8 神の庭⑥
円はふと、自分が今、誰かに背負われて運ばれているらしいと知る。
前後のことがわからず、瞬間的に彼は混乱した。
「あ、目ェ覚めましたか? 九条さん」
身動ぎしたからか、自分を背負っている人物が立ち止まり、声をかけてきた。
「え? は? ……あ、あの。一体……」
声の主が結木氏だと、一瞬後、彼は気付く。
「あああ! ス、スミマセン結木先生! おおお、降ります!」
焦って降りようとしたが、結木氏は笑っているだけで降ろしてくれない。
どうやら彼は、見かけよりずっと力持ちらしい。
「いやあ、もうそこですし遠慮なさらず。樹木医なんぞやってますと、知らんうちにソコソコ体力がつきますんでね。お相撲さんは無理ですけど、九条さんくらいの体重の方やったら私、運べんこともないんですワ」
「九条君。背中に負われた状態で下手に動くと、却って結木氏に迷惑だよ」
キョウコさんにまでそう言われてしまい、忸怩たるものを噛みしめながらも円は、彼の背中でじっと小さくなっているしかなかった。
結木氏はのんびりと話す。
「あの神事の後はぐったり疲れるんですよ、月の氏族の人間やない限り。気ィ失うことも珍しないんです……っちゅうか、私自身も若い頃、引っくり返った経験が何回かありますから。むしろ、予想よりかなり早く目ェ覚ましはったなぁと思います。さすがは九条さん、ミコトと呼ばれるだけの格の方ですね」
「あ……い、いえ……とんでもない、です」
苦いものを噛みしめ、円は答える。
『神の庭』で自分自身と対峙する。
それが、こんなに恐ろしいことだったとは。
円はふと、かつてスイと共に闘った時のことを思い出す。
【Darkness】が創り出す、窒息しそうな程の負の感情がみっちり詰まった、薄闇に沈んだあの世界も確かに恐ろしかったが。
虚心坦懐にというか、ひたすらまっすぐ己れの心の底の底を見つめる恐ろしさは、単純に己れを害するものを撥ね退ければいいのではない分、ある意味、より恐ろしいかもしれない。
(俺は……死にたい、のか?)
見えた己れの本音に、我が事ながら言葉を失う。
そういえば、神事の前にもさくやから、ツクヨミノミコトからの警告として『九条円は死にたがっている』と言われた夢を見た、と聞かされた。
その時は正直、まさかと思った。
冷静に考えても自分が、切実に『死にたい!』と思い詰めているとは、どうしても思えなかったからだ。
十年二十年生きていれば、人間誰しも生きていること自体が鬱陶しくなり、ふっと、死にたい、と思うこともあるだろう。
思春期の青少年なら尚更だ。
思い返してみれば。
いじめのターゲットにされていた頃や、有形無形の【Darkness】の攻撃を受けて精神を揺さぶられた時。
そして……【Darkness】との戦いの後、【eraser】として唯一無二の相棒であった、スイが亡くなった時。
円はかなりシリアスに、死にたい、と思ったことがある。
(……しっかし。アレは一過性の感傷みたいなものだったぞ。そんな子供じみた感傷を、いい歳の男がしつこく抱えていた、のか?)
自分で自分の幼さを嗤おうとしたが……上手くいかなかった。
幼かろうが醜かろうがきまり悪かろうが。
あれが、己れの心の底にあるまぎれもない本音、だということくらい、円もわかっている。
だが、その本音をどうとらえ、どう受け入れていけばいいのか、わからない。
円を背負ったままゆっくり歩く、結木氏の背中はあたたかい。
この背中に、どこまでもすがろうとはさすがに思わないが、さりげなく差し出されるそのあたたかみに、円はじんわりと癒される。
『あたたかみに癒される』自分もまた、自分だ。
死を望む自分だけが、自分……九条円では、ない。
そこをフラットに見られるくらいは、自分は、高校時代よりは大人になったのかもしれないなと思い、彼は苦く笑った。
「宿舎の縁側が見えてきました。そちらまで運ばせていただきます」
あたたかい背中を持つ人は、優しい声でそう言った。
礼を言った瞬間、何故か円は目頭が熱くなった。
唇を噛みしめ、何とか落涙はとどめた。




