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ウィル・ヒギンズの観察記録5

でも今日は別の人。

 ナシュリー・ヘイワーズが軍属という道を選んだのは、姉であるシェリー・ヘイワーズの影響が多大にある。

「まぁっ、お口がお上手ですこと」

 豊かな淡い金髪に灰青の瞳。薄桃色のふわふわとした羽毛飾りをつけた扇で口元を覆い、ころころと愛らしく微笑むシェリーは誰もが認める美貌の持ち主だが、それと比べられ続けたナシュリーは自然と自分は決してああはなれまいと自分の将来を学問に定めたのだ。


 美人は近くにおいておいてはいけません。

 

 だが、学問を究めて研究機関である『賢者の塔』という別称のある場に入ることは適わなかった。そして唯一残されたのが軍属という道だったのだ。

――幸い、外勤に女性職務は無かったが、事務官であれば募集があった。試験までの一月鬼のように勉強にはげんでやっと軍属となり、こつこつと昇進試験に対してやっと手にいれたのが、


ウィル・ヒギンズの補佐官という職だった。


 自分が求めたものと何かが違うのではないかと、ナシュは最近では思っている。

「ナシュ? その手のものは嫌いじゃなかった?」

 朝の時間、予定はあれども未だ時間が早い為に時間つぶしで官舎の1階フロアで雑誌を眺めていると、友人のダーシーがからかうように言う。

「最近は目を通すようにしてるの」

「今日の運勢はどう? いいことありそう?」

「……新しい出会いがあるかも! 心臓がドキドキバクバクしちゃうかも要注意っ」

「まぁ、素敵ね」

 楽しそうに言うダーシーだったが、新しい出会いはあるだろうと判る。何故なら、もう少ししたら馬を走らせて出かけるのだ。そしてそこにいる人間はほぼ知らぬ人間だ。


「……本当に素敵な出会いならいいけどね」


 新しい出会いなんて、道を歩いていたってあるんだよ。


***


「……」


 面前に立つ『賢者の塔』は資料室に無い資料すらも提供してくれるありがたい場ではあるが、それはすなわち自分が目指して挫折した場でもあるのだ。

「提出書類の記載をお願いします」

 一階の受付で事務処理を淡々とすませていたが、ナシュは少しだけほろ苦いような気持ちを味わった。本来であれば自分はここでのんびりと好き勝手に学問や本に触れて生きていた筈だったというのに、結局は道は違ってしまっていた。

 新しい出会いとやらはいったいどこに落ちているのか。面前の受付係をじっくりと見てみたが、生憎と心臓がドキドキしたりはしない。

「必要な資料は――ああ、これは三階ですね」

 受付係は淡々と言い、ふと視線をあげて声の調子をかえた。


「ルーク、ヘイワーズ中尉を三階の東資料館に。古地図と水脈図を幾つか探すのを手伝って差し上げて下さい」

「――」

 その名前にギクリとナシュは身を強張らせ、おそるおそる振り返ってしまった。

賢者の塔の住人らしく軍装のナシュとは違いいかにもゆったりとしたローブのような衣装を身に纏った癖毛の青年は、手にしていた荷物をカウンターに預け、静かに顎先でついてくるようにと示した。


 ナシュはおそるおそるその後をついて行きながら、相手は自分を覚えていないのだろうとホッと息をついた。


確か自分よりも四つ程年下のこの青年は、飛び級で学舎で学び歴代三位の若さで『賢者の塔』に入ることが許された秀才だ。

 つまり、ナシュが学んでいる間も彼は時には下級生として、同級生として、そして上級生としていたのだ。年下だというのに。


数歩先を行くルークは階段をゆっくりと歩き、右回廊を進み、階段をのぼり、左回廊を歩き、階段をおりて、渡り廊下を歩き――

「どこに行くんだったかな……」


 迷子かよっ!


いったり来たり、何故か階段を上ったり下がったりするのでおかしいと思っていた矢先、ぼそりと相手の口から落ちた言葉にナシュは殺意を覚えた。

基礎体力はあるつもりだが、すでに息が上がってしまっている。階段ののぼりおりなどの上下動は思いのほか体力を削る。

「ナシュリー・ヘイワーズ、どこに行くのだったかな」

 かつりと足を止めて振り返られ、ナシュはぐっと喉の奥で言葉を詰まらせた。


「……覚えてたんですか」

「いや? 今、見たことがあると考えをめぐらせていたら、自分が何をしていたのか忘れただけだよ」

――……

「だから覚えていたというのは正しくないよ。正しくは思い出したのであって、それについてもつい今しがた……」

 延々と訳のわからないことを言い始めた相手をさえぎった。


「判りました。とりあえず三階の水脈図と古地図のある資料室に案内して下さい。他のことは一切考えずに」

「判ったよ」

 ナシュの言葉に短く返答すると、ルークはまたしても階段をのぼったり下がったりしながらナシュをつれまわし、だが結果としてはきちんと資料室への案内を果たしてはくれた。


 半刻あまりもの間うろうろとさせられた気持ちになり、ナシュは礼を口にしつつも「やけにぐるぐるとさせられたような気持ちなのですが」ととげとげしく言葉にすると、相手は眇めたような視線をひたりと向けてくる。

「大事な資料が多いからね。ここは迷路のような作りをしているんだよ」

そうか。それもそうかもしれない。

と、ナシュが納得しかけたところで、ルークはくるりと身を翻して「きっと」と言葉を付け加えた。


「……方向音痴なんじゃないですか?」

「右手を壁につけて歩けばやがて出口にたどり着くよ」

「――」

「というのは冗談だけどね。ここは本当に人を惑わす迷路のような作りをしているんだ。一般の人間は確実に半日は迷わされるよ。ついて来て」 

 まだ子供のような口調で吐き出される言葉に、からかわれているのか本気なのか思案しつつ、ナシュは大人しくその後に続いた。


「資料は?」

「各砦の古地図と水脈源の地図を。軍にもあるのですが、どうも足りない」

「なんだ。君は軍属になったのかい?」

「……軍服ですからね」

 今まで気付かなかったのか?

