13 月と水とめぐる夢と③
イザナミノミコに指示された、『1時間後』より少し前。
さくや達は旧野崎邸の奥にある、『おもとの泉』のそばにある祠の前にいた。
ミコトの指示で、眠っている蒼司を毛布にくるんだ状態で父が、横抱きで連れてきている。
庭で見たナンフウと同じく、蒼司は実に幸せそうな顔で眠っていた。
どんないい夢を見ているのだろう、と思うと、さくやとしては腹立たしいような可笑しいような物悲しいような、何とも言えない気分だった。
ナンフウを背負った大楠と顔色の悪い遥は、すでにその場にいた。
ナンフウもやはり幸せそうな……どこか子供っぽい顔で、眠っていた。
さくやの知らない、ナンフウの過去の幸せな時代の夢を見ているのではないかとふと思う。
やはり、腹立たしいような物悲しいような気分だ。
ほどなくしてイザナミノミコトと九条が、木々を縫う小道を通ってやって来た。
九条は最初に津田高で会った時とほぼ同じ、白のオックスフォードシャツにデニムパンツ、履きなれた雰囲気のスニーカーといういでたち。
ただ、かもし出す雰囲気はあの時とはまったく違う。
どこか病み疲れた、儚げな雰囲気だった青年は今、怒りを押し殺しているのだろう、不用意に寄ると叩きのめされそうな、怖ろしいまでに冷ややかな気配を纏っていた。
誰にも懐かない不羈の幻獣がそこにいる、と、誰もが無言のうちの感じていた。
「よく来てくれた、諸君。まずはその二人を、用意した寝椅子に寝かせてやってくれ」
(……寝椅子?)
そんなものあったっけ? とさくやは不審に思ったが、イザナミノミコトの視線をたどり、あっと息を呑む。
アウトドア用らしい、ベージュのリクライニングチェアが二つ、祠のそばにあった。
その場が一瞬、声のない声でざわッとしたが、すぐ我に返った父が蒼司を、一拍遅れながらも大楠と遥がナンフウを、それぞれリクライニングチェアに寝かせた。
イザナミノミコトは一瞬、軽くまぶたを閉じた。
「……怨霊は今。ここから北北東に当たる、津田高校の敷地の外にいる。一番最初に蒼司君と出会った場所だ。そこは彼女と、ある種の縁が出来ているみたいだな。多少は動くが、彼女は一日のほとんどをそこで過ごしているようだし……今も、そこにいる」
閉じていたまぶたを開け、ミコトは一同を見渡す。
「今から彼女のいる場所を含め、能力者である諸君の力が十分引き出せる場……戦闘エリアを展開させる。私の身体を原点として展開するので、原点となっている間、私の姿は諸君の目に見えないだろう。が、私は諸君らと共にいて、共に闘っている。サポートが必要ならば可能な限り、応えるつもりでもある。共に闘い……善き結果を迎えたい。よろしく頼む」
「私はこの場ァにおったらよろしいんですね?」
大学のロゴの入ったツナギの作業服姿である父の声に、ミコトはうなずく。
「ああ。あなたはこの場にいて、心を囚われた二人の身柄を守ってやってほしい」
承知いたしました、と父が答えると、今度は仕事の作業服姿の母が、
「私には月のはざかいを敷くようにとおっしゃいましたね」
と、問うように声をかける。
「かつてオナミ全体に月のはざかいを敷いたことはありますが。もはやあの時ほどの霊力は、私にありません。もちろん精いっぱい頑張りますが」
イザナミノミコトはほほ笑む。
「その辺の心配はいらない、神鏡の巫女姫。制限を解除した戦闘エリア内は、ある意味、あなたの得意とする夢の世界に近い。その場に立てばわかると思うが」
「あ、あの。イザナミノミコト」
さくやは思い切って声をかけた。
「わ…私は。そもそも、どんな形であったとしても『はざかい』を敷いたことなどないのですが。月の氏族としての能力も、母よりかなり劣りますし」
さくやの言葉に、ミコトは真顔になる。
「月の氏族としてはまあ、そうかもしれないが。貴女はそもそも水の神だ、水神としての能力の方が当然高い、そうだろう? オナミノイラツメ……いや。オオモトヒメノミコト。あなたが自分で自分を殺し、生まれ変わってまで守りたかったこの地へ来た時の気持ちを思い出せば……いや。これ以上言うのも野暮だろう。大丈夫、あなたの母上と同じく、『場』に立てば自ずとわかる」
まったく大丈夫だとは思えなかったが、そこまで言われればさくやとしてもうなずくしかなかった。
まったく大丈夫だとは思えなかったが。
「我々は如何いたしましょうか?」
大楠の問いに、
「君たちはまず、君たちの主のそばにいて蒼司君とナンフウ君の身柄を守っていてほしい。その後は臨機応変に」
と、イザナミノミコト。
木霊たちはうなずいた。
「ではそろそ……」
イザナミノミコトの言葉が不自然に途切れた、次の瞬間。
ゆるい円陣を組んでいた彼らの中心部の空間を切り裂くように、いきなりすさまじい光が現れ……黒髪に黒い瞳、真白のスーツに真紅の蝶ネクタイの、11~12歳ほどの美しい少年が立っていた。
イザナミノミコトによく似た雰囲気の、人形めいた美少年だった。
「※~○○~※※~※~◎!」
イザナミノミコトの唇から、不思議な旋律の言葉のようなハミングのようなもの――『ア』とも『ナ』とも『ラ』ともいえそうな不思議な音の、高低を伴った羅列――強いて言えばスキャットのようなものが、焦ったような切迫感を伴って迸る。
「◎○~※○~※※~~※※◎◎~~※~~※」
同じような旋律の、言葉のようなハミングのようなものが少年の唇から流れ出た。
なんとなく、面白がっているようなニュアンスを感じる。
「……突然すまない、オナミの諸君と【eraser】・エン」
不意に少年は、落ち着いた声音で日本語を話し始めた。
「私は【創造主】の手足たる【秩序】のひとり。○※…ではなく、君たちの言う『イザナミノミコト』の、上司に当たる者と解釈してくれていい」
皆の視線がイザナミノミコトへ向く。彼女は苦虫をかみつぶしたような顔でうなずいた。
「呼び名がないのも不便だな、私のことは……そうだな。一言主、という仮の名を名乗っておく、そう呼んでくれ。基本的に君たちの邪魔はしない、だから私のことは気にしないでくれ。要するにイザナミのすることに興味があって、見学に来たとでも解釈してくれればいい」
面白いイベントを覗きに来た、という雰囲気だ。ふざけている。
しかし、少年があまりにも強烈に『ただものではない』空気をかもしているので、一同脱力はしたが、怒ったりや憤慨する気にもなれない。
「……ヒトコトヌシノオオカミ」
ため息を吐きながら、イザナミノミコトは言う。
「善事も悪事も一言で言い放つ、もしくは、一言ならばどんな願いもかなえる……、わざわざそんな神の名を自ら戴くとは。あなたは一体、何を企んでいらっしゃる?」
少年……ヒトコトヌシノオオカミは、面白そうに目許を細める。
「人聞きの悪い。『見学』だよ、イザナミ。【Darkness】を完全消滅させた実績を持つ【管理者】の仕事を、一度間近で見たかったんだ、ホントだよ」




