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5 月と語らう④

 結木さくやは今、『神の庭』にいる。

 『神の庭』にいる夢、が正しいだろうが、月の一族の者がいやにはっきりとした『神の庭』にいる夢を見ているということは……。


(ツクヨミノミコトに呼ばれた、んだろうなあ)


 白い雲に似た大地、どこまでも澄んだ紺碧の空。

 その只中にさくやは、ぽつんとひとりで立っている。



 どこからともなく響く鈴の音。

 衣擦れのさらさらとした音。


(……あ)


 少し離れたところに、白い衣に山吹色の肩巾(ひれ)の乙女が、ゆるやかに舞を舞っている。


(姫神、だ)


 小波の里に泉をもたらしたのは、『オモトノミコト』という仮の名で呼ばれる水神だが、泉そのものも神格化されて敬われてきた。

 泉は『水神の娘』とされていて、『姫神』と呼ばれることが多い。

 鮮やかな山吹色の肩巾が、彼女のトレードマークとして伝えられている。


(でも。なんでまた、山吹色なんやろう?)


 ふと思う。

 水神に所縁のある神なのだから、水を連想させる……それこそ水色。

 浅葱色や白藍、甕覗(かめのぞき)。もっと濃い、(あま)色や(はなだ)色でもいい。

 青系の肩巾を纏っている方が『それっぽい』のではないかと、これは以前からぼんやり疑問に思っていた。


(黄色系の肩巾を纏った、泉の神。つまり……黄泉の神?)


 不吉な連想に、縁起でもないとさくやは首を振った。

 水神によってもたらされた泉は、小波の地に実りと繁栄をもたらしたと伝えられている。

 黄泉だの死だのとは無関係だ。


  シャララララーン!


 ひときわ高い鈴の音が響き、さくやはハッと物思いから覚める。

 『姫神』はさくやを見るとかるくうなずき、消えた。

 彼女のいた場所には、清らかな水が湧く小さな泉があった。

 引き寄せられるようにさくやは、泉のほとりへ寄る。


 軽い漣はあるものの、水面は澄んで鏡のようだった。

 その水面を覗き込むさくやの目に映るのは。

 例の夢に出てくる丘の上の若木の下でうずくまる、ユニコーン……ではなく、人間の九条だった。

 揺れる木漏れ日の下で彼は、ぎゅっとまぶたを閉じ、何かを堪えるように歯を食いしばっていた。


「この男は、野山に住む野生の獣と同じだ」


 どこからともなく、ツクヨミノミコトの声がする。


「傷があること苦しんでいることを、他人に気取られないよう隠してしまう。仮に気付いてこちらから声をかけても、よほど切羽詰まった状況でない限り、助けてもらうことを良しとしない。無自覚で誇り高いというのか……芯から他人を信用できる状況で、育つことが出来なかったのか。そもそもこの男は、ヒトの身では持て余す能力を持って生まれてきてしまったものの、その点では親にさえ頼れなかったようだからな。良いにしろ悪いにしろ、自分で何とかしようとする生き癖みたいなものはあるだろう」


 ツクヨミノミコトの声に、陰りのようなものが加わった。


「一番良くないのは。本人は無自覚なのだがこの男、密かに死にたがっている点だな」


 さくやはぎょっと顔を上げ、姿の見えない祖神を探す。


「え? 死にたがっている? 何故、ですか?」


 さあな、と、ツクヨミノミコトは投げやりな調子で答えた。


「ヒトの心は捉えようのないものだ。夢や本音を司るとされる我がこう言うのもおかしな話に聞こえるかもしれないが、本人でさえ捉えきれない混沌こそが、心というもの。だから……イザナミノミコトも、懸念している」


 ため息を吐くような気配の後、声は続く。


「今のところ、この男には死ぬつもりも怨霊の娘にほだされる様子もない。だがある瞬間、ふいっと何もかも嫌になり、娘と死ぬ『運命』とやらに従う可能性がある。止められるのは……おそらくお前だけだ、オナミヒメ。結木さくや」


「そんな……そんな! 私には無理です!」


「お前だけでどうこうしろとは言わない。第一お前だけでこの男を止めるなど、土台無理な話だ。だが……お前なしでこの男を止めるのは、難しい」


 今は何もできなくてもいいから、このことは頭の隅に置いておいてくれ。

 ツクヨミノミコトはそう言うと、唐突に気配を消した。



 いつの間にか泉もなくなっていた。

 白の大地と紺碧の空の間に、さくやは一人、取り残されていた。

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