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13 月と水とめぐる夢と②

 さくやは今、自室の机の前に座り、茫然としていた。

 動きやすい服装、という指示に従い、いつものトレーニングウエアの上にフリースのジップアップパーカーを合わせた。

 これでいいかどうか心許なかったが『動きやすい』ことは確か。

 深呼吸をひとつして、彼女は窓をうち眺める。

 窓越しの宵闇が、いつもに増して暗く感じた。



 水曜日、午後4時頃。

 学校から帰った後、リビングでくつろぎながらさくやは、特に目的もなくスマホをいじっていた。


 最近、ナンフウは九条の護衛で忙しいし、今日は今日で蒼司が小波の外にあるフルート教室に通うので、その護衛(ぴったりくっついて行動するレベルの護衛でなく、あやしのモノが蒼司へちょっかい出さないか、蒼司に持たせた棕櫚の繊維越しに、本体から気を張って見守っているレベル……らしい。それでも対不浄として十分牽制になるという話だから、彼の戦闘能力というか殺気は、木霊のレベルをはるかに超えている)でより忙しくしている。

 それもあってさくやとしては、庭で緊張状態の彼の邪魔にならないよう、自宅で大人しくしているのだ。


 半ば惰性的に続けてきた武術のトレーニングも、このところ早朝の自主練はともかく、放課後は休んでいる。

 さくやは先日ナンフウ先生から、武術に関しては目的としている境地に至ったと認定された。

 もうそんなシャカリキにトレーニングを積む必要はない、と。

 今後は放課後の時間を今までやらなかったこと……部活や習い事、あるいは塾へ行くこともなども視野に入れ、考えるようにとも促された。

 しかし天津神のお客様の件が落ち着くまでは、様子見でいいとさくやは思っている。

 怨霊の件が片付かないうちは、さくやだけではなく家中が落ち着かない。


 そもそもの話。

 自分の目指したいもの、あるいはその方向性というものが、彼女は正直わからない。

 何がやりたいというポジティブな希望よりも、不浄に目を付けられないこと・不浄に絡まれないこと・不浄を寄せ付けない強靭さを身につけることばかり考えて、彼女は今まで生きてきた。

 幼児の頃からずっとそうだ。

 無事に生存することが第一義で、それ以上の目的や希望……ひとりの人間としてどう生きたいかまで、考えるゆとりなどなかった。


 自覚はまだ薄いが、さくやはようやくそういう部分を脱しつつある。

 脱しつつある、ことをおぼろげに認め始めた段階の彼女にとって、それは喜びよりも戸惑いが大きい。

 かごの中で飼われていた鳥を急にかごから放してやっても、すぐさま自由にのびのびと空を飛べる訳ではないようなものだろう。

 徐々に慣れてゆくしかない、と、彼女自身も思っている。


 それはそれとして……。


(あーあ。私、みんなから天然って思われてたんや……)


 スマホを置き、さくやはソファにもたれて思う。

 最近わかった新事実に、さくやとしては少々へこんでいる。



 木霊たちの『緑蔭』は不穏で不快な『音』をある程度、シャットダウンしてくれる。

 平常心で過ごす為に必要なことではあったが……その効果がここまで高い、とは、さくやも思っていなかった。

 『緑蔭』の一切ない状態でここ三日ほどクラスで過ごしてみて、さくやは、自分がクラスのほぼ全員から『天然』『ほやんとしてる』『さすが、ヒメ』などと思われていることを知った。

 一部を除き悪印象ではない(その『一部』も、なんとなくイラッとするよなあの子、程度の悪印象だった)ものの……。


(……これって。ウチのおとーさんに対しての私の印象と、ほぼ一緒やん)


 こんなところで親子を実感したくなかった。

 大体、私はおとーさんよりリアリストで、しっかりしている!……筈。


(花ちゃんまで私のこと、『天然姫、かーわいい!』とか、内心思ってたんやなんて)


 脱力する事実だ。


「……洗濯物取り込んで、ご飯でも作ろ」


 平日の夕飯は冷蔵庫にある物で、ある程度はさくやが作る。

 これも中学生くらいからの日課である。

 もし部活や習い事などを始めれば、この辺のルーティンも変わってくるだろう。

 高校進学までは時々両親に勉強をみてもらう程度でなんとかなったが、国公立の大学へ進学するつもりなら、塾や予備校へ通う必要も出てくるだろうし。

 ぼんやりそんなことを考えながら、さくやは手を動かす。


 ご飯を仕掛け、父が作り置きしている出汁を使って里芋の煮っころがしを作り終えた辺りだった。

 庭からすさまじい殺気が生まれ、飛び去る。

 そんな感覚に、さくやは瞬間的に固まった。


(……え?)


 ナンフウ、の気配だった、おそらく。

 だが、彼があれほどすさまじい殺気を放ったのは、さくやが知る限り、初めてだ。

 ぞわ、と背が冷える。


(何があったん?)


 嫌な予感しかない。

 さくやは調理の手を止め、エプロンを外す。

 リビングのソファに座り、何事もないよう祈る。

 それしか出来ることはなかった。



 祈りは通じなかった。

 庭に、木霊たちの気配を感じたさくやは、飛び立つようにそちらへ向かう。

 ナンフウはいた。

 が……大楠に横抱きにされた状態で、幸せそうな顔で眠っていたのだ。


「オナミヒメ……さくやさん」


 浄衣姿の大楠が、苦しそうに息を吐く。


「やられました。ナンフウくんは……怨霊の夢の中へ、拉致されました。私の力では……彼を取り戻すことは出来ません」


 その後のことを、さくやはあまり覚えていない。

 ただ、しばらくして蒼司や両親が帰ってきたこと、すぐに二人が旧野崎邸の離れへ向かったこと、帰宅時間が読めないから夕飯を食べておくように言われたこと……等は断片的に覚えている。

 煮物に再度火を入れ、味噌汁を作り、炊き上がったご飯を並べ、蒼司を呼びにゆく。


 そして彼女は、自室の床でうずくまり、意識を失くしている弟を発見した。

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