 脱力しつつ応えると、ルークはしばらく無言で資料の棚を指先でなぞりながら「ぼくの妹は、軍属ではないけれど軍服を着ているよ」

 とぼそりといった。

「はい?」

「騎士になりたいと昔から言う子で、父が彼女の為に軍服を作る仕立て屋に頼んで彼女用に似たデザインで違う色彩の軍服を作り続けた。今は十五だが……普段からそれを着ている」


 騎士。

ナシュはそれは考えたことが無い。軍属ということで基礎体力はつけられたが、あくまでもナシュは内勤だ。

 体術はそこそこ自身があるが、剣などは体裁の為だけに持っているだけといってもいい。

「騎士は……女性には無理な夢ですね」

 この国には女性騎士は存在しない。軍属で女性を認めているのはあくまでも警備隊の内勤だけなのだから。だからそもそもナシュはそんな夢を抱いたこともないのだ。

「うん。でも一生懸命にがんばってるよ」


――何を考えているのかいまいち判らない青年だが、ふっと口元を緩めて微笑むから、ナシュはなんとなく好ましい温かな気持ちになった。

 新しい出会いではないが、もしかしてこれはいわゆる――良い相手なのかもしれない。

年下だが、そんなに……

「ぼくが議会員になれればすぐにでも女騎士を承認したいところだけれど、生憎とまだ年齢的に達していないのが残念だよ。それに、この案件が通ったとしても、その時妹の年令は適していないだろう。何故父はぼくとあの子の年齢を近くしてしまったのか、はなはだ納得がいかない。ぼくがあの子にしてやれることは、時々勉強をみてやることくらいだけれど、生憎とあの子は勉強はあまり好きじゃない。幾度も窓から逃げられてしまってそのつどとても悲しい思いをさせられたよ。一番年齢が近いのだから最も一緒にいられるように思うのだけれど、長男がすぐにあの子を抱っこしてもっていってしまうし、三男は馬鹿みたいに甘やかすし――」

 まさかそれから延々妹の話がずらずらと続き、挙句の果てに「ルーク、その話はいったいどこに落ち着くのでしょうかね」と嫌味っぽく口にすると、ルークはやっと気付いた様子で口を閉ざし、ついで眉間に皺を刻みこんだ。


「ところで何を探せばよかったかな?」

「……」


――新しい出会いがあるかも! 要注意。


 いや、そもそも新しい出会いではない。

やはり占いなどちっとも当てにならない。これは違う。まったく違う。

滅びろ、妹フェチ。シスコンめ。

 激しい脱力感を抱きつつ資料を探し出し、またしてもぐるぐると塔内を歩かされた挙句に官舎にたどり着いたナシュは、ウィル・ヒギンズが静かな――威圧的な空気の中で黙々と仕事をこなしているのを見て、なんだか少しほっとした。


 ルーク……あれは絶対に軍属にはなれないし、また上官などにも向かない。

それに比べればウィル・ヒギンズは真面目に仕事をこなしているし優秀だ。よし、まだいい。まだマシだ。

 ささやかなよいこと探しをしなければ人生に挫折してしまいそうなナシュだった。


「確か君は資料を探しに出ていたのではないだろうか? もう夕刻に近い時刻だということは理解しているか」

 戻ったナシュに冷淡な言葉が飛ぶ。

ナシュは持ってきた資料を机の上に一旦おき、上官の前で帰還の口上をつらつらと並べ、最後に言葉を付け足した。

「時間が掛かりましたことはお詫び申し上げますが、私が居ない間に何か不都合がありましたでしょうか?」

 必要なものは全てそろえてから出かけた筈だ。何か足りませんでしたか? とナシュが言葉を続けると、ウィル・ヒギンズはふっと瞳を眇めてどこか遠くを見るような眼差しでしばらく無言でいたが、


「君が足りなかった」


とぼそりと口にした。

――その意味をじっくり考えたくない気持ちになり、ナシュはいつもと同じように微笑一つで無視することにした。

 触らぬ神にたたりナシ。


「紅茶、お入れしますね」

「そうしてくれ」


***



 その日の記録を締めようとしつつ、ふと――本日の占いの内容を思い出した。


新しい出会いがあるかも!

心臓がドキドキバクバクしちゃうかもっ。


……心臓は確かにドキドキばくばくしたかもしれない。

ただし、激しい上下動で。

眉間にできてしまった皺をなんとも揉み解しつつ、明日はもっと当たりそうな恋愛占いを見るかとペンをペン立てに放り込んだ。


男性にちやほやされ、それを楽しむ姉のシェリーをどこか馬鹿にするように眺めていたナシュだったが、最近の夢は円満寿退社になりつつある。


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