表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
詰め合わせギフトパック  作者: たまさ。
翡翠の護衛官
42/58

1

カチリと首筋のホックをはずすのを合図に、ふっと心の緊張が緩んだ。

 特別護衛官という任務を賜ったのは新任地について一月。

着任して三ヶ月。

歪む窓ガラスに映りこむ自分をみれば、なんとなく……痩せた気がする。

いや、やつれたというべきか?

 胴回りに手を当てて確認しながら、自然と眉根が寄ってしまった。

「どうしたね?」

「はぁ、いえ――もう少し筋肉をつけるべきかと思いまして」

 直属の上司に当たるマディル・コーリアス大佐に背後から声を掛けられ、リルファ・ディラス・デイラは乾いた微笑みを浮かべた。

 まさか仕事のストレスでやつれたなどとは言えない。

 

 あまり訪れることのない軍舎はリルファにとってはなじみのない場所だ。

新任地に訪れて一月、その後数度だけ報告の為に訪れただけの場所。

 名ばかりのリルファの机は、誰のか判らない荷物が我が物顔で占拠している始末だし、とうてい居心地が良いとも思えない。

 自分の机である筈のそこ――いくつか備え付けられている引き出しの中に男性向け風刺雑誌(エロホン)を発見し、見なかったフリをしてそっと閉ざし、リルファは自分よりも幾分高い場所にあるマディルの顔を見上げた。

「それより、一週間も護衛任務からのはずされたのは、何か私の落ち度ということでしょうか?」

 このさい、この本が自分に対しての嫌がらせであるのか、それともただ他の隊員が隠しただけのものであるのかはどうでもいい。リルファが気になっていたのはソレだった。

 今朝方、突然リルファが寮の自室で休んでいると従卒の青年が一通の命令書を持って現れたのだった。同じ部屋で寝泊りしているハウスメイドのサーラがおろおろと主への突然の命令に慌てていたのが気の毒で仕方ない。


 リルファの視線を真っ向から受け、マディルは唇をぺろりと舐めた。

「何か失敗の覚えがありますか?」

「まぁ、細かいことをいえばきりはありませんが」

 彼女が自分の護衛対象者と喧嘩もどきの怒鳴りあいをするのは、二日にいっぺんはあることだったし、護衛官としてはあまり役にたっていないのではないかと思われる点は多々ある。

 もとより、ぽっとでの田舎兵卒如き、突然中央転属というだけでも破格の出世だというのに、更に研修終わりで専任護衛官など――明らかに叔父が心配した挙句に裏から手を回したのではないかと危惧している程だ。

 地方領主のコネ程度、結構簡単にまた飛ばされてしまいそうな気すらしている。

「いや、以前の報告の時に言っていたでしょう?

少し体を鍛えなおしたいと。護衛の任務をこなしながら体を鍛える時間を作るのは至難だろうから、一週間程離れて専念させようと思ったのですが、問題でも?」


 その言葉に、沈んでいた表情が一気に明るいものになった。

やはり自分の仕事に問題があれば、叔父に迷惑が掛かることになるのではないかと思っていただけに、その杞憂がぱぁっと見事に霧散した。

「いえ。何か問題を起こしてのことでないのであれば、一週間といわず一月でも一年でも大歓迎です」

 あまりの明るい言いように、マディルは苦笑を落とした。

「あ、でもその間の――ラドック・ベイリル様の護衛任務は……」

「安心しなさい。ほかの者を当てている。といっても、いつ戻されてくるか判らないですがね」

 最後はぼやくように苦笑を零され、リルファも乾いた微笑みが張り付かせた。

 ラルは我侭だから――とは飲み込んでおく。

 噂でしか知らないが、今までの護衛官も一週間と持つのはマレだったのだという。

 確かに我儘で残虐で意味不明な男ではあるが、だからといってただ護衛するだけならばうろちょろと動く訳でもないし、本人の奇行など無視し続ければいいと思うのだが――そのてんにおいてリルファは自分が多少の免疫と豪胆さ、そしてずぼらさを持ち合わせていることを気づいていない。


「嬉しそうですね」

 あまりにもこやかになってしまったリルファの様子に、マディルは呆れた様子で眉を顰めた。

「そりゃあ、一週間もあの腐れ頭と離れていられる訳ですからっ」

 と、素直に感情を吐露してしまったのは愛嬌ということで許して欲しい。

だが、マディルは片眉を跳ね上げ「ラドック・ベイリル薬師殿は我が国の重要人物だということを忘れてはいけませんよ」と、静かに諭した。

「この一週間、好きに使ってかまいません。

他の隊に入り、鍛錬してもいいですし。一人で鍛錬してもいい。官舎内の誰かに師事するのであれば私に言うといい。書類を作成してあげますから」

 あまりに至れり尽くせりぶりにリルファは上機嫌になってしまった。

中央の机につき書類仕事へと戻ろうとする上官に頭を下げ、リルファはこの日からはじまる一週間の自由に口元が緩むことが止められなかった。


 まず、何をするべきか。

 護衛官としてもう少し体力と筋力をつけるべきだろう。

と、リルファは自分の手のひらをじっと見つめてくいくいっと開いたり閉ざしたりを繰り返した。

 女である自分は、どうしたって力でもって男性に劣る。それは努力でどうにかなる問題ではないのだ。ならば違う道を切り開くべきだ。

「まずは、アレだな」

リルファは自分の机の中、棚の中をごそごそと探り始めた。

「……なんです? 何をしているんです?」

 あまりにも不審な動きをしはじめたリルファに、マディルは首をかしげた。

「あ、ロープが無いかと思いまして」

「ロープ……?」

 がさごそと荷物をあさる手はそのままに「数日前にラドック・ベイリル様の私室の様子が変わっておりまして。どうやら窓から不審者の侵入があったようなんです。ですが、ラドック様の私室は三階なので――いざと言うときに三階から階下におりられるように訓練を」

