第87話 父の力
人間には限界がある。
それは腕が二本しかなく、足が二本しかなく、眼が二つしかないと言った身体的な限界値。
そして――腕力、脚力、反射神経といった根本的な能力値の限界だ。
魔力による強化まで行うと仮定しても、恐らくは人間の限界値まで鍛えている上級騎士の面々ですら中堅どころのモンスター相手でも単純な力や速さでは負けていることも多々あるほどだ。
そのために、人は技を磨く。技術とは弱者が強者に打ち勝つために編み出された力であり、それを持って人は人を超える存在を打ち倒そうとしてきた。
しかしそれにも限界がある。どれだけ優れた技を会得しても、最後には力の前に破れるのは世の道理だ。
例え自分より速い相手の攻撃を受け流す技術を身につけていたとしても、その技を使うと判断する前に攻撃を当てられてしまうほどの速力の差があれば意味はない。どんな相手にも攻撃を命中させられる技を駆使したとしても、その攻撃を生身で跳ね返してしまう怪物には意味が無い。
技とは弱者が強者に打ち勝つためのものであるが、戦いの土俵にすら上がることができない圧倒的強者の前にはそれを見せる前にすり潰される運命にある。
根本的な力の差。それすなわち、人間という脆弱な種族の前に突きつけられた絶対の壁なのだ。
それを超えるためには、鍛錬のほかない。怪物よりも肉体的にも魔力的にも劣る人間は、ただ己を鍛えるほかないのだ。
それもただ鍛えるだけではなく、人間という種の限界を踏破する超高密度の鍛錬を必要とする。徹底的に肉体を追い込み、常態として死力を発揮できるようになり、人間の限界を超えたところでようやくスタートライン。それが私達の戦場だ。
そうして作り上げた肉体という名の器に、今度は力を注ぎこむ。その方法はただ一つしかない。己の限界ギリギリの死闘。命を賭す実戦によってこそ、限界を超えた力を蓄えることが可能となった肉体に見合った力を得ることができるのだ。
こうして、私は――私達歴代シュバルツの戦士たちは人間を遥かに超越した力を己のものとしてきた。
人間を超えるための鍛錬と、実戦。その二つに、常に限界を超えるよう挑み続けた結晶こそがシュバルツの騎士なのだ。
それを思えば、今私の前に立つ我が息子――レオンハートはよく育ってくれた。レオンは私の課した鍛錬を見事に成し遂げ、その上歴代ですらそう比肩する者はいないだろうといえるほどに過酷にして上質な死闘に恵まれた。
本来ならばそんな星の元に産まれた、自分よりも強い者に常に命を狙われるなどという不幸を呪うべきなのかもしれないが――シュバルツの騎士としてはこれほどありがたい天運はあるまい。
今のレオンは、私の若いころよりも強い。きっとこの先より鍛錬を積み続ければ、いずれは私をも超える騎士となるだろう。
――だが、それでもなお人間には限界があるのだ。
肉体をどれだけ鍛え上げても踏破できない、絶望の壁。人間という種族を構成する細胞の一つ一つが己の放つ魔力に耐えられないという――生物としての全てを極めてなお破れない最後の壁だ。
こればかりはどうしようもない。人間である以上、その限界値を超える事はできない。いくら修行を積んだとしても、その力に『人間』では耐えられない――すなわち強くなること自体が不可能なのだから。
それが、本当の意味での『人間』の限界。普通に鍛えてたどり着ける、上級騎士たちの領域を『才能の限界』とするならば、私がぶつかった壁こそは『人間の限界』とでも言うのだろう。才能の限界は努力で打ち破れるが、生物としての限界はどうにもならない。
極めたからこそそれ以上の領域にはいけない、人間という才なき種族に生まれた者の前に立ちふさがる天井なのだ。
だから私は――――――まず人間を超えることにした。
人間種ではこれ以上の力に耐えられないのならば、まずその土台から鍛えなおすまで。やるべき事は問題を一つ一つクリアすることのみ。
いつもと変わらない、何度もぶつかってきた壁にすぎないのだと諦めなどと言う下らん己の感情をねじ伏せてな。
「――と言うわけで、私はこの領域に――【覚醒】にたどり着いた。自らの魔力で己の存在基盤そのものを支え、強化する。まず力を受け入れられる肉体へと存在の格を上昇させる領域にな」
「……つまり、人間ではこれ以上進めない壁にぶつかったから鍛えまくって何とかしたと。どこまでも親父殿らしいというかなんと言うか……『限界は自分で決めるものじゃない』ってのはよく言いますけど、生物として定められた限界すら力ずくで突破する人はそうそういないと思いますよ」
レオンは何故か呆れたような感心したような様子を見せているが、しかしその様子に油断は見えない。
吸血鬼特有の真紅の瞳は鋭く私の剣を捉えており、纏う魔力に一切の油断なし。いつのまにか父上が親父殿になっている辺り動揺していないわけではないようだが、力は明確に感じ取ってくれているようだ。
この分ならば――大丈夫だな?
