9 神の庭Ⅱ⑥
両親からの話が終わった頃には、さすがにもう午後11時近かった。
『剣』についての話の後に、両親は九条達へ話したことをかいつまんで教えてくれた。
コチラsideの独断(というか、結木さくやの独断だが、その辺は父がぼやかして説明したそう)で、木霊たちを九条の霊的な護衛として付けたこと。
『剣』がどういう存在かを簡単に説明し、斉木千佳嬢の怨霊は正しい意味で月の氏族の『剣』ではないが、『剣』の性――己れより強い能力者を主と崇め、同時に主と決めた者へ激しく執着する性――があるように見えること。
そしてこの場合、九条を仮の『主』と仰いでいる可能性が高い、こと。
「……『剣』は『鏡』に、絶対服従の契りを結ぶんだけど。ただ一度だけ、逆らうことが許されているの。『鏡』が『剣』の主として相応しくない振る舞い……要するに『剣』の愛情や信頼を裏切る、わかりやすく言うなら心変わりと言っていいかもしれないわね。妹背の契りに対する『鏡』の不実を『剣』が確信した瞬間。『剣』は、『破鏡』と呼ばれる無理心中を行う権利を持っています」
「むり、しんじゅう?」
姉のさくやがつぶやく。
うなずき、今度は父が続ける。
「そりゃあ天津神の九条さんにこのルールが適用されるかどうかわからん。せやけどそれに近いこと、やらかす可能性は非常に高い」
父は大きくひとつ、息を吐いた。
「大体、九条さんは端からあの子のこと、過去に診察した患者さんのひとりとしか思てへんねんからな。せやけど、あの子としては九条さんが自分のこと、何とも思てへんなんて耐えがたいやろう。彼女はまともな思考が出来へんねんから、不実やと思い込むかもしれん。第一、あの子が怨霊になってまで叶えたい望みがそもそも、九条さんとの心中やねんし。『剣』という怨霊の持つ特殊能力はターゲットの呪殺で、呪殺する為の鍵を握るんは、ターゲットの心の底に沈むトラウマとか昏い望み……」
「……九条さんの心の底には。さっき言ったように希死念慮があるのよ」
母がポツリと、父の言葉の後を続ける。
「ここまで条件がそろっている九条さんを守る自信、私にはないのが正直なところなんだけど……」
「大丈夫や」
父は不意にすっと背筋を伸ばし、はっきりとそう言った。
「ここは小波や。神鏡の巫女姫に従ってた力の強い怨霊を、皆して鎮めた実績がある土地なんやで。普通に考えたら勝ち目のない戦いを、辛くも逃げ切って勝った経験者が揃とる。九条さん自身が1から10まで死にたがってはるんやったら話は別やけど、そういう訳でもないしな。ま、ぶっちゃけ希死念慮のひとつやふたつ、フツーに生きてたら誰でも抱えてるモンや。それはそれとして、心の他の部分で明日のメシは何しよかと考える、それが人間てモンやと思うで」
もちろん、責任の重さと所在は変わらんけど。さくやが木霊さんらへ『緑蔭の癒し』を命じたのは、フライングやけど結果的に良かったというか、必要なことやったと今は思うで。
最後に父はそう言い、いつものようにふわりと笑んだ。
細かいことはまた明日以降にとなり、この日は皆、やすむことになった。
その夜。
蒼司は自室のベッドに横たわりながら、神事の場からこっそり持ってきた不思議なもの――所々に焼け焦げめいたものがある、紙とも布ともつかない、半分にちぎれた付箋紙程度の大きさのもの――を、眺めていた。
制服のポケットから出した後、きれいなハンカチに包んで、そっと机の上に置いていた。
さっきの話し合いが終わるまで半分くらいその存在を忘れていたが、こうして改めて手に取ってみると、この神具の欠片に残るかすかな気配……イザナミノミコトの気配に、蒼司は、甘苦いような胸の疼きを覚える。
(オレ。イザナミノミコトを『主』と崇めようとしてる……)
『剣』の性を持つ者が、特定の誰か……己れより能力の高い誰かを崇める、ということは。
つまり、その相手が一生に一度の恋の相手、なのだ。
母の話を聞いて確信に至ったが、目をそらしてきたものの、それは蒼司の中の一族の血がすでに教えてくれていた、残酷な事実だ。
叶おうが叶うまいが、蒼司の心・蒼司の魂はすでに、イザナミノミコトに縛られた。
イザナミノミコトが受け入れなかったとしても――というか、受け入れられることなど万にひとつもありはしない。一族の人間ではないどころか彼女はまぎれもない天津神であり、そもそも人間ではないのだ。『天津神の御力を受け入れる器』という意味での天津神である、九条のような立場ですらない――蒼司の思いは変わらない。
(不毛すぎるやん……)
神に恋してどうする。
キリスト教の修道女は『神の花嫁になる』的な言い方をするらしいが、蒼司は間違っても『イザナミノミコトの花婿になる』などと決して言えない。
(うへ、メッチャ不敬やし)
赤面しつつ、蒼司は思う。
蒼司の場合は『イザナミノミコトの奴隷になります』くらいでギリギリ許されそうな気はするが、イザナミノミコトから『断る』と即答されそうだ。
(オレなんか。奴隷であってもあの方に必要とされへん)
思うと、きゅうっと胸が痛む。知らずに涙がにじんでくる。
発作的に蒼司は、手の中の神具の欠片を口に入れ、やみくもに呑み込んだ。
そんなことをしても意味ないことはわかっているが、せめてもの縁になってくれという、無意識での願いの爆発だった。
白銀の光が刹那、まなかいに閃いたような衝撃があった。
しかし一瞬後、見慣れた自室のベッドの上で横たわり、固まっている間抜けな自分の姿を、蒼司は見出した。
しまりのない自嘲を浮かべ、彼は、部屋の明かりを完全に落とす。
掛け布団を引き寄せ、丸まって強引にまぶたを閉じた。