「報告を受けてないですよ」

「はぁ、室内進入だけですから」

「莫迦ですかっ。私物に毒物でもいれられたりしていたらっ」

と、慌てる上官に、リルファは「毒程度で死ぬ人じゃないんで」と実につまらなそうに言う。


「……あなた、豪胆すぎやしませんか?」

「ああ、あった!」

 ちょうどよさげな太さ。長さは大分足りないが、なんとかなりそうだ。

 リルファは強度を確かめるように引っ張った。古いものではなさそうだし、リルファの体重くらいは楽に支えてくれそうだ。

 嬉しそうに笑みすら浮かべ、リルファは今度は窓辺へと近づくと近くの机の足部分にロープの先端を括りつけ、ひょいと窓からロープをたらした。

「……デイラ護衛官、もしかしてここでやるつもりですか?」

不信に満ちた上官の言葉に、リルファは少しも頓着しない。

「だって、この部屋丁度三階ですから。

さすがに屋上から飛び降りるのは想定してませんけれど、三階から飛び降りるのにはちょうどいいでしょう?」

 言葉と同時にロープの先端を手に窓から身を躍らせる。

一度壁に足を当て、ロープの反動も利用してスピードを殺す。だがタイミングがずれたのか思ったよりもがくんと大きな衝撃を受けつつ、ごろりと地面に降り立った。


「――なんとなく、あなたがあの人の下で平気な理由が見えます……」

 リルファは顔をしかめながら自分の肩口、尻についた泥汚れをはたき、少し壁から離れた地点に立つとおもむろに助走をつけ、二階までしかおりていないロープの先端をつかみ、そのまま三階へ壁伝いに駆け上った。

「デイラ護衛官、つらそうですが?」

「ふ、ふふふ――腕の力がちょっと足りないだけです。

十回も繰り返せば少しはマシになりますから」

「十回も繰り返すのでは、さぞその壁は足跡だらけですね。最後にはモップで綺麗に洗い落としておいてくださいよ」

 リルファは上司の言葉を励ましの言葉と受け止め、せっせとその日一日壁おり、壁下りを繰り返した。


――夕刻、地面に転がったリルファを、三階の窓から紅茶のカップを片手にマディルが眺め「生きてますか?」と声を掛けると、すでに筋肉痛に苛まされた娘は乾いた笑みしか浮かべられなかった。

「生きて、ます」

「壁掃除は終わっているのですか?」

「……明日でいいですか?」

 マディルは嘆息した。

明日までこの奇怪な足跡を残しておく趣味が、彼にはない。それに、階下の部署からはすでに苦情もきていた。

 窓の向こうを人が降りたりのぼったりを繰り返しているのだから、確かにたまったものではないだろう。

「グレン、グレンドル」

 マディルは自分の仕事を終えて戻っている部下をちらりと見やった。軍人らしく短い髪、左額に小さな火傷跡あるいかつい男はとたんに嫌そうな顔をした。

「言っておきますが、自分は壁歩きしながら壁拭きなんて器用な真似はできませんから」

 その体重も、おそらくリルファの二倍以上ある男だ。


マディルは「使えない」とぼやくと、持っていた紅茶のカップを机におき、部屋の隅にあるスポンジを濡らして窓辺のロープをつかむと、軽々と窓から滑り降りておりる過程で壁をふき、二階の窓枠に足を引っ掛けて壁をふき、地面に降り立って壁をふく。

 リルファは筋肉痛で転がりながら、内心でうわぁっと悲鳴をあげていた。

――上官に掃除をさせてしまった!

「で、そこで討ち死にしている阿呆な護衛官。

動けませんか?」

「はぁ……最近めっきり鈍っていたようでして、面目しだいもありません」

言いながら、それでも腕に力を入れて立ち上がろうとする。筋肉が悲鳴をあげるが、それでもあまりにも無様なので必死に力を入れる。

「グレン」

マディルは声を張り上げ部下を呼んだ。

「はい」

「綺麗に洗ってしまっておいて下さい」

と、マディルは持っていたスポンジを三階に向けて投げ込むと、頼りない小鹿か何かのようによろよろと立ち上がったリルファの腕を引き、肩下に自分の腕を入れて支えた。


「っ、すみませんっ」

「腐っても部下ですからね。丁度いい、薬師殿のところに行っているクラウスの様子も確認ができるだろうし」

「って、行く気ですか?」

「あなた、擦り傷だらけですよ? 打ち身もあるでしょうし。

軟膏なりいただいたほうがいいでしょう。

それともまさか、薬師殿の護衛官であるあなたが、医師の治療を受けるつもりですか? それはそれでイロイロと問題になりそうですよ」

 ぐっと、リルファは言葉に詰まった。

確かに、それではまるきり「この薬師は信用できませんよ、ヘボですよ」と護衛官が吹聴しているようなものだ。

 それはそれで楽しそうで心からやってみたいことの一つだが、あの護衛対象にネチネチと恨まれそうな気がする。

ネチネチというか、ネチャネチャとそれはそれは執拗に。

 リルファは眇めた眼差しで虚空を睨みつけた。

せっかく一週間もの間顔を見ずにすむかと思っていたのに――どうやら怪我や病気を煩うと、自分は強制的にあの顔の前に突き出されるようだ。


――まさか訓練の怪我で罰せられたりはしないだろうけれど……

ふと浮かんだ思いにリルファは更に深い溜息を吐き出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