「――フッ!」
「え――ガッ!?」
私は短く息を吐き、攻撃に移る。
その行動は速度の緩急を用いてフェイントをかけた突撃。意識を剣に集中させ、防御を誘導した上で放つ騙しの拳打だ。
この程度は今までの戦闘でも使っていた小手先の技に過ぎない。しかしそんな一撃にレオンはあっさりと引っかかり、体中の空気が押し出されたかのような音と共に吹き飛ばされて結界にぶち当たり――五層ほど突き破ってようやく止まった。
……フム、あまり長引かせては危険だな。この状態は文字通り全力を出すためのもの――手加減など、そもそも想定していないのでな。
「ガ、グ……ッ! い、今のは……?」
「今までと同じだ。違うのはパワー……そしてスピード。基礎能力だけだな」
限界を超えた【覚醒】状態で一番変わるのは、基礎能力だ。人間では耐えられない能力強化を行える――と言うよりも、細胞レベルで強化した状態であるために今までとは全ての技が比べ物にならない威力、速度を手にしている。
厳密には身体強化だけではなく、この状態では生成した魔力がそのまま炎の力を纏うといった先天技能のような能力も得ているのだが……まあ些細なことだ。
「覚醒は人間を超える力。ここまでくれば、人に生まれた不利もない……お前が吸血鬼の力を持つことも、これならば対等ということだな」
もっとも、ここまでやってようやく魔族に追いついただけとも言えるがな。
余計なことをしなくとも人の限界程度容易く超えていける種族からすれば、私の努力など失笑ものだろう。
だが構わん。人に生まれたことを悲観してどうなる。一歩でも高みに上り詰める――私にできるのは、いつだってそれだけなのだ。
「た、対等……? 冗談でしょう? 明らかに、俺より強くなっている……!」
レオンは無防備に、今までならば対応できていた拳を無防備に受けた腹に手を当てながら立ち上がり、闘技舞台――既に吹き飛んでしまったので正確には闘技舞台跡地だが――に戻ってきた。
見たところ、既にダメージはほどんど治癒、いや再生されているな。痛がっているのは完全回復まで時間を稼ぐための演技か?
ならば、ここは一つ情けを捨てて攻め立ててみるとしよう。
……まだあるのだろう? 私にも見せていない、最後の奥の手がな――。
◆
(ク、ゥ――ッ! 達人の技量と、化け物の身体能力を併せ持った怪物ってか! 反則すぎるだろんなもんッ!)
親父殿の猛攻を前に、再び俺は防戦一方になってしまった。
いや、正確には防戦すらできていないのだ。フェイントを多量に混ぜて俺に動きを読ませず、何度も決定打に近い一撃を入れられている。
それなのに今も俺が立っているのは、吸血鬼の反則染みた再生能力があるからだ。早い話がダメージを受ける側から回復することで何とか戦闘の体を保っているのだった。
(今までなら親父殿の攻撃に対処できた。フェイントに一瞬釣られても対処できていたし、ガードも有効だった! でも――今の親父殿には全く通じねぇ!)
