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4 小波で暮らす④

「さっきも少し説明したが」


 イザナミノミコトはお茶で口をしめらせた後、続ける。


「アレがやって来たことそのものは、油断できない事実ではあるが。小波(オナミ)すなわちオモトノミコトの領域へ、結果として彼女を『招く』役割を押し付けられた蒼司君とのえにしを強引に断ち切られ、アチラさんはさぞ困惑しているだろう。いくら『招かれた』(てい)で入り込んでも、『招いた』者との縁が切られれば弾き飛ばされるからな。ここは元々、不浄が入り込みにくい傾向のある土地柄だし、こちらへ来る前に私も、その辺りの結界システムを強化しておいた。彼女は今頃、再び小波の外で茫然と立ち尽くしているだろうな。もう一度『招いて』くれる者が現れるまで、彼女は小波に入れない。ただ、『招く』人間にも相応の潜在的な霊力が必要だから、彼女はそう簡単に小波のはざかいは超えられないだろう」


 そこでイザナミノミコトは、ふっと、人間くさい困った表情になった。


「もっとピンポイントに、彼女だけを締め出せるような結界を組めればいいのだが。残念ながらそこまでのものを発動するのは難しい。彼女は……中途半端なんだ。生者とは言い切れないが死者ではないし、ただ九条円に執着しているだけで、他に悪辣なことを望んでいる訳でもない。世界の破滅を望んでいるとでもいうのなら我々も問答無用で動くが、彼女はそんな大それたことを望んでいない。いっそ純粋なくらい、九条円との心中だけを望んでいて、彼が【eraser】つまり天津神の力を顕現する器なのが目障りだからという意味で狙っているのでもない。本当に個人的な……狂った恋心故の怨霊化なんだ」


「……六条の御息所、みたいなものですか?」


 父が言うと、イザナミノミコトは苦笑いを浮かべた。


「源氏物語のか? まあ近いかな」


「要するに、ただのヤンデレのストーカーですよ」


 九条がぼそっと言う。身も蓋もないが、迷惑している彼としてはそう言うのも当然だろう。

 だが……。



 そうだ。

 そう言い捨てられて当然のことしか、彼女はしていない。


 (彼女の主観は違うかもしれないが)ある日突然現れて彼を刺し、心身ともに大きなダメージを与えた。

 おまけに彼女は、九条の仕事面においても現在進行形ですごい迷惑をかけている。

 同情の余地はない。

 彼女は本当に迷惑だし、たまたまだったとはいえ、ウチの弟まで利用したのも許せない。

 ……でも。それでも。

 好きな人に『ヤンデレのストーカー』と一蹴される彼女が。

 さくやはなんだか、憐れだった。



「イザナミノミコト」


 不意に母の声が響く。


「その人を。『月のはざかい』の中へ呼んで、話した方がいいでしょうか?」


 遠慮がちながらはっきりとした声だった。

 家族皆が、ぎょっとして母の顔を見た。



 『月のはざかい』とは、基本的に『月の一族』のたばね・月の鏡だけが行える、神事の一種だ。

 祭主である月の鏡と、『自らのまことを知りたい者』あるいは『自らの真を知るべきと月の鏡が判断した者』が、『神の庭』とも呼ばれるこの世とあの世の狭間へ向かい、祭主の敷く『月のはざかい』の中でとことん己れと対峙し向き合うという、修行に近い神事である。

 『月のはざかい』の内側にいる間、神事の対象者は、不都合だったり醜かったりする己れの姿から逃れることは出来ない。

 どうあがいても己れから逃れられないのと同じ理屈だ。

 が、神事の対象者の霊力が祭主を上回る場合、もしくは著しく正気を失っている場合などは、祭主の命に関わるというリスクの高い神事でもあった。



「それは……出来れば避けたい。あなたの命に関わる可能性があるからな」


 イザナミノミコトは真顔で言う。


「彼女は怨霊化するほど潜在的な霊力が高い。そして正気とも言い難い。いかに『神鏡』であっても、命に関わる可能性が否定出来ないからな」


「俺……私が解決するべき問題です、これは。もらい事故っぽい理不尽さは感じますけど」


 九条が言った。


「少なくとも、彼女の中に巣食う【dark】、つまり彼女をそそのかしているであろう不浄は、祓おうとすればすぐ祓えるでしょうし」


「……そうだな」


 イザナミノミコトはふっとため息を吐いた。


「どう転んだとしても。九条君が関わり、九条君が戦うべき相手になる、彼女については。厄介な話だがな」



 その後、小波の木霊たちに頼んで不浄の侵入に警戒してもらうこと、九条はここしばらく、少なくとも仕事が始まる週明けまでは可能な限り旧野崎邸と小波神社周辺から出ないこと、一日に一度は小波神社の『義昭の楠』に会いにゆくことなどが決まった。

 時刻は九時を回っていた。

 母は冷めたお茶を下げて紅茶を淹れ、イザナミノミコトと九条が手土産にと持ってきたお菓子を出した。


「お持たせになってしまいますが」


 色鮮やかな小さめのマカロンとあたたかい紅茶で、ようやく皆の顔がゆるむ。

 その後すぐ、イザナミノミコトと九条は父に送られ旧野崎邸の宿舎に帰った。


「……なあ」


 普段以上に黙りがちだった蒼司が、不意にさくやへ声をかける。


「イザナミノミコト、今日は野崎の家の、離れに泊まるんか?」


「え? さあ? でも時間的に、そうなってしまうんかなぁ?」


 さくやが首を傾げつつ言うと、


「あそこ、狭いやん。あんな狭いとこで、おっさんと女の子が一緒に泊まるんか? モンダイしかないやん」


 と、怒ったような顔で蒼司は言う。さくやは吹き出した。


「え~? イザナミノミコトに、そんな心配はいらんのと(ちゃ)う? 大体あのふたりの力関係、『お母さんと息子』か『上司と部下』やん。そもそもイザナミノミコトにそんな失礼なこと、この世の誰にも出来へんと思うけど?」


「……それは。まあ、そうやけど」


 割り切れないながらも納得したのか、蒼司は口の中でもごもごそう呟くと、ぷいと踵を返した。

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