夢とⅡ③

 軽く手刀をかまえ、無駄のない動作でナンフウが、うずくまる円の額にある角へ振り下ろそうとした刹那。


  シャララララーン!


 涼し気な鈴の音と共に金と朱で彩られた神楽鈴が虚空から現れ、ナンフウの手刀を止めた。

 一同が驚いて硬直している一瞬の間に、白い衣装に山吹色の肩巾を纏った古代の装いの乙女が、湧き出る泉のように大地から現れる。

 そして乙女はまたたく間に、ジャージの上下にジップアップのフリースパーカーを羽織った結木さくやになった。


「ナンフウさん」


 さくやは哀しそうに眉を寄せ、言った。


「この人の角、折らんといて下さい。本人が、角なんか要らんから折ってくれって()うてはるんやったらまだしも。嫌やって、やめてくれって、さっきから言うてはるやん……」


「え? えええ? お、お嬢?」


 突然現れた『お嬢』と、今まで彼が守ってきた『お嬢』を見比べ、ナンフウは激しく混乱した。

 円は蹴りを入れられた向こう脛をさすりながらなんとか立ち上がる。


「ナンフウさん。あなたの『お嬢』はこっちです。わかるでしょう?」


 ため息を吐きながら、円は静かな声で言った。


「ナンフウ! 騙されないで! そいつらは鬼とその仲間の不浄だよ!」


 千佳がわめく。

 違和感を覚えたのか、千佳を見るナンフウの顔に、不可解そうな表情が浮かぶ。


「ナンフウさん。あなたの『お嬢』は耳にやわらかな関西弁を話すのでは? 少なくとも……あなたを呼び捨てにするような、礼儀知らずではないのでは?」


 円の声に、ナンフウはハッとしたように大きく目を見開く。


「そう……そうや。お嬢は生まれてこの方、ほとんど小波から出やんと育ったから、基本関西弁しか喋られへん。気ィ遣いなトコのある子ォやから、自分の方が格上やのに、オレらを『さん』付けでいつも呼んでくれてた……」


「ナンフウ!」


 焦れたように千佳は叫ぶ。


「この役立たず! オナミヒメの命令がきけないの!」


 ふと、彼は真顔になった。

 そしていきなり、さくやの顔面に鋭い突きを繰り出した。

 さくやはハッと息を呑み、その突きを肘でガードしつつ払った。


「……なるほど」


 ナンフウは『会心の笑み』と言いたくなるような笑みをこぼす。


「ウチのお嬢は、コッチやな。突きを躱す時の、ちょっともたつく動作の癖。直せ言うてもなかなか直らん癖。そこまでは他人は真似できへん。あんたの方がほんまもんのお嬢や、ということは……」


 ナンフウは冷たい目で、斉木千佳を見る。


「どんなめくらまし、かましやがったんかは知らんけど。オレの目ェには未だにあんたが、お嬢に見えるけど。偽者(ニセモン)やな、あんた」




「……チッ」


 舌打ちすると、千佳は踵を返した。


「待たんかい!」


 叫ぶナンフウを無視し、彼女は姿を虚空に消した。


「クソ、逃げやがった!」


「大丈夫。逃げられへん」


 落ち着いた声でさくやは言う。


「ここは今、『月のはざかい』でもあるし。あの人がどんだけすごい怨霊さんやったとしても、潜在してる能力のすべてを発揮してる、神鏡の巫女姫の敷くはざかいを破るんはさすがに無理やろうから」


「は?……あー、その。オレ、前後のことがまったくわからへんから。今どういう状況なんか読めんねんけど……どうやら。怨霊にエエように使われてたトコからみて、ポカやらかしたみたいやな」


 困惑しつつ肩をすぼめるナンフウへ、さくやはほほ笑む。


「そこは気に病まんといて。ナンフウさんは蒼司を守ってくれたんやから」


 そして彼女は瞬くうちに『オオモトヒメノミコト』の姿に戻ると、肩をすぼめて縮こまっているナンフウの頭上で、神楽鈴を鳴らした。

 心洗われるような鈴の音に、ナンフウはうっとりと目を閉じた。


「あるべきものがあるべきところへ。オナミの水に育まれし大和棕櫚・ナンフウの、心と身体と魂が元通りひとつに戻るよう。我、オオモトヒメの名において言挙げ、言祝ぎ、願うなり」


  シャララララーン!


 鈴の音と共に、ナンフウの姿は消えた。


「……これでナンフウさんはおもとの泉のそばへ帰りました。すぐに自分の中へ戻って、気が付くやろうと思います」


 そう言ってほほ笑むさくやを、円は、初めて会った人のような気分で見た。

 どこか自信なさげな大人しい女の子、という印象が強かった彼女が、女神に相応しい強さやしなやかさを内にたたえ、ほほ笑む。

 静かであると同時に凛とした彼女から、円は目が離せない。


「九条さん」


 さくやは真っ直ぐ、円の目を見て言う。


「彼女を追いましょう。どこへ逃げたんか……大体の方角、わかりますから」


「え? ええ……ああ。そう、ですね、お願いします」


 少し呆けていた自分へ活を入れ、円は、頬を引いて答える。


 ぼんやりしていられない、戦いは始まったばかりなのだから。 

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