今まで対応できた技に手も足も出ない。その理由は至極シンプル。一瞬でもフェイントに釣られればもう間に合わなくなる速さと、万全の状態でなければ受けきれない破壊力を親父殿が手にしたってだけのことだ。
そのシンプルさが故に、何の対処もできない。元々技量では親父殿のほうが勝っており、俺の勝負どころは吸血鬼化による身体能力だったのだから。
それが二次クラスの――親父殿の言うところの【覚醒】によって得た力。頼みの綱の身体能力ですら並ばれ――下手をすれば超えられたのだ。そりゃ手も足も出なくなって当然、か。
(ミハイの魔法の槍、イーエムの魔法、どっちも強力だった。それに比べれば親父殿の攻撃は――歴代最強だよっ!)
魔物は技術を磨かない。技術とは本来弱い者が強い者を倒すために作り上げられるものだからだ。
産まれた時から強いやつらが技術なんて磨くわけが無い。例外的に僅かでも技術を身につける――ミハイなど――魔族は非常に厄介ではあるが、それでも人は力に技で対応できるのだ。
だが、今俺に猛攻を仕掛けてきているのは技を極めた親父殿。技術は文句なしに最高レベル。それに人外級の、元々人間とは思えないレベルだったのに上位魔族級の身体能力が備わったのだ。
そりゃ最強に決まっているだろう。
(この回復のごり押しも長くは持たない。今もガンガン魔力削られてるし――このままじゃ魔力切れで敗北確定か)
一瞬の間にフェイント7回は入っている親父殿の剣に対応できず、俺の腕が付け根から切り落とされそうになり――次の瞬間には完全回復する。だがこれも後何回持つかはわからない。
吸血鬼化による再生の弱点は消費魔力の多さ。生粋の吸血鬼ではなくあくまでも根元が人間である俺には――人間の限界を超えてはいない俺では無駄が多すぎるのだ。
(……やるしか、ないか)
使う時点でギャンブル。成功するかすら微妙だからできれば使いたくなかったけど……もう何をやっても勝機はない。なら、賭けるのも悪くはないだろう。
「――【中位魔力爆発】ッ!」
「ムッ!」
自分を中心として周囲を吹き飛ばす魔力の爆発。それをもって無理やり親父殿を後退させた。
流石に360度全方位攻撃なら後ろに下がるしかないだろう。魔力消費と破壊力がまったく割りにあってないから使うだけ損な自爆技だが……欲しいのはこの一瞬だ!
「嵐龍、ブーストッ!」
「……光の力か」
猛攻が止んだ隙に、俺は吸血鬼モード2を正気で扱うために嵐龍から流していた光の魔力を強化する。
同時に自分自身の魔力を光に変換。更に腕輪の魔力も完全開放。自前、腕輪、そして嵐龍の光の魔力を一気に開放し――自分自身へと流し込んだ。
「形態変化――混沌ッ!」
心臓より湧き出る闇の魔力。そして流し込んだ光の魔力を合成し、かつて悪魔と戦ったときの力を再現する。
あの時は水の精霊竜の力が原因で手をかけた領域だが、それを精霊竜の鱗から作った嵐龍で代用する。自力の光だけだとベスト記録でも7秒で解除されてしまうモードに、再び足を踏み入れる。
メイとの戦いで最後の最後に成功させた形態だが――何とか成功したッ!?
「――足りないぞ、レオン」
「グッ!?」
紅蓮の刃が業火と共に振るわれる。覚醒状態の親父殿は炎の力でも相当パワーアップしているんだ。
だが、悪魔の軍勢すらも蹂躙した混沌形態なら互角以上だと思っていた。それなのに――まだ親父殿のほうが速くて強いッ!
「お前が今いるのは、かつて私がぶつかった壁の前だ」
「壁、のっ!?」
さっきよりはマシだが、しかし実のところ大差ない戦況となってしまう。
攻撃の内10回に3回くらいしか防げなかった時と違い、今は10回に5回は防げている。そのくらいの変化。つまり――いいように殴られて斬られているって現状には変化ない!
「お前は吸血鬼という人を遥かに超えた力を持っている。だが、それでもお前は人間だ」
業火の魔弾が複数飛んできて、弾いている間に業火を纏ったわき腹に回し蹴りを決められる。
混沌形態でも回復力は残っているとは言え、これは強烈過ぎだろ!
