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6 転換⑤

「……ええ? そん、な……」


 やや混乱し、蒼司はまじまじと、ツクヨミノミコトの細面の怜悧な顔を見た。

 その様子に何やら不穏なものを感じたのか、ツクヨミノミコトは眉を寄せると、いきなり蒼司の顎をつかんで瞳の中を覗き込んできた。


「……なるほど。面白くもいやらしいことになっているではないか。我と(えにし)のある者は、今現在、どうやらお前たちだけではなかったようだな。この娘、かなり血も薄れているというのに、狂い咲きのように突然、能力が開花したのか? ……これまでさぞ心細く、生き辛かったろう。だが怨霊化した者を、このままま野放しには出来まい。……若子よ」


 つかんでいた顎から手を離すと、ツクヨミノミコトは真面目な顔で蒼司へ呼びかける。


「お前は疾く帰り、神鏡……母へ、お前の知ることをすべて話せ。天津神からも話を聞き、皆で今後の対策を練ることだ。エンノミコト、つまり九条円に憑いている生霊は、ただの生霊ではない。かなり傍系ではあろうが『月の一族』の血筋に連なる能力者、それも、生霊化した影響もあるだろうが神鏡たるお前の母に次ぐほど強力な。疾く帰れ。ぼやぼやしていたら、エンノミコトの命だけで済めば僥倖、最悪の事態に陥れば小波丸ごと怨霊に呑まれ、結果【深淵】が口を開けることになり……イザナミノミコトが、動く」


 ろくに意味もわからないのに、蒼司は、ミコトの沈んだ声音に戦慄していた。


「疾く帰れ!」



 ハッと気づくと蒼司は、自室へ戻っていた。

 全身に冷たい汗が噴いていた。




 さくやは母と一緒に、自分たち家族のお昼と九条の昼食用のお弁当を作り始めた。


 まずは米を研ぎ、ご飯を炊く。

 母と相談し、小さめのおにぎりをたくさん作ることにした。

 俵型の、塩おにぎりと青菜を混ぜたおにぎりの二種類だ。

 九条用だけでなく、変な時間に朝食を食べた蒼司や九条の様子を見にゆく予定の父のことも考え、いつでもすぐ食べられるよう、炊いたご飯はすべておにぎりにした。


 怪我人の胃に重くないおかず、といわれても素人にはよくわからないが、さくやはとりあえず九条のために、市販の白だしでだし巻き玉子を作ることにした。

 その間に母がほうれん草をさっとゆがき、胡麻和えを作る。

 常備菜として昨日作っていた、茄子とシシトウの煮びたしもおかずの一品として添えることにした。

 そして朝食用に作ったポタージュを温め直し、スープポットへ入れた。

 食べるのが重いなら、スープだけでも摂ってもらおうと考えたのだ。


「美味そうな弁当やけど、アッサリしてるというか精進料理みたいやなァ。せやけど痛みで唸ってる人に、あんまりゴツいおかずは食べるんもしんどいやろうし」


 父はお弁当を見るとそう言った。


「もしかしたら粥とかの方がエエかもしれんし、あの様子やったら食事が出来るんかも微妙やしなァ……まあ、その時はその時で、お父さんアッチで何とかしてくるワ」


 あまり冴えない顔色で彼はそう言うと、お弁当を小さな紙袋へ入れ、九条のいる宿舎へ向かった。



 さくやは母と、作ったおかずと一緒におにぎりを食べる。

 父曰く『アッサリしてる』内容だが、朝から色々あって疲れた心身には、これくらい軽い食事がちょうどいい。

 二人はダイニングで言葉少なくおにぎりを噛み、中途半端に残ったポタージュをわけあってすすった。



「お母さん…あー、いえ。『月の鏡』に、報告と相談があるんですけど。今、いい?」


 食事が終わってお茶を淹れ直した時を見計らい、さくやは口を切る。

 もっと早くに言うべきだったが、朝からイレギュラーなことが立て続けに起こったこと、さくや自身がどう説明したらいいのか悩んだこともあり、なかなか言い出せなかったのだ。

 母は飲もうとしていた湯呑みを下ろし、目顔でさくやを促す。


「実は。今日の明け方、ツクヨミノミコトからのメッセージらしい夢を見たんやけど……意味わからんとこあるし、どう伝えたらエエのんか迷っててん。とりあえず、覚えてる範囲で全部伝えます」


 左脇腹に傷がある九条は要するに、いつも見る夢の、丘の若木の下で苦しんでいる左脇腹に傷があるユニコーンであること。

 彼はさながら野山に住む野生の獣のように、傷や苦しみを他人に見せようとしないし、助けを求めることもしたがらない傾向があること。

 そのため、取り返しがつかなくなる可能性を示唆されたこと。

 そして一番の問題は、彼自身が無自覚に『死にたがっている』こと。


「ツクヨミノミコトはこんな風におっしゃいました。

『今のところ、この男には死ぬつもりも怨霊の娘にほだされる様子もない。だがある瞬間、ふいっと何もかも嫌になり、娘と死ぬ『運命』とやらに従う可能性がある』

って。それから……、それを止められるのは私だけ、やとも」


 からからに口が乾いてきたので、さくやはそこでお茶を飲んだ。


「私だけや、ってミコトはおっしゃるんやけど。そのくせ私一人ではあの人を引き止めるのは無理やとも言いはるねん。でも、私抜きでは死のうとする九条さんを止めるんは難しい、とも。……どう判断したらエエのかわからんねんけど、みんなで力合わせろ、みたいな意味かなとは思います、けど」


 母は考えごとをしながら、のろのろと湯呑みを取り上げた。


「……九条さんが怨霊の影響を受けていそうなのは、私もさっきの様子から感じたなぁ、確かに。どうすればいいのか、今のところは私だけで判断できないけど」


 そこでふっと、母は暗く笑った。


「ある瞬間、ふいっと何もかも嫌になり……死を選ぶ。忘れていた感覚だけど、わかる気がするなぁ。あの人……、結構。精神的にあやうい状態なのね」

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― 新着の感想 ―
[一言] >あの人……、結構。精神的にあやうい状態なのね まあ、いろいろありましたしね( ˘ω˘ )
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