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12 転換Ⅱ⑤

 結木夫妻が宿舎へ来たのは午後七時前。

 二人とも、仕事から帰ってすぐ、こちらへ来てくれていたらしい。

 二人に続き、大楠と遥がそっと入室してくる。


 お客のため、円はお茶を用意する。

 そして木霊のお客のため、白湯の用意もする。

 リビングダイニングのテーブルの上にそれらを並べ、円は口を開いた。


「お疲れのところ、わざわざお出で下さって申し訳ないです、皆さん。蒼司君は無事だったと聞いていますが、ナンフウさんが大変なことに……この件の当事者である私が、もっと緊張感をもって対応すべきだったと改めて思いました」


 円が頭を下げると、結木氏はややこわばった顔で笑み、首を振る。


「いえ。その辺はあんまり気に病まんといてください。最近は怨霊さんの気配がかなり薄なってましたから、私らも油断してました。蒼司の習い事も、休ませるかどうか微妙な感じでしたし。あの子が楽しみにレッスン通ってるもんですから、微妙な感じくらいで休ませるんに躊躇しましたし。それに……」


 いただきます、と言い、彼はお茶をすする。


「……普通やったら。ウチの木霊さんの気配だけで、十分、不浄の牽制になるんです、小波の外へ出たんが怨霊のターゲットたる九条さんならいざ知らず。ウチの木霊さんらは、色々な意味で普通の木霊やないですからね。特にナンフウは、不浄相手の直接的な戦いに慣れてますし。かつて『剣』とドンパチやった時も、『剣』が使役してる一番古くて力のある眷属やった死霊(おとこ)を、あいつは独りで強引に浄化しよった実績もあります。それだけの実績持ちやという気配は、むしろある程度以上の不浄の方が、察してビビるもんです。……せやけど怨霊さん本体がお出ましになったら。残念やけど、あいつでは力不足でしたね。そこまでは読めんかった、コチラの甘さでもあります」


「九条さんがあの怨霊さんと対峙するためには、コチラ側としても万全でありたい、そうも思っていました」


 夫人も口を開く。


「日曜日の朝、夢の中で蒼司へちょっかいを出してきた怨霊さんが、結木に一喝されていったん引いてくれたのを、私も僥倖だと思っていた節がありました。国津神である結界(はざかい)の主に一喝されれば、怨霊とはいえ成ったばかりのヒヨコ、四、五日は怯えてフリーズしているだろうとも。こんなに早く活発に動けるのは、私としても想定外でした。彼女は擬似的な『剣』に成っていると考えて、ほぼ間違いないでしょう。『剣』が主に執着する情熱は異常で、主のそばにいる為ならば何でもします。アレは……そういうモノ、ですから」


 そう言った後、彼女もお茶に手を伸ばす。顔色が良くない。

 彼女にとって、『剣』というモノが生涯消えることのないトラウマであると、そのたたずまいから伝わってくる。


「エンノミコト」


 大楠の声が響く。


「体調は如何でしょうか?」


 彼の目をしっかりと見つめ、円は答える。


「ほぼ万全です」


「お仕事は? 私の知る限り、次のお仕事は来週の水曜だった筈と」


「その通りです」


「では……共に参りますか? 本気の反撃をするために」


「参りましょう。といいますか、この件は本来、私が解決すべき問題です。これ以上、小波の皆さんに迷惑かけるのを避けなくてはなりません。私が皆さんの言う『天津神』の名に相応しい男なら、怨霊の一人や二人、今からでもさっさと消しにゆくべきかと。むしろ今までグズグズしていて申し訳なかったと思います。アレが小波の外で私を待ちかまえているというのなら、こちらから出向くまで。アレを滅ぼし、ナンフウさんを取り戻しましょう」


「我が君オモトノミコト。神鏡の巫女姫」


 大楠が、日常の呼び名ではなく、彼にとって正式な呼び名で結木夫妻を呼んだ。


「エンノミコトはああ仰せですが。私がかの方と共に大和棕櫚(おおわじゅろ)・ナンフウを連れ戻しにゆく、許可をいただきたいのですが」


「僕も参ります。許可を願います」


 遥も言う。声自体は震えていたが、決意と本気がにじむ声音だった。


「まあ待ちなさい。コッチもボヤボヤと指くわえてる気ィないけど、急いては事を仕損じるっちゅうのも当たってる。念のため、今週後半は仕事を休む手配もしてきた。そやから……私も行くデ。ウチの土地でウチの(モン)に手ェ出したらどうなるか、今回の怨霊さんだけやなしに、ようようわかってもらう必要あるしな」


 そう言って薄笑いを浮かべた結木氏に、いつもの優しくてもの柔らかな雰囲気はなかった。


(……『雷雲を纏った龍』)


 この前大楠が、本気で怒った結木氏の様子をたとえた言葉を、円はふと思い出す。

 円自身も今、他人から見れば『怖い』と呼ばれるであろう気配を纏っている自覚はある。が、結木氏……否。

 国津神・オモトノミコトの本気の怒りの気配は、一瞬ハッと息を呑むくらい恐ろしい。


「碧生さん!」


 青ざめて叫ぶ妻へ、彼は一瞬、甘く笑んだ。


「心配いらん、るりさん。コッチには今回、天津神がいてはるんや。あの時とは違う」


 そこでふと、彼は真顔に返った。


「ただ……子供らが心配や。あの子らがアホな無茶せんよう、気ィつけたってな」


「……待ちなさい!」


 不意にその場へ幼さが残る硬質な声が降り……黒っぽい人影が、空間ににじみ出てきた。

 襟と袖口に白いレースをあしらった、黒のベルベットのワンピースを身に着けた、人形のように整った顔の少女。

 【管理者・ゼロ】……イザナミノミコトだ。


上位存在(うえ)と掛け合ってきた。特別な戦闘エリア(バトルフィールド)を敷く許可をもぎ取ってきた。関係者一同、その中で闘い……怨霊を生霊へ戻し、彼女の蘇生に努めてほしい。……エン。彼女の、問答無用の浄化は禁じる」


 どす黒い怒りが胸を満たしたが、奥歯を強く噛みしめた後、円は冷たい声でこう答えた。


「承知致しました、我らが管理者(マスター)


 彼女の片眉がピクリとはねたが、特に何も言わなかった。

 これはスイが時々、彼女の命令に対して皮肉っぽく返していた時の台詞だ。

 心に刺さらぬはずがない。

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