6 転換④
ベッドでぐずぐずしていたら、父がいきなりやってきた。
ノックもなく部屋へ入り、有無を言わせず蒼司を布団から引きずり出して座らせた。
そして母が作ってきてくれた、小鍋に入った冷めた雑炊をお椀に盛り、いきなり無言で差し出してきたのには驚いた。
というより、あっけにとられた。
ただ、こちらを見る父の目の色や醸し出す雰囲気に、逆らえない迫力のようなものを感じる。
夢の中で蒼司を救う為、瞬く間に花壇の丘を黒焦げにして滅ぼした手強い存在の片鱗を、わずかながらもそこに感じる。
普段のほほんとしている父だが、その本質というか魂の芯というかが手強いことは、蒼司も本能的に知覚している。
少なくとも今のところ、蒼司は『父より格下』だ。
だからと言って素直に従うのも、お年頃の蒼司としてはなんだか癪だ。
ムウッと押し黙ったまま、それでも彼は機械的に手を動かして雑炊を食べ切った。
父も無言で湯呑みにお茶を注ぎ、差し出した。
一応は軽く頭を下げ、蒼司はそれを受け取って飲んだ。
「飯食ったら、後はゆっくり休め。……今日のところは、な」
静かな声でそういうと、空になった食器類をのせた盆を手に、父は階下へ降りた。
ぼんやりそれを見送り、蒼司はのろのろとベッドへ戻った。
考えるともなく彼は考える。
……あの夢は何だったのか?
もしアチラの思惑通りに蒼司に憑いた場合、一体、何をさせるつもりだったのか?
そして……。
(オレはあの夢の中で、何を言うてた?)
イザナミノミコトのふりをした不浄に、オレは何を誓っていた?
(あなたの剣になる、とか……剣は主を見誤らない、とか……)
思い切り見誤ってるやん、アホか、という苦いツッコミが心に兆すが、それはそれとして。
自身よくわからない概念を、既知のものとして操っている自分が薄気味悪い。
(アレが夢独特のご都合主義やったら別にかまへんねんけど。……多分、違う)
『月の一族』の血に潜んだ能力のことだと、これも本能でなんとなくわかる。
『剣』という言葉を出すと、母の顔色や表情が悪くなる。
蒼司たちが生まれるよりも前、両親が知り合った頃。
早くに亡くなっている伯父が『剣』となって母に憑いていて、そのせいで色々と物騒なことがあったらしいのは、さすがにぼんやり知っている。
『剣』となったその伯父を輪廻の輪の中へ戻す為、小波中で総力を挙げたこと、その際に父が死にかけ、母が黄泉平坂まで追いかけていったらしいことも。
『剣』がどういうものかを含め、このことはいつかは話すと、母というより一族の長として言われているので、蒼司は今まで、あえて聞かなかった。
……しかし。
(気になるやん!)
苛立ちもある。
密やかな、恋というよりももっと敬虔なこの思いを、やすやすと不浄に利用された怒りも、時間が経つにつれ膨れ上がってくる。
母が話してくれないのなら、祖神に訊くまでだ。
蒼司は思った。
あの方が、簡単にいろいろ教えてくれるような優しい御仁でないのは百も承知だが、ここでぼんやり寝ていてもイライラが募るだけだ。
彼は起き上がり、静かに部屋を抜け出した。
階段の半ばで立ち止まり、耳を澄ます。
キッチンから、昼食の準備をしているらしい物音と、母と姉の声が聞こえる。
そこに父の気配はないが、時々低い音が響いてくるからリビングでテレビでも見ているのかもしれない。
洗面所へ行き、彼はまずきちんと顔を洗って歯を磨いた。
またこっそり自室へ戻り、ザッとベッドを整えた。
そして、ハンガーにかかった中学校の制服を、ゆっくり丁寧に着る。
理屈で言えば部屋着のままでも可能だろうが、これから行うことは神事に準ずるので、正装で臨むのが普通だ。
大人なら最低でもフォーマルスーツ、学生なら制服を着用することになっている。
身支度が済むと、彼は部屋の中央に立ち、呼吸を整えて『月の一族』に伝わる一種の祝詞を静かに唱えた。
「……我が名は結木蒼司、月夜見命の末裔に連なる者なり。光と闇のあわい・生と死のあわいである蒼においてすら、自らで自らを司る者であれかし、との願いにより名付けられし者なり。我が真名において命じる」
まぶたを閉じて呼吸を調え、言霊を込めるつもりで唱える。
「我を神の庭、生と死の狭間たる神と人の故郷へ」
くらりとした次の瞬間、蒼司の意識は身体という縛りから自由になった。
そろそろと目を開ける。
雲か霧のごとき真白の大地が果てしなく広がり、見上げると、どこまでも澄んだ深い青の空が広がっている。
『神の庭』もしくは『生と死の狭間』と呼ばれている、この世ならぬ場所。
ここでのみ、人は神と対峙できる。
何度来ても圧倒的に『なにもない』場所だ。
あまりにも『なにもない』ここへ来ると、人は、しばらく放心したように空を眺めていることしか出来ない。
これは蒼司だけではなく、誰でもそうだと聞く。
「……わざわざ珍しいな、月の若子。何か用がありそうだな」
深い紺碧の空をぼんやり見上げていた蒼司へ、冷ややかな声が話しかけてきた。ハッと我に返り、彼は声の方向へ首を向けた。
角髪に勾玉の首飾り、衣褲姿のすらりとした怜悧な美貌の青年。
祖神・ツクヨミノミコトだ。
「ツクヨミノミコト」
蒼司は深く頭を下げる。
「教えていただきたいことがあって、参りました」
そのようだな、と、つまらなさそうにツクヨミノミコトはつぶやく。
「教えてやれるかどうかはわからないが、せっかくここまで来たのだ。久しぶりだし、答えられるのなら答えてやろう」
その返事に、蒼司は違和感を持った。
「久しぶり……でしょうか?」
「まあそうなる。ここでお前と会うのは、お前が初めて一人でここへ来れた時だったから……かれこれ一年近く前になるな」
「そんな、まさか。昨夜、ミコトはオ…じゃなく、僕の夢の中へ、来てくださったのではありませんか?」
「知らないな」
ツクヨミノミコトはそっけなく言う。
「我は、お前というよりお前の一族の誰とも、ここ最近、会ってはおらんが」




