6 転換①
結木蒼司は今、夢の中にいた。
さっきまで『神の庭』にいたが、今はどことも知れない、夢の中にしかない場所にいる。
これは誰でもそうなのだろうが。
どういう訳か何度も何度も夢に出てくる、夢の中にしかない町や風景というものがある。
故郷と同じくらい、夢の中ではなじみの町や風景。
蒼司は今、そこにいた。
(この角を曲がって、まっすぐ進んだら……)
人工的な小高い丘のゆるやかな法面全体に、棚田に似た雰囲気に設えられた花壇が見えてくる。
花壇に植えられている花はその時による。
薔薇とか百合とかチューリップとか、蒼司でもよく知っている有名どころの花が多かったが、よくわからない色のよくわからない形をした草や花が、しれッと混ざっていることもある。
何かに引き寄せられるように、蒼司は進む。
丘一面に広がる花壇の小道を、目的もなく彼は進む。
夢だからそんなものであろう。
ハッと彼は足を止め、とある花をしげしげと見た。
不思議な花だった。
いや、そもそも花、なのか? と彼は心の隅で思う。
全体的に黒っぽい茎と葉であり、頂上にある蕾? は、まぶたを閉ざした美しい少女の顔のように見える。
長く伸ばした黒髪を無造作に垂らした、人形めいているほど整った少女の顔。
(……イザナミノミコトみたい)
ぼんやりそう思いながら、しばらく蒼司はその花を見ていた。
と、いきなりその少女の顔をした花はぶるんと身じろぎし、ぱっちりと目を開けた。
黒目勝ちの瞳が、まっすぐ蒼司を見つめる。
「私が欲しいのか?」
冷ややかな問いに、蒼司は絶句するしかなかった。
「欲しければ手を伸ばせ。摘み取れ。ただしそれで私が手に入るなどと思うな。天津神の私を、そんな簡単な方法で所有出来ると思うか?」
「では、どうすれば……」
花は冷ややかな笑みを頬に刻む。
「そんなこともわからぬ子供が、私を手に入れられると思うのか?」
「イザナミノミコト!」
蒼司は必死に叫ぶ。
「俺は! 俺はあなたが欲しいのではなく。あなたに、俺の心を捧げたいのです! お、おれ、は……」
息を切らし、蒼司は言い募る。
「あなたの、剣に、なりたいのです!」
花は再び、冷ややかに笑んだ。
「その言葉、嘘はないな」
「ありません! 剣は主を見誤ることはないのです!」
「よかろう。私の剣となれ、結木蒼司。残念ながら一族の者ではない私では、鏡と剣の契りは交わせないが。お前が私の僕になるのならば、私はお前の主としてお前を所有する。……では私を摘み取り、食べるがいい」
激しく躊躇する蒼司へ、花はあきれたようにこう言う。
「何をためらう。私を摘み取り、食べるだけではないか」
「え……でも」
こちらを見上げる綺麗な顔。この顔を口に入れ、咀嚼するなど出来ない!
「ではこの契りは無効だな。何処へでも去れ」
そっけなく言われ、蒼司は焦る。
「いえ! 出来ます! 食べます!」
手を伸ばし、黒い茎を折る。
ぬめりのある液がてのひらを濡らすが、蒼司は目をつぶって花を丸ごと口へ入れる。
噛みしめた瞬間、苦いような酸いような、吐きそうな味が口中に広がる。
しかし吐き出す訳にはいかない。涙ぐみながら嚥下しようとした瞬間……。
「あほ! 吐き出せ!」
すさまじい叫び声と同時に激しく背中を叩かれ、蒼司は思わず、口の中のものを吐き出す。
吐き出したものの、口中に何ともいえない不快な味が残っていた。
唾液を絞り出すようにして、彼は何度も何度も、口中のものを吐き出す。
「こらあ! ウチの敷地へ忍び込んで、ウチの子ォに何してくれとんじゃ!」
柄がいいとは言えない叫び声は、父の声だ。
叫びと同時に、
どぉおおおおおおん!
という、地響きを伴ったすさまじい音がした。
軽くよろめいた後、蒼司はおそるおそる顔を上げ、辺りを見渡した。
法面すべてが黒焦げで、跡形もない。
そして、父もいない。




