8 神の庭①
「お連れする、と言うより、垣間見ていただく、が正しいかもしれません。『月のはざかい』を敷き、その中でアチラを見ていただくという、簡易的な形になりますので」
イザナミノミコト――否、この場合は【eraser】の管理を司る【管理者・ゼロ】と呼ぶべきかもしれない――は、軽く眉を寄せて言った。
「仕方ない、百聞は一見に如かずともいう。怪我が完治していない今の彼を、アチラ……国津神の領域にして人間の心の奥底へやるのは心許ないが。あそこを垣間見れば彼も、今までの話を我がことのように受け取れるだろうし」
イザナミノミコトは細い首をよじり、九条の目を覗きこむ。
「私からも命綱は渡しておこう。たとえ万が一のことがあっても、君が生死の範を超えないよう最善を尽くす。月の氏族最高の能力者である神鏡の巫女姫がナビゲーターなのだから、これ以上の手厚いサポートはない。行ってきなさい」
「は? はいい?……ちょっ、ちょっとキョウコさん!」
九条がやや情けない声でイザナミノミコトを呼んだ。
どうやら彼は普段、イザナミノミコトをそう呼んでいるらしい。
(思い返せば一番最初、津田高で彼らと会った時、彼女はそんな感じで名乗っていたことを、さくやはおぼろげに思い出す。あまり彼女に似合わない『人間っぽい』呼び名なので、失念していたが)
何故彼女の呼び名が『キョウコさん』なのかはわからないが、まるで親戚のお姉さんを呼ぶかような心安さに、さくやは内心驚く。
イザナミノミコトをそんな風に呼ぶ気に、少なくともさくやは――さくやの家族や小波の木霊たちは――なれないだろうから。
九条は激しく困惑していた。
そんな恐ろしいところへ何故、それも今、行かなくてはならないのだと顔に書いてある。
「……って、いいますか。そもそも『神の庭』って、何ですか? さっきのお話に出てきましたけど、『月の氏族』の方にとって行かなくてはならない、いわゆる霊的な場所なんだろうと解釈してぼんやり流してましたけど。一族と無関係の者でも、行けたりするんですか?」
「行けるよ。君は人間だから」
断言し、イザナミノミコトはちょっと情けなさそうに笑った。
「逆に言えば、私は行けない。人間ではないからな。それでもアチラへ行こうとする場合、私より高位の存在がアクセスしてくれなくてはならない。神道的に言うのなら、私のような下っ端の天津神では行けない次元なんだ。でも人間なら行ける。そういう『場』だからな」
「九条さん」
母の声が静かに響く。
「100%安全を保障するとまでは申せませんが。私が月の氏族の長として、責任を持ってあなたをお連れいたします」
ふっと、思わずのように母は息をついた。
「一度、垣間見て下さい。あそこは生死のはざまであり、あなた御自身の心の奥底でもあります。自分の心の奥など、誰であってもあまり見たくないものでしょうけど……『ミコト』であるあなたならきっと。あなた御自身から逃げずに対峙できましょう。そもそも月の氏族所縁の怨霊と対峙する為には、御自身との対峙は最低限必要になってきますので」
人間くさい、困惑にまみれていた九条の表情が、ふと変わる。
冴えた真顔、というのだろうか。
普段の気の良い青年、あるいは、優しく真面目な小児科医の顔ではなく、小波神社で蒼司の穢れを祓った、『天津神・エンノミコト』の顔だ。
「……そう、ですか。怨霊と対峙するのに必要ならば、奥さん……神鏡の巫女姫のお世話になってでも、チャレンジする必要がありますね。多分、今の私は具体的なことなどまったくわかっていませんけど、今後に必要ならばやってみます」
母は軽く目を伏せる。
「ご決意下さってありがとうございます。では、今から段取りの説明を致します」




