4 小波で暮らす③
玄関先で物音がした。
やっと蒼司が帰ってきたらしい。
さくやはエプロンのまま、蒼司を出迎えに行く。
ついでに、『お客様が来るってわかっていたのに、遅い』くらいは言ってやろうと思っていた。
何かやむを得ない事情……たとえば電車が遅れたとかが、あった可能性は皆無ではないものの。天邪鬼のアイツのことだから、わざとゆっくり目に帰ってきた可能性が否めない。
玄関には蒼司だけでなくイザナミノミコトまでいて、さくやはぎょっとした。
てっきりリビングで九条といるか、庭でナンフウと話しているか、そのどちらかだと思っていたからだ。
蒼司は蒼司で、上がり框に座ってスニーカーの紐を解こうとしているが、指が震えているらしく上手く解けない様子。
それに、何故か顔色も良くない。
「ああ、オナミヒメ。さくや君」
イザナミノミコトは振り返ると、言う。
「弟くんは、多分低血糖だ。角砂糖か何かあったら持ってきてくれないかな? 念のため、九条君を呼んでくれ。今はプライベートの時間だが彼は小児科医、軽く診てもらおう」
さくやは大慌てで両親の許へ戻った。
九条が医師の顔になって蒼司を軽く診察し、やはり低血糖の可能性が高いということで、ぬるま湯で作った砂糖湯を蒼司に飲ませる。
飲んでしばらくすると手の震えが止まり、顔色も戻ってきた。
「……腹減った」
ちゃんと物が言えるようになってすぐ、蒼司がそんなことをつぶやくので、周りにいる者たちは脱力しつつも安心し、笑い合った。
「まずは食事、にするべきだな。食後、落ち着いてから皆に話したいことがある。蒼司君の帰宅が遅れたのもその『話したいこと』が原因になっているんだ。一口では説明しにくいから、いったん棚上げにしていただきたい」
真面目な顔でイザナミノミコトは言う。
その場にいる者で、彼女に逆らえる者などいない。
ぎこちなく笑顔を浮かべ、皆、諾った。
波乱はあったが、夕食は概ね和やかに進んだ。
献立は秋らしく、きのこ多めの炊き込みご飯にカマスの塩焼き、茶わん蒸し。そこへかぼちゃの煮物ときゅうりの酢の物の小鉢を添えたもの。
(ちなみに、きゅうりの酢の物はさくやが作った)
和定食、という雰囲気のメニューだ。
普段の夕飯から考えれば、おかずが1~2品多いかな?だろうが、取り立ててのご馳走ではない。『おしゃれ着寄りの普段着』メニューという感じ。
「全部すごく上品なお味で、美味しいです。さすがに関西はだし文化の土地柄ですね、茶わん蒸しとか料亭レベルじゃないかと……」
九条さんが如才なく褒めてくれる。
だし担当の父がニコニコしながら
「お褒めいただいて恐縮です。料亭レベルとは言えませんけど、だしにはこだわる方でして」
などと悦に入っている。
このヒト『社交辞令』って言葉、知ってるよね?
大丈夫よね?
何だかさくやの方がハラハラする。
「彼はだしにうるさくて」
母が困ったような顔をして話を合わせる。
「だからいっそもう、和食メニューのだしは彼に任せるというか、丸投げすることにしたんですよ。結果的にその方が、彼は探求心を満足させられるし私は楽、家族全員が美味しいおだしの料理が食べられますからね」
おかーさん、ソレひょっとして惚気ですか?
赤の他人に近い(しかもちょっと以上に気の張る)お客様へ、そんなことを平然と告げる母も大概、天然だ。
似た者夫婦なのだろうが、聞いているさくやがなんだか困惑するというか、恥ずかしくなってくる。
どうも、数百年にひとり現れるかどうかの『神鏡の巫女姫』と呼ばれるレベルの能力者らしい母も、父と同じくらい、無自覚に度胸が据わっているらしい。
「それが正解だな。『玄人はだし』なんて言葉があるが、結木氏のだしは正にそれだと私も思う」
イザナミノミコトにも持ち上げられ、父はご満悦だ。
少し前まで蒼司のことで顔色を変えていたふたりだが、今は平然と食事をしている。
もっとも。
だからと言って蒼司の心配をしていないわけではない。
ふたりとも時々、チラチラ蒼司の様子を見ている。
笑みをたたえ、社交辞令まじりの誉め言葉を口にしつつ九条も、時々目が医師のそれになって蒼司を観察している。
イザナミノミコトの表情は読めない。
(……大人は怖い)
母が手早く作った、ほっくりとしたかぼちゃの煮物を食べながらさくやは思う。
何だか胸が詰まるのは、もこもこした食感のカボチャのせいだけもなさそうだ。
蒼司は常より大人しく、うつむき加減で食事をしているが、さっき『腹減った』と呟いただけあって食欲は常よりある。
いつもならば面倒がっていい加減にしか食べない魚も実に綺麗に、余すことなく食べていたし、ご飯も二度、おかわりしている。
とりあえず健康面の心配はなさそうで、さくやもほっとした。
やがて食事がすみ、食卓は片付けられ、お茶が淹れ直された。
イザナミノミコトがかいつまんで蒼司の身に起こったこと・小波神社の『義昭の楠』に浄化をしてもらったことなどを説明し、蒼司自身もぽつぽつと、『この世の者でなさそうなおねえさん』のことを話した。
両親も九条さんも顔色が変わっていた。
「そのおねえさんって。どんな顔だったとか覚えてる?」
九条の問いに、蒼司は首を振る。
「薄暗かったし、よーわからん。ただ、高校生くらいっていうか……17か18くらいかな、それくらいの、ほっそりした人やった」
「君を刺した子だよ。正確には……ほぼ怨霊になってる、彼女の生霊だ。しかしすごい執念だな、我々は【home】を介してこちらへ来たから、現実世界に痕跡らしい痕跡は残っていない筈なのに。怨霊に物理的な距離はあまり関係ないとはいえ、痕跡に頼らずよくここまでたどり着いたものだ」
「感心している場合じゃないですよぉ」
九条が顔をしかめる。
一瞬だったが、ぶわり、と不思議な圧が、彼の身体からあふれ出た。
結木家の者は皆、ハッと息を呑んだ。
「メチャクチャ迷惑じゃないですか、俺がというより結木先生と先生のご家族、それから小波に住む木霊さんたちに。今まで、この件は出来るだけ穏便にって思ってましたけど。今後もこんな騒動を起こすんなら、俺、彼女のこと見つけ次第、手加減なしの全力で、浄化しちゃっていいですか?」
「コラ落ち着け、自棄になるな。君、自分が医者だって自覚ないのか?」
ゴスロリ少女に窘められ、大人(であるはず)の九条は苦い顔で茶をすする。
呼吸を思い出し、さくやもお茶をすする。
彼の中の不羈の獣が吠えたのだと、一瞬後に彼女は覚った。