「肉体に吸血鬼の力を宿したところで、それは完全ではない。まだ人間としての部分が残っている。だからこそ、お前はその不可思議な魔力の出力を制限しているのだ。自分を破壊しないためにな」
「せい、げん?」
信じられない高速の連撃をしつつ語りかけてくる親父殿に、俺に少しだけ理解の感情が芽生える。
自分でも、少しだけ感じていたことだ。あの時の、聖都で手にした力に比べて今の状態は少し弱い気がする、と。
しかしやっていることは同じはずだし、事実今俺が纏っている白と黒が混ざっているような魔力はあの時纏ったものと相違ない。だからこの感覚は、初めて体感した力だったために過剰評価したんだろう――と、今まで思っていた。
でも、違うのか? あの時精霊竜が与えてきた力はただの光属性の魔力ではなく、更に何か別の効果があった?
それが、俺に人間の限界を超えさせていた。本来の混沌形態が持つ力を十全に使わせる、何かが――ガッ!?
「う……あ」
「終わりか?」
何度目かも分からない炎の剣の直撃により、ついに俺は倒れる。
魔力は残り僅か――恐らくは再生一回分。しかし俺の身体は再生することはなく、ダメージのせいで身体を動かせずに這い蹲るだけだ。
「……お前は良く戦った。恐らくはこの時点で十分賞賛に値するものを見せただろう。その上で問うが――終わりか?」
(終わ、り……?)
親父殿は俺が倒れたことで攻撃を止め、静かに問いかけていた。ここで試合を終えるのかと。
俺の身体が再生しない理由。それは至極単純で、俺が止めているからだ。
再生を行えば、俺の魔力は尽きる。それはつまり、敗北を認めることになる。魔力は全ての力の源。それが尽きればもう戦うことなどできはしない。戦うポーズくらいはできるが、俺の勝率は一切の妥協を許さない0%を刻むだろう。
だから俺は再生を使わない。まだ、終わりたくないから――勝ちたい、から。
(力を振り絞れば、この身体でも最後の一振りくらいはいける。再生は使わなくても、戦える)
既に痛みはない。まるで他人事のように自分の状態を把握した俺は、再生は勝率を落とすだけで必須ではないと判断する。
だが、残る力を振り絞った一振りで親父殿を倒せるかと言えばやはり0%。親父殿に勝てるのは人間を超えたものだけ。化け物だけが親父殿に勝利する権利がある。化け物の力を模倣する人間ではダメってことだ。
親父殿の言葉を信じれば、俺の中で完全に吸血鬼化していない人間の部分を庇って俺は全力を出せていないらしい。それが人間の限界。親父殿がかつてぶつかり、そして乗り越えた壁。
(なら、答えは簡単単純明快。ご丁寧に目の前にお手本まであるんだ……だったら、後はそこに手を伸ばすだけ――!)
“0”を“1”にするのは天才の所業だ。それを俺のような凡人が行うには膨大な時間を必要とするだろう。
だが、すでにある“1”を模倣するのならば難易度は格段に下がる。
1+1が2であると定義する事は、リンゴが上から下に落ちる原理を解明する事は、新たな物質を発見することは天才の仕事だ。
しかし1+1が2であると教わり、重力の存在を教わり、既知の物質を知る事は誰にだってできる。それこそ、何も知らない子供にだってできることだ。
だから俺も模倣する。親父殿の使う覚醒を魔力を見る吸血鬼の眼で解析し、真似るだけ。ただそれだけでいい。しかもかつて一度だけ、外部の力を借りてではあるがこの身で体験したことなのだ。
それだけならば――それならば、俺にだってきっとできる!
「かく……せい……」
「ん?」
親父殿を観察してまず最初に目に付くのは、全身から立ち上る赤いオーラ……魔力だ。
あれは単純に魔力を纏っているのではなく、身体から噴出していると考えるのが正しい。肉体を構成する『脆弱な人間』を一つ一つを丁寧に、丁寧に補強しているからこそあの現象が起きているのだ。
それを可能にしているのは、信じられないほど繊細な魔力コントロール技術。はっきり言って俺にはまだ手が届かない領域の技術。
しかし俺には吸血鬼化がある。吸血鬼化している部分は初めから人間を超えているのだから、俺が補強すべきは残った部分だけ。
それだけなら、それだけなら俺にだって――!!
