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詰め合わせギフトパック  作者: たまさ。
翡翠の護衛官
46/58

5

「失礼致します」

 執務室の扉をノックし、マディルは窓辺の椅子で本を開いていた部屋の主に一礼した。

 前室よりも更に本と謎の瓶に占められた室内は、かび臭いような香りがほのかに鼻につく。それでも最近ではリルファが風を入れ替えているのだが、長年つちかわられたものは早々に覆されたりはしないのであろう。

「まだ何かあるのか?」

 不愉快そうに視線すらあげずに本の表面を見つめ、ぺらりとページを繰る。

「護衛官としてリルファ・ディラス・デイラは未だ未熟です。

ご要望があれば、屈強なものを選別する配慮を取らせていただきます。いかがでしょうか」

 マディルは言いながらこくりと喉を鳴らした。

リルファが未熟であることは人事異動で配属された当初より承知している。専任護衛官に任命を受けるものは、誰より秀でたものであると定められているというのに、リルファ・ディラス・デイラは確実にそれには値しない。ある日、ぽんっと浮上したその人事には疑問が多すぎた。


――リルファ・ディラス・デイラをラドック・ベイリル薬師担当官として任命せよ。それは、すでに定められていた人事であった。

 面前の人物が自らそのように手配したのかと思ったこともある。だが、それはマディルの杞憂であることはすでに調べがついていた。


「いくらでも連れて来い」

ラドックはあくまでもつまらなそうに言葉を返す。

「薬を試すのに囚人ばかりじゃつまらんからな」

「クラウス・ヒューに毒を飲ませようとしたのはそういう理由ですか?」

 ラドックは初めて興味をひかれたとでもいうように視線をあげ、にやりと口角を持ち上げてみせる。

 目元に掛かる髪の奥の瞳がひたりと自分へと向けられると、マディルは自分の芯の部分が底冷えするのを感じた。

「知っているか?

毒蛇はその牙で相手を傷つけて毒をその傷口に流し込む。傷さえなければ、やつらの毒はいくら掛けられても体内に入って体を犯すことはないらしい。

だがそれは本当なのか? 皮脂から浸透はしないと? 

では口の中ならどうだ?

口内に傷がなければ毒は体内をそのまま巡って排泄されるのか?

他人がやった実験など、どの程度信ずればいい?」

「……」

「では、胃が荒れていた場合、その毒は作用するのか?」

 実に興味深いと思わないか?

楽しげにクスリと微笑む黒い悪魔の姿に、マディルは瞳を細めた。

「――クラウスが生きていたのはただの偶然でしかないようですね」

「どうだろうな?

たとえあの丸薬を飲んだところで解毒くらいしてやるとは思わないのか?」

 目つきの悪い瞳が細まり、更に鋭さを増した冷たい眼差しに、マディルはふっと自分の中の何かが怯みそうになってしまった。

 相手の言葉が何一つとして信用できそうにない。

だが、ここで怯んでばかりなど要られない。

相手は確かにこの国の中枢にすら手の届く要人といえど、一介の薬師でしかないのだ。軍属である自分が怯むなど本来あっていいものではない。

「それと、もうひとつ」

 マディルは先の話題を早々にかえるように口にし、半眼を伏せてゆっくりとたずねた。

 先日、偶然見てしまった事柄について。

「デイラ護衛官の左下腹部にある蔦の……」

 問いかける途中で視線をあげたマディルは、相手が冷たい視線のまま、ゆっくりと口元に笑みを刻み込んだことに気づき言葉を呑みこんだ。

「いえ……何でもございません」

「ふんっ、度胸がないな」

 言いながら、ラドックは机の引き出しから六角形に折られた薬包紙を一枚取り出し、人差し指と中指とで挟みこんでぴしっとマディルへと向けて投げた。

 ぱしんっと、思いのほかいい音をさせてその薬がマディルの手に収まる。


「胃薬だ。あんたも胃が弱そうだ」

「――ありがとうございます」

 マディルは喉の奥にたまる唾液を、まるで苦いもののように流し込みながら一礼した。

 このまま話していることで、何らかの毒が体内を巡る――その考えにぶるりと身が震える。

「失礼いたしました」

 ぱたりと執務室の扉を閉ざしながら、自分の体が冷たく、ぎこちなく動くことに腹立ちが這い登る。

そう、あの瞳が――悪魔の視線が、威圧が、言葉が。脳内を侵食する。

まるであの男そのものが毒のように!

 ぎゅっと握りこんだ右手、かさりと小さな薬包紙が音をさせるのとほぼ同時に入り口の扉が開き、リルファが入室した。

「大佐?」

「……」

「どうかしましたか? 顔色が悪いようですよ」

「いや、なんでもありませよ」

 自嘲するような乾いた笑いを零し、マディルはふと、この手の中の薬を今リルファが手にしている食事用プレート――その湯気をあげるスープに混ぜ込んでやりたい衝動に駆られた。

 すっと手のひらを開く。

何の変哲もない五角形に畳み込まれた薬包紙は、マディルの手の平の上で小刻みに震えていた。

 リルファはその薬包紙に気づくと「何です?」と眉を潜めた。

「胃薬らしい。飲みますか?」

 浮かんだ微笑は、どこかぎこちのないものとなっていた。

そんな相手と薬とを一旦見比べ、リルファはマディルとは真逆ともいえる柔らかな微笑みを浮かべて見せた。


 マディルのそのこわばった表情から、どのような経緯でラドックに薬を渡されたのかまでは推し量れはしなかったが、マディルがそのクスリを不信がっているのだけはすぐに推察がついた。

「あの人が胃薬だというのであれば、そうでしょう。

危ないクスリの場合何も言わずに押し付けますから、危険ですけれど。胃薬だと口にした場合は信じて大丈夫です」

 簡潔な説明に、マディルは一旦瞳を伏せ、気安い様子でリルファの肩にとんっと手を置いた。


「――がんばりなさい」

 リルファは怪訝気に眉を潜めて上官を見送った。



――そう、例えリルファを今更その任から離したところでどうなるだろう。

もとより承知している。

 長く薬師に付き添うものは、決してもう無事では要られなどしないのだ。

 

国の深淵を覗いた者に、穏やかな未来などありはしない。   



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