10 To be or not to be,that is the question.④
月下、宿舎の縁側。
コオロギの声とせせらぎの音をBGMに、九条円は煙草を吸っている。
吹く風が、さすがに冷たくなってきた。
結木夫妻からひと通りの話を聞き、それこれ物思いをする円へ、今日はひとまず帰ると言ってキョウコさんは消えた。
「結木氏の話だと小波の方から、君の霊的な意味での身辺警護に三人の木霊たちがついてくれることになったらしいじゃないか。彼らは狂った月の御剣と戦った経験のある頼もしい戦士だし、各々が【eraser】・波もしくはそれに準じる存在でもある。人の夢の中までの護衛は無理だろうが、その直前で侵入者である不浄を撃退するのは慣れている。彼らがいるのなら当面、大丈夫だ」
私は今から、上位存在に報告して相談もしてくる。
やや暗い顔になりながら彼女はそう言うと、消えた。
彼女の、それなり以上に長いキャリアの中でも、今回は稀な事態なのかもしれない。
(……月の『剣』とは、月の『鏡』に従属する、精神攻撃と呪殺に特化した怨霊。月の氏族の最終兵器ともいえる存在。呪殺のキーとなるのが、ターゲットの心に潜む傷や病、願望)
(九条円の心の底には、容易に消えそうもない希死念慮がある。これほど呪殺に相応しい願望はない。彼女はおそらく、そこを狙ってくるだろう)
(『剣』は『鏡』あるいは自らが認める高い能力者を、主と崇めたがる性を持つ。彼女は無意識のうちに九条円を主に擬した、『剣』に近い存在になっている可能性が高い)
(『剣』は主に絶対服従だが、主の不実や心変わりだけは許さない。不実を確信した『剣』は、『破鏡』と呼ばれる無理心中を行う……)
結木夫妻から聞いた話を、円はじっくり整理してゆく。
すなわち。
彼女は、『剣』としてターゲットを呪殺するつもりであろうとも、自分を顧みない『仮想主』を不実だと思い込んで『破鏡』という破れかぶれの無理心中を図ろうとするつもりであろうとも。
九条円を殺す、という最終目的は変わらない、と考えられる。
(……詰んだ)
これほどこの言葉が相応しい状況、円の人生初とさえ言える。
スイと一緒に【Darkness】と戦った時以上に、円は詰んでいる。
この理不尽を撥ね退けたい怒り、生きてやりたいことが沢山あるという真っ当な思いや願いと同じくらい、はっきり言おう、円は『死にたい』。
というか、生きているのが鬱陶しい。
とにかく鬱陶しい。
『神の庭』の紺碧の空を、彼はふと思い出す。
何もかも忘れ、あの空の青に染まってただただ眠りたい、とでもいう抗いがたい誘惑。
きっぱり振り払える自信、今の彼にはない。
(……ああ。クソッ)
そんなに死んでほしいんならさ、もういっそ、今から死のうかな、俺。
斉木千佳に殺していただかなくても、やろうと思ったら自殺くらい出来ますよ。
これでも一応医者なんだ、人体の急所くらい知ってる。
煙草の最後の一本にジッポライターで火を点け、深く煙を吸い込みつつ、円はやけくそな気分でそんなことを思う。
(……あれ? 俺の意志だけで今すぐ死んだら。もしかすると、解決する?)
思いついた『解決案』は、なかなか魅力的だった。
やってもいいかもな、と、かなり本気で思う。
「……エンノミコト」
不意に響く、聞き覚えのない声。さすがに彼はぎょっとし、身構える。
「お初にお目にかかります」
背の高い、立ち姿の美しい若者が庭の隅に立っていた。
ロンTにベストにカーゴパンツ、という感じのカジュアルな服装のようだ。
「なんだかんだで紛れてしまい、ご挨拶が遅れました。小波の水神・結木草仁の眷属である和棕櫚の木霊です。現結木邸の裏庭に、庭木として居を定めて二百年ばかりになる者で、ナンフウ、と呼ばれています。今夜の不寝番として参りました。以後よろしくお願いします」
「あ……そうなんだ。あなた方まで厄介事に巻き込んで申し訳ない、こちらこそよろしくお願いします」
居住まいを正し、煙草を置いて円は頭を下げる。
ナンフウと名乗った木霊の若者が、ふっと苦笑したような気配がした。
「公的な……っちゅうか、建前的な……っちゅか。そういう挨拶はこれで終わりでエエです? 堅苦しいの、ニガテなんですワ」
一気に彼の口調が砕け、円は驚いたが、それはそれで小気味いい。
「いや、それでいいよ。堅苦しいのは俺も苦手だし。一応『エンノミコト』とかなんとか呼ばれてるけど、イザナミノミコトと違ってホント、ただの人間だからね」
言いながら円は、細く紫煙の立ち上る火のついた煙草を灰皿でねじ消し、押しやる。
「ずっと立ってるのも疲れるでしょう? 座りませんか? えと……ナンフウ、さん? だっけ?」
「はい。あの、別に呼び捨てでもかまいませんけど。オレ、自分の主でさえ草仁って呼び捨てにしてる礼儀知らずですから。気ィ遣わんといて下さい」
ナンフウはそう言うと、足音もなく近付いてきて、円から少し離れた位置に座った。
思わず深呼吸したくなる、清々しい空気を彼は纏っていた。
「エンノミコト」
「九条でいいよ」
「ほんなら、九条のにーさん」
独特な呼び方で円を呼ぶと、ナンフウは真顔で円の目を覗き込んできた。
近くでよく見ると彼は、浅黒い肌にはっきりとした目鼻立ちの、エキゾチックな雰囲気のイケメン君だった。
(小波の木霊って二枚目揃いなんだなァ)
まあ、大楠をイケメンと呼んでいいか微妙かもしれないが、彼もある種の『いい男』ではあろう。
なんだかすごい土地だなここは、と、のんきなことを円は思う。
「にーさんは、真面目ですね」
エキゾチックなイケメン君は、不意にそんなことを言った。