「【半覚醒――混沌騎士】ッ!」
「……ほう」
自身の肉体を精査し、力の弱い部分に混沌属性の魔力を流し込む。そしてもっとも小さな単位から補強して行き、周囲と同様の強度を持たせる。
ああ全く、何だこの超精密作業は。ちょっとでも狂えばあっさりと霧散する、技術を磨き極みに立つからこそできる神技。これはつまりその類だ。
俺はそこに届いていない。例え半分だけでいいと言っても、至難であることに変わりはない。
だから親父殿。俺がこの状態のままで闘える、ただ一振りで――勝負させてください。
「……届いたか。まだまだ不安定なようだが――よかろう。ならば、この打ち込みをもって最後とする」
「ありがとう、ございます」
親父殿は剣を構えると共に、次で最後にするといってくれた。
本来ならば肉体的にも魔力的にももう動くことすらできず、ただ剣を一回振るのが限界の俺に勝つだけならば遠距離からちくちく攻撃すればいい。それだけで簡単に勝てるだろう。
それをしないのはこれが試合だからなのか、ギリギリ合格点に届いた俺へのご褒美なのか。その真意はわからないけど、どっちにしても俺がやれる事はもう一つだけ。全身全霊を込めて、嵐龍を振るだけだ!
「全力で行くぞ? ――【加速法・十倍速】」
「ばけもの、ですか……」
この繊細な強化を行いながら、更に体内魔力コントロールが難しい加速法を、しかも十倍速なんてありえない強化率で発動させる。
やっぱり親父殿はとんでもなく強い。俺もそこに――必ず――
「いざ――【炎瞬剣・炎滅一刀】ッ!」
「――【嵐術剣・逆鱗ノ払】ッ!」
姿を捉えることすらできない親父殿の業火の剣に対し、俺が放ったのはカウンターだ。
動けない以上それしかできなかったわけだが、奇跡のタイミングを掴むことができた。まさに俺のできる全てを出した一撃だったと思う。
だから――この結果は、言い訳することすら許されない必然ってことなんだろうなぁ。
『――勝者ァァァァァ! ガーライル・シュバルツゥゥゥゥゥッ!』
全ての力をぶつけ合い、倒れ伏した俺を見て、いまだ両の足で立つ親父殿を見て審判が叫んだ。
その後に広がる爆発したかのような観衆の歓声。それを聞きながら、俺の意識はゆっくりと闇に沈むのだった……。
◆
「ム……」
レオンとの戦いを終え、私は選手控え室まで戻ってきた。
だが、そこでふらついてしまう。立っているのも苦しいというべきか、流石にやりすぎたか……。
「随分無理をしたなガーライル」
「……バースか」
そんな私の前に、関係者出入り口から一人の巨漢が姿を現した。
この大陸で唯一私と対等に武を競うことができる豪傑――バース・クンが現れたのだ。
「見たところ立っているのがやっとと言ったところのようだな。観衆の前では余裕の素振りを見せていたくせに」
「わかっていることを聞くな。私が国民の前で無様を晒せるわけがないだろう」
私はシュバルツ家当主。その名を背負った以上、倒れる姿を見せるのは全てを後継に託して死ぬときだけだ。
「……強かったな、お前の息子は」
そんなわかりきったことを問答する気はないのか、早速バースは本題を切り出してきた。
どうやら今は医療班に医務室に運ばれているだろうレオンのことを話しに来たらしい。
「お前が【覚醒】を人相手に使うとは思わなかったぞ?」
「そうだな……私の生涯を見返しても、人間相手にあれを使ったのはレオンで二人目だな」
もちろんもう一人は私の前にいる男、『武帝』バース・クンだ。
「……身体はもうガタガタと言ったところか?」
「言うまでもないだろう。自分の身体で知っているはずだ」
「まあそうだろうな。お前のことだからそろそろ覚醒のデメリットを打ち消す方法でも考案したかと思っていたが」
「生憎だったな。その発見はお前に譲ってやるつもりだ」
私は控え室に設置されている椅子に腰を下ろす。正直もう立っている力すら残ってはいないのだ。
……人間の限界を超える能力【覚醒】。これは正真正銘無理をするための技術だ。故にその反動と疲労は半端ではなく、私でも普通に動けるようになるまで丸一日は休息をとらねばならないリスクがある。
