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12 転換Ⅱ④

 水曜日。

 仕事を終えて帰宅した円は、縁側に腰かけている遥の様子に違和感を持った。

 夕闇に沈もうとしている空をじっと見、遠くへ耳を澄ましているような雰囲気。

 今日を含め、まだ彼と三日ほどしか近くで接していないが、こんな……どこかしら余裕のない、緊張感のあるたたずまいの彼は、見たことがない。


「遥くん」


 着替えの間に電気ポットで湯を沸かし、小さなお盆に、自分にはインスタントコーヒー、遥には白湯を用意して、円は縁側へ向かう。

 遥はハッとしたように振り返った。


「お白湯、用意してみたんだけど。飲む?」


「あ……、ありがとうございます」


 どこかこわばった笑みを作り、彼は頭を下げた。

 彼のそばにお盆ごとそっと、白湯の入ったマグカップを差し出す。

 円自身も縁側に座って空を見上げ、黙ってゆっくりとコーヒーをすする。

 冷え始めた夕暮れの中、あたたかいコーヒーがじんわり胃に沁みる。


「九条さん」


 マグカップの白湯の表面が少しゆらぐ。

 遥が白湯を飲んだのだろう。


「実は先程、知らせがありました。今日の午後、習い事で小波から出る蒼司さんの護衛をしていたナンフウさんが、怨霊に拉致されたそうです」


 円はマグカップを持った状態で固まった。

 お盆の上の、白湯のマグカップから立ち上るかすかな湯気が、ゆらぐ。


「大楠先生が追いかけ、ナンフウさんの身柄……身柄という言葉で正しいのかちょっとわかりませんけど、ちゃんと取り返せたそうです」


「そう……か。良かった」


 マグカップを盆の上に置き、円は大息を吐いた。


「ええ、それは良かったんです。けどナンフウさん、目を覚まさない……眠っている状態、なんだそうです。意識が……多分、怨霊に囚われたままの可能性が、高いそうです」


「……え?」


「ナンフウさん、なんだかすごくいい夢を見ているような顔で眠っているって。まずいですよね、『夢』の中へターゲットを囲い込むのは、月の氏族の怨霊が使う常套手段でもありますし。ついにアチラが本気を出してきたというところでしょうか?」


「……俺に出来ることは?」


 居住まいを正して遥に問う己れの声が、我ながら冷ややかで恐ろしいのに、心の隅で円は驚く。

 しかし、瞬間的に沸点を超えた激しい怒りは、むしろ青白く冷ややかな光を放っているのを円自身も自覚していた。

 遥の瞳に刹那おびえたような影が差し、ぶるっと身体を震わせた。が、彼はきつく唇を引き結んだ後、息を整えてこう言った。


「……大楠先生が。エンノミコトに、今は待機していてほしいと伝えてきました。我らの主と神鏡の巫女姫が、コチラの宿舎へ宵には参ります。その時にはナンフウさん以外の我々もこの場にいる予定です。具体的な行動指針は、その時に決めたい、と」


「わかった。じゃあ……、まず軽くシャワーでも浴びてくることにするよ」


 円は笑みを作り、立ち上がった。

 自分自身の気持ちを抑え、整える意味からも、熱いシャワーでも浴びてすっきりしたくなったのだ。


(……卑怯者が。手を出すんなら直接俺に来い! 【dark】!)


 彼ら【dark】にそんな理屈が通じないことくらい、そして目的のためなら手段を選ばないことくらい、【eraser】になったばかりの頃から円も骨身にしみている。

 一番腹が立つのは、知っていながらその辺の警戒感が薄れていた、自分自身に対してだろう。


(小波の外へは出ない方がいいと、もっと強く、少なくとも結木家の子供たちに伝えておけば……)


 彼らが【dark(不浄)】の対処に慣れているからと、対策を任せ過ぎ、放置し過ぎた。


(……容赦しない。少なくともお前が俺の下腹につけた傷は消したんだ、そう簡単にこちらもやられないからな)


 【Darkness】と対峙した経験のある、【eraser】・エンを舐めるな!



 熱いシャワーを頭から浴び、円は歯噛みする。

 長い夜が始まる、そんな予感がした。

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― 新着の感想 ―
[一言] まさかのナンフウがピーチ姫ポジに( ˘ω˘ )
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