14 月と水とめぐる夢とⅡ②
叫びと共にナンフウは一歩、円へ向かって大きく踏み出す。
円は後退り、思わずよろめく。
(くそう。ナンフウさん、完全に怨霊に支配されてるみたいだな。どいつもこいつも……ごちゃごちゃとうるせ!)
と、無意識で彼は、心で叫んでいた。
相棒にして師匠である、スイの口癖のひとつだ。
その刹那、彼は両のてのひらに何かを感じた。
素早く抉りこんでくるナンフウの爪の動きを、円は、ひどく冷静に見切って利き手側の円錐の槍――直径3㎝ほどの底面で頂点まで1m近い距離のある、硬質な白銀の円錐――で弾き返した。
「ナンフウ!」
斉木千佳の怨霊が悲鳴じみた声で命じる。
「その男を殺して! その男は恩師面で九条先生の心を縛ってるの! 九条先生に憑りついてる、鬼なんだよ!」
「……なーる。だから九条のにーさんの額に角が生えてたんやな」
(……くそ!)
円は奥歯を噛みしめ、胸で罵る。
明後日の方向の理解だったが、それなりに辻褄が合ってしまっている。
槍を持ったまま袖口で目の周りの汗をぬぐい、軽い違和感にハッとする。
白のオックスフォードシャツを身につけていた筈なのに、袖口は今、薄青のワイシャツのものだった。
(……これは!)
ざっと自分の姿を見て、円は鋭く息を呑む。
薄青のワイシャツ。
ゆるめに結んだ臙脂のネクタイ。
黒のビジネススラックス。
そして足元は白に紺の線が入った、量販店で売っていそうなスニーカー。
円が初めてスイに出会った日の、彼の服装だ。
(今、俺……スイの姿になってる?)
両手に握りこんでいる円錐の槍は、彼が【Darkness】との一騎打ちで使っていた得物だ。
スイこと角野英一氏と、円が初めて出会った時。
彼は、『潜入』と呼ばれるミッションを実行中だった。
円が通う高校へ、円のクラスの担任教師として『潜入』してきたのだ。
『潜入』をする場合、潜入先の環境や人間に一種のめくらましをかけ、潜入者が元からそこに存在していたかのような、まやかしの状況を作り出すのだが。
円にだけは、そのめくらましが効かなかった。
逆に言えばめくらましが効かない人間≒彼らが捜していた人間=若くて力のある【eraser】、だったので、円はすぐスイにマークされた。
その後も色々あったが、最初は次元を超えた不審者のようにスイを警戒していた円も、少しずつ彼を信頼し、お互い唯一無二の相棒として絆を結んだ。
浄化の力を武器のように使って攻撃的に不浄を散らすスイと、円陣のように広がる浄化の力で防御の結界を張るような円。
攻守のバランスのとれた、またとない【eraser】のチームだった。
彼が元気でいてくれれば今回のアクシデントも、おそらくここまでこじれることはなかっただろう。
「鬼は鬼らしィに、闇の世界へ引っ込んどれや!」
束の間の追憶にしんみりしかけた円へ、すさまじい殺気と共にナンフウの爪が空を切って迫ってくる。
両手に握りこんでいる円錐の槍でその攻撃をかわしながら、円は、冷静な目でナンフウを観察する。
彼の心は【dark】に乗っ取られている訳ではない。
ただ、なんとなくだが。
彼の瞳が、さながら紗がかかっているようなはっきりしない色をしているのは、わかる。
爪の攻撃を躱しつつ、円は、利き手の円錐の槍を無数の正四面体の礫……どんぐりほどの大きさの礫に変え、隙を突いて彼の顔へぶつける!
さすがに驚いたのだろう、ナンフウは悲鳴を上げて体を崩した。そこへすかさず、円は彼の額へ円錐の槍を刺す!
「ぐえぇ!」
蛙を踏み潰したような声を上げ、たまらなくなったのか彼は、よろりとうずくまった。
千佳が悲鳴を上げる。
「ナンフウさん、目を覚ましてくれ! 君の後ろにいるのは君たちの姫じゃない! 怨霊……斉木千佳なんだよ!」
そう言う円の声に被せるように、斉木千佳は叫ぶ。
「ナンフウ! そんな得体のしれない、いやらしい鬼の言うことなんか聞かないで!」
ナンフウはそろそろと起き上がる。
「ああ……くそ。痛みとかは別にないけど、頭ン中ゆさぶらされるみたいな感じやし、なんちゅうか……パワーあるなア」
爪はかまえていたが、ナンフウは姿勢を正した。
「このパワー……天津神の御力とお見受けする。あんた、少なくとも鬼やないな。我々が持ってるタイプの浄化の力から、不純物やら土くささやらを抜いて結晶化したみたいなそのパワー。話だけしか知らんけど、あんた、スイノミコト……要するに、【eraser】・スイか?」
円がどう答えたものか迷っている間に、ナンフウは勝手に納得したらしい。
ふっと笑みを含み、彼は爪を引っ込めた。
「なら、浄化の爪は意味ないな」
そしてボキボキと指を鳴らす。
「……拳だけで叩き伏せたらあ! 天津神やろうがなんやろうが、ウチの姫さんの幸せを邪魔する奴なんか。オナミヒメの『にいや』が、許すかい!」
「ナンフウさん!」
絶望的な気分で円は彼の名を呼ぶが、ナンフウの表情は変わらない。
矢のように次々と突き出される拳、隙を突く素早い蹴り。
それらを円は、何とか円錐の槍でいなすが、武術の腕前というだけなら、たとえスイであってもナンフウの敵ではない。
防戦一方で……、ついに彼の蹴りが円のむこうずねにヒットし、すさまじい衝撃と痛みに、彼は思わずうずくまる。
「ゲームオーバーや、スイノミコト。あんたの急所はその角やろ? 身体のかばい方を見てたらわかる。……悪いけどソレ、折らせてもらうデ。それ折ったら、九条のにーさんはスイノミコトから解放されるし」
「嫌だ! よせ、 やめてくれ! ナンフウさん!」
拒絶の言葉はただ、虚しく響くだけだった。