わかっていたことであるが……やはりこれは厳しいものだ。
「……何故あそこまでやった? これは所詮試験試合。本当に全ての力を使う必要などなかったはずだ」
「覚醒を――いや、紅蓮や火竜の鎧を持ち出すのはやりすぎだと思うか?」
「公平な立場から言えば、たかが上級騎士試験にお前が出る時点でやりすぎだがな。……何を焦っていたのだ?」
バースは不思議そうな表情で問いかけてきた。
まあ確かに、気になるだろうな。たかが身内の腕比べであそこまでの――正真正銘の全力を見せる必要性などない。見せるにしてももっと人のいない場所でやるのが当然なのだから。
私が何故そんなことをしたのか。それは――
「……レオンに、全力でやらせたかったからだな」
「ほう?」
「人は常に全力を出し切ることなどそうはできん。もちろんそれができるように鍛錬しているわけだが、やはりいつでもできる模擬試合と真剣勝負では気合の入り方が違ってくる」
「……真剣勝負に相応しい舞台、早々再チャレンジなどできない上級騎士試験の試合ならばそれに該当すると?」
「本当の意味での命の取り合いには劣るがな。しかしいつでもできる手合わせでやるよりは底力を出せただろう」
「なるほど。……それで? それだけではないだろう?」
「……まあな」
私の言葉に得心が行ったのか、バースは軽く頷いた。
しかし完全には納得がいっていない――いや、まだ隠していることがあると理解したのだろう。もしかしたら、こいつも同じようなことを考えているのかもしれないな。
「ふぅ……。なあバース、私達ももう歳だろう?」
「……ああ。まだ老け込む年齢ではないが、全盛期とはとても言えんな」
「今の全力を、明日も見せられるかは私にもわからん。もちろんこんなところで立ち止まるつもりはないが……レオンには、見せられる内に私の全てを見せておきたかったのだ。あいつは、私よりも強くなるからな」
レオンは強くなる。理解力の低さや勘と運の悪さは玉に瑕だが、それを補える何かを持っている。
現時点で私に全力を出させたのだ。そう遠くない未来に――恐らく後3年もあれば私を抜くだろう。
だから見せておきたかった。今のレオンならば受け止められるだろう、今代のシュバルツ、ガーライルの全身全霊の力を。
それがきっと、あいつの糧になる。いずれ完成するだろうレオンハート・シュバルツという騎士を構成するピースの一つとして。
「なるほど、親心というわけか」
「お前も似たようなことは考えているんだろう?」
「……家の娘にはまだ早いわい。それにワシも老け込むつもりはまだまだない」
「フッ、強がりおって」
バースはちょっと顔を背けてそんなことを言うが、まあ実際のところは察して黙するべきだろうな。
「だが正直言って予想以上だったわい。お前の息子があそこまでできるとはな。正直紅蓮持ち出して全力で振り出した時点でもう終わったと思ったからな」
「まあ確かに、想像以上だったのは事実だな。今はまだ荒削りなところも多いが、正直覚醒まで見せてなお戦闘の体を保てるとは私も思っていなかった」
「後継者が無事に育っていて安泰と言ったところか?」
「まさか。今人が置かれている状況を考えればまだまだ安心などできんよ。しかしまあ……今のレオンならばアレも大丈夫かと思えるくらいの力は見せてもらったが」
「アレ? 大丈夫? 何の話だ?」
「秘密だよ」
「なんだ、けち臭い奴め」
バースは不貞腐れたように軽く笑うが、私もそれ以上語ることはない。
なにせ、これは代々のシュバルツにのみ伝えられる秘中の秘。次期後継者にのみその存在を明かし、挑戦する権利が与えられるものなのだからな。
(シュバルツ流免許皆伝の儀、最後にして最大の試練――英霊の行。今のレオンならば、やらせてみるのも面白いだろう)
今から始めて攻略に何年かかるかはわからんが……ま、とりあえず今度やらせてみるか。
今のレオンなら、何とか死なないで逃げるくらいのことはできるだろうからな……。
まだまだ届かない父の壁。
しかし勝利よりも敗北の方が得るものが多いってものでしょう多分。
今章はもうちょっとだけ続きます。




