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11 朝Ⅱ①

 なんだか変な夢を見た。

 寝ぼけた頭でそんなことを思いながら、円は布団の中で寝返りを打つ。

 窓の向こうは明るく、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 今日も清々しい朝だ。


 詳細は覚えていないが、高校一年生の真冬の頃の夢……だったっぽい。

 スイと死に別れた頃の寂しくてやるせなかった気分が濃くただよう、そんな頃の夢。


(ナンフウの話に触発されたかな?)


 彼はふと、そう思う。



 To be or not to be,that is the question.


 意識していなかったが、人生で一番シリアスにそんな気分だったのは、状況が『詰んでる』今よりあの時だったと円は思う。

 後で気付いたのだが、あの頃、クラスメートだった及川がずいぶん円を気に掛けてくれていた。

 事情の知らないクラスメートの目から見ても、当時の円は精神的に危うい雰囲気だったのだろう。


(……この夢。悪夢っちゃ悪夢だけどさ。いわゆる呪殺関係の悪夢とは違う、気がするなァ)


 左手を持ち上げ、彼は、朝の光の中でしげしげと見てみる。

 親指の付け根辺りに、てのひらのしわに紛れてほとんどわからない、白っぽい傷跡がある。

 もう十年以上前の傷だ。



 スイの墓参りから帰ったある日、多分、最初の月命日だったから一月だったと思う。

 円は自室で発作的に、カッターナイフで自傷したことがある。

 半分以上無意識だった。

 鈍く光る刃を見ていると、何故か急に我が身を切りたくなったのだ。

 切りつけた先が手首ではなく親指の付け根だったのはどうしてなのか、自分でもわからない。


 身体に刃が埋まった刹那、全身に冷たいものが走った。

 遅れて痛みを自覚し、大袈裟に言うと傷から噴き出す鮮血に、円は焦った。

 乏しい知識を総動員し、慌てて傷口の洗浄・消毒・止血に努めたことを、今更ながら思い出す。


(素人の手当てで何とかなる程度だったし、大した傷じゃなかったんだけど)


 細いが、動脈を切ったのは確かだ。

 どくどく、と、脈動と共ににじみ出てくる血が本能的に怖かった。

 それで結果的に、『結局のところ死にたくない』のだという自分の中にある本音がはっきりとわかった……。


「ふふっ」


 未だに思考のパターンが変わらねえなと思う反面、あの頃とはずいぶん変わったなとも思う。

 あの頃の自分は、医者になろうなんてまったく思っていなかった。

 スイの死を見送り、半端ながら自傷に至った後、じわじわと彼は、ヒトの生き死にに関わる職に就こうと思うようになった。


 最初は終末医療に関わりたいと思っていた。

 しかし学びと研修の途中で、『生きる』というベクトルしかないといって過言ではない、幼い子供たちの在り様に圧倒された。

 歳の近いいとこもいない、しかもひとりっ子だった彼は、身近に自分より幼い子供を知らずに育った。そのため、子供の持つ潜在的なパワーに普通の者より圧倒されたのかもしれない。


 よく死ぬことは、よく生きること。

 どこかでそんな言葉を聞いた気がする。

 理屈ではなく子供たちはそれを教えてくれる、むろん彼らは無意識だが。



 鳥の声に絡まるように、細い笛の音が聞こえてきた。


(……え?)


 まさか、蒼司は朝練までしているのか?

 ちょっと驚き、円は身を起こす。

 リビングダイニングのある部屋の、小さな庭に面した引き戸……つまり縁側のある引き戸を開けた。

 縁側の隅に放置されている、山盛りの吸い殻がいきなり目に飛び込んできた。自分のやったことながら、円は顔をしかめた。後で片付けなくては、と、まず彼は思う。


「おはようございます、九条さん」


 ボーイソプラノの名残りを感じさせる少年の声が、さわやかに挨拶した。

 手に、木製の横笛を持っていた。


「え?……遥、くん?」


 意外な人?がいて、円は思わず目をパチパチさせる。


「はい。陽のあるうちは僕が九条さんの護衛を務めることになりました。よろしくお願いいたします。夜間はナンフウさんが担当で、一日を通じての総責任者は大楠先生が担当します。と言っても、我々がヒト型になれるのはそれぞれの生えている場所と旧野崎邸の敷地内ですから、九条さんのお仕事中や移動時なんかは、近くにはいますけど姿を隠した状態になります。あ、もし御用があるのなら声をかけて下さい、お返事しますので。それから……」


 彼は手にある横笛を構え、何か一節、メロディを奏でた。

 すると、ジュクジュクと鳴きながらスズメの群れがやってきて、縁側の上に何か置き、すぐいなくなった。


(んんん? 何だこれ? スズメの巣材か?)


 木の葉や植物の繊維っぽいものが、無造作にそこに置かれていた。


「これは、僕たちの身体の一部である葉っぱや繊維です。スズメさんたちに頼んで運んでもらいました。小波の中なら基本大丈夫でしょうけど、万が一、不浄が奇襲をかけてきた場合、我々三人が駆けつける為の依り代になります。なくてもたどり着けるでしょうけど、あった方がずっと早く、僕らは九条さんの許に駆けつけられます。ポケットの中でも何でもいいですから、入れて持ち歩いて下さい」


「あ……ああ。そう。どうもありがとう」


 うへえ、なんだかメチャクチャメルヘンだなあ、と思いながら、円は拾い上げる。

 真面目な話、そんなのん気な事態ではないのだが、スズメさんが木霊の依り代になる葉っぱを運んでくるとか、童話かよと思ってしまう。

 王子様めいた美少年の遥が、横笛を奏でてスズメさんを操る様を見せつけられれば、余計そう思ってしまうのも仕方がないというものだ。


「今日は午後からお仕事ですよね。僕は近くにいますけど、気にせず頑張って下さい」


 木霊の美少年はキラキラの笑顔でそう言うと、横笛をかまえた。

 奏でられるのはグリーグの『朝』……ではないかと思われるメロディ。

 澄んだ笛の音が流れる、さわやかな秋の朝。

 贅沢だ。

 なんとなくいい気分で、円は深呼吸をした。

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[一言] ワイも遥きゅんに守られたい( ˘ω˘ )
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