7 共闘へ⑦
「愚息が失礼いたしました」
父が言い、両親がそろって頭を下げるのへ、九条はややあわてたように首を振る。
「ああ、いえ。不用意なことを言ったのはこちらです。デリケートな問題に対する配慮が欠けていました」
さすがにばつが悪いらしく、蒼司は小さくなっている。隣に座っている父からうながされ、蒼司は、
「あ……ボクこそ、すみませんでした」
と、もぞもぞと謝り、居住まいを正して頭を下げる。
「いや、蒼司くんがそう言いたくなる気分もわからなくない」
イザナミノミコトが静かな声でそう言った。
「他人から、剥き出しの悪意や邪な感情を向けられる、それも『本音』として隠し持っているのを否応なく知らなくてはならないなど、大人であっても辛い話だ。それが幼い子供にとってどれほど過酷か、その立場にない者には推測することも難しい。彼の怒りは尤もだ」
母は少し困ったように、ほのかに笑んだ。
「お二人とも、お心遣いありがとうございます。我々の血筋は確かに厄介な特性を持っておりますし、持て余すことが多々あるのも事実です。ですが、そういう生まれ持っての特性というのは、どんな人であってもある程度は背負う、選択できないさだめのようなものかと。それが我々の場合、遺伝で受け継がれてしまう過剰な能力……それは、大きな平たい目で見れば、才能とか個性とか言えるものかもしれませんが。そこの部分を、過剰に誇るのも卑下するのも、あるいは過剰に我が身の不幸として憐れむのも、不健康だと思います。……もっとも」
ふと母は、照れたように軽く目を伏せた。
「芯からそう思えるようになったのは私の場合、小波で暮らすようになってから……かもしれませんから。息子に、あまり偉そうなことを言える立場ではありません。それでも……」
母はやや痛ましそうに顔を曇らせ、さくやと蒼司を見た。
「今はよくわからなくても。頭の隅にこのことは置いておいてね、二人とも」
「は、い……」
「わ、かった」
小さな声で諾うさくやと蒼司へ、母は淡い苦笑いをした後、頬を引く。
「失礼いたしました。話を戻します」
「蒼司が思わず言ってしまったこと、この先の話とあながち無関係ではありません」
母は言うと、軽く息をついて紅茶を一口、飲んだ。
「他人の心が隠し持っている『本音』を覗き見てしまうということは、こちら側の心身へダメージを受ける事象でありますが。逆に言えば、相手の最も弱い部分を察知する、ということでもあります。何を、どこを突かれるとその人の心を最も傷付けることが出来るか……否応なしに知る、ということでもあるのです」
そこまで言うと母は再び、軽い息をついた。
苦しそうでもある。
この先のことを『月の一族』でない他人へ告げるのは、難しい。
過不足なくきちんとわかってもらえる可能性は、限りなく0に近い。
イザナミノミコトはともかく、たとえ天津神と呼ばれる特殊な立場の人であったとしても、人間である限り『恐ろしい』『気味が悪い』と思って当然だからだ。
「結論を言えば、『月の一族』の者、少なくとも『神の庭』と呼ばれる生死のはざまにあるこの世ならざる場へ行ける程度の能力者なら。もちろん得手不得手の差はありますが……、呪殺、が可能です」
「……は?」
イザナミノミコトの顔色は変わらないが、九条はポカンとした。
「呪殺、文字通り『呪い殺す』ことです。死に至らなくても、この力を使えば相手の精神を破壊することは、比較的たやすいでしょう」
母は再び、息をつく。
顔色が良くない。
とんでもないことを聞かされ、九条は固まっている。
多分、よくわかっていない。
「九条さん。人間にとって一番恐ろしいことって、何だと思いますか?」
九条はパチパチと目をしばたたく。
急に話を振られ、困惑しているのだろう。
「は?……あ、いや。急に言われても、ちょっと思いつきません。年齢や立場、その時の環境によっても、色々と変わってくるでしょうし……」
もぞもぞとそう言う九条。母は、どこかあきらめのにじむ苦笑を浮かべた。
「おっしゃる通りです。ですが……共通している、部分があるものなんですよ。その人にとって一番恐ろしいのは、その人自身の心の中に深くしまわれている、恐れ。あるいは自分の弱み、自分の醜さ、見たくなくて封じ込めてきた心の傷。それを白日の下に晒されることが、人間にとって一番恐ろしいことなのです」
顔色は悪いが、母の表情は静かだった。
「あまりいい例ではないかもしれませんけど……例えば。戦場の最前線で戦う兵士にとって怖いのは、敵の攻撃による死や仲間からの裏切りによる死、である可能性が高いでしょう。生き物である限り、死が恐ろしいのは当然です。何が何でも自分の身を守りたい、そう思うのも当然です。でも……それが高じて。仮に、たとえ仲間を犠牲にしてでも自分だけは助かりたいという『本音』を持ってしまった、とします。そんな『本音』が人間として良くないとわかっているし、逆に自分が誰かの『犠牲』にされたとしたら激しい怒りを覚えるだろうこともわかっている、でも死の恐怖を前にしたらその『本音』が、心の奥で消えることはないと仮定します」
九条はあやふやな表情で、うべなう。
「……そこまでの極限状態になったことがないので、確かなことは言えませんけど。そういう心の動きになることそのものは否定できませんし、ある意味仕方がないかと」
母は苦笑いを浮かべた。
「私もそこまでの極限状態を経験したことはありませんから、これはあくまで例えです。……つまり。その人の『本音』は、生き物としては仕方がないにせよ、人間の有り様としてはまったく美しくない、少なくとも当人はそう思っていたとします。その『本音』に対し、彼ないし彼女が深く深く恥じる気持ちがあると仮定した場合、それを、当人の目の前に隈なくさらけ出して見せれば。激しく動揺してまともな行動がとれなくなる、最悪なら精神が崩壊するであろうという流れ、おわかりいただけますか?」
「……なんとなく」
やはりあやふやにそう答える九条に、母は苦笑を深める。
「今はなんとなくで結構です。……イザナミノミコト」
母は、感情を消した『一族の長』の目をイザナミノミコトへ向けた。
「一度……九条さんを。『神の庭』へお連れしても、かまいませんか?」




