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9 神の庭Ⅱ④

 小一時間ほどで両親は戻ってきた。

 時刻は午後9時を回ったところ。

 リビングにお茶が用意され、家族全員が集まった。


「九条さんは案外、元気にしてはった。顔色も良かったしご飯も食べられたみたいや。早めに寝るようにするとは()うてはったけど、明日からの仕事には支障ない体調やと、本人さんも言うてはった。イザナミノミコトが、天津神の裏技を使(つこ)たとも笑いながら言うてはったから、本当に体調の心配はいらんみたいやな」


 まずは良かった、と、父はほほ笑んだ。

 さくやもホッとした。

 冗談ではなく、九条はさっきの神事で死にかけたのだ。

 理由の如何を問わず、死にかけた人間というのはそう簡単に回復しない。

 たとえ神格者(ミコト)と呼ばれる人であっても、だ。

 だが、イザナミノミコトがそこをフォローしてくれたのなら安心だ。


「体調面は回復なさったみたいだけど。一番気になる心配事は、解消していないままなのよ」


 何か考えながら静かな声で、母は、父の後を続けた。


「『月のはざかい』の中であの方は、私の想定以上の速さで、ためらうことなく真っ直ぐ、ご自身の心の底を視てきたのよ」


 彼女は小さくため息を吐く。


「自分の心の底というのは、誰であってもなかなか素直に視られないものだけど。あの方は、ちょっと珍しいくらい忖度なく、初めて『神の庭』へ向かった人と思えないくらい真っ直ぐご自身の底を視てきたようなの。彼の心の底に沈んでいたのは……、いわゆる希死念慮、死にたい、という強い思いだったそうよ」


 軽く目を閉じ、母は続けた。


「これは憶測だけど。あの怨霊化した斉木千佳とかいうお嬢さんが九条さんに執着したのも、彼が、たまたま担当してくれた若くて格好いいお医者さんだったという面だけじゃなく。彼の心の底に沈んでいる、希死念慮に強く惹かれたんじゃないかと思うの。彼が、天津神の器として完璧に近い、眩しいばかりに光り輝く存在感でキビキビ立ち働いているにもかかわらず、心の底に強い希死念慮を抱えていた――その闇は濃く深く、覗く者を存在ごと引きずり込むような、ある種の美しさを持っていたのでしょうね。病んだ彼女が魅了されたのもわからなくはない、そんな気がするの」


 淡々としていながら、奇妙なまでに実感のこもった母の言葉。

 なんだか背筋がぞわぞわする。

 まるで自身の経験を語っているようだと頭の隅で思った次の瞬間、さくやと蒼司はあっと息を呑む。


 まったく同じとは言い切れないが、これは母自身の経験なのだ。

 



「……どっちか言うたら『生きてるのが鬱陶しい』、の方が正しいかもしれんけど」


 父が、場違いなまでにのんびりとした感じで口をはさむ。


「この辺は、なんとなく覚えのある感覚やからねえ。人間の器しかないのに人間を超えるような能力(ちから)を制御せんといかんっちゅうのは、やっぱりしんどいからなあ」


 しみじみと父は言った。

 こちらもひどく実感がこもっていて、さくやと蒼司は若干戸惑う。

 いつも自然体というか飄々としている天然の父に、『希死念慮』はあまりにもそぐわない。

 彼はそんな子供たちの表情に気付くと、苦笑した。


「お父さんが()うても説得力ないか? これでも若い頃は結構、シリアスに悩んだりもしたんやで? なんせ、この手の能力ってのは必死に頑張って制御しても特別エエこともない上、周りに愚痴ひとつこぼすことも出来へんからなあ。そんなもんやと諦めて暮らしてても、やっぱりしんどなってくる。お父さんは幸い、小波の木霊さんらにちょいちょい愚痴こぼせたからまだマシやったけど、親兄弟がおらんようになって独りで暮らしてた頃のお母さんは、ホンマに大変やったろうと思う。九条さんの状態も、あの頃のお母さんに近いみたいやからな……神事の最中に死にたなるほど、疲れてはったんやな」


 父の言葉に、母の眼がほんのり潤んだ。

 『ホンマに大変』な頃のことを思い出したのかもしれないし、『ホンマに大変』な今の九条に対する同情かもしれない。


「……せやけど。九条サンにはイザナミノミコトがいてはるやん、お父さんに小波の木霊がおったみたいに。そこは救いになるやんか」


 蒼司がボソッと呟くと、父は苦笑しながらこう答えた。


「うーん…そうやな、いてはれへんよりはずっと救いやろう。まあ、お父さんは九条さんとは違う人間やから、はっきりそうやと言い切れんけどな。せやけど蒼司。いくら物分かりのエエ相手やったとしても、お前さん、親や学校の先生に何でもかんでも包み隠さず、相談したり愚痴ったり、出来るか?」


「え?」


 思いがけない問いだったのか、蒼司は一瞬、ポカンとする。


「イザナミノミコトは九条さんから見て、親とか学校の先生みたいな立場の方やで? あの方の今の見かけは、小学校高学年くらいの女の子やけど、十年くらい前までは怜悧な感じの妙齢の美女やった。九条さんの年齢から考えて、彼があの方と初めて()うたであろう頃は、見た目の年齢差はそれこそ、先生と生徒くらいの感覚やった筈や。今はナンでか、まあ多分、怨霊退治がらみの事情のせいやろうけど、エラいこと若返って女の子の姿してはるけど。二人の間柄は、先生と生徒あるいは上司と部下、どんだけ親しいとしてもお母さんと息子、が精一杯や。実際、あの神事の後でイザナミノミコトは『彼の親代わりを務める者』って、ご自分で()うてはったし。まあ要するに、九条さん側からもイザナミノミコト側からも、どうしても遠慮っちゅうのが出てくる間柄やな。そこはもう、仕方(しゃー)ない。蒼司も、別に仲悪い訳やのうても、担任の先生や親に、何でもかんでもは言えんやろ?」


 指摘に、さすがに蒼司は詰まった。


「そういうこっちゃ。……あー、話がずれまくってるな。るりさんごめん。肝心の話、続けて下さい」

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