絡み合う肌
※史実をもとにした創作作品です。
実在の人物・出来事とは一部異なります。
月が江戸の町をやさしく照らし、星々がひとつひとつ瞬いていた。
春の夜風はひんやりとしていて、けれどどこか甘い匂いを運んでくる。
桜と家宣は、指を絡めたまま、静かな通りをゆっくりと歩いている。
家宣の指は大きくて温かく、少し強めに握り返してくるたび、桜の心臓が小さく跳ねた。
「……寒くはないか?」
家宣の低い声が耳元で響く。
桜は首を振り、けれど頰が熱くなるのを止められなかった。
「……ううん。大丈夫です……」
小さく答えると、家宣はふっと笑い、絡めた指をもう一度ぎゅっと握り直す。
その仕草があまりにも優しくて、桜は思わず目を伏せてしまった。
路地の先に、旅籠の灯りが見えてきた。
暖簾の隙間から漏れる橙色の光が、まるで二人を待っていたかのようで、桜の胸がきゅっと締めつけられる。
家宣は短く言葉を交わし、奥まった静かな部屋を取った。
女将の「どうぞごゆっくり」という声は、なぜか桜の耳に、ひどく遠くで響いた。
扉が閉まった瞬間、静寂が二人を包み込む。
家宣は一瞬も迷わず、桜を抱き寄せる。
背中に回された腕は力強く、それでいて壊れものを扱うように、ひどく丁寧だった。
唇が触れ合う。
最初はそっと、確かめるように。
けれどすぐに角度を変え、深く、深く、重ねてくる。
桜の息が震える。
家宣の唇は熱く、少し荒々しく、それでも奥に隠された切なさが、はっきりと伝わってきた。
「……ん」
小さな声が漏れると、家宣の動きが一瞬止まり、次の瞬間、うなじに顔を埋めてくる。
温かな吐息が首筋を撫で、唇がそこをなぞった。
桜の身体がびくりと震え、思わず家宣の着物の胸元に指を絡める。
「……桜」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥が溶けてしまいそうだった。
その声はいつもより低く、掠れていて、まるで自分だけに向けられた秘密のようだった。
家宣はゆっくりと桜を畳の上へ導く。
膝をつき、髪を撫で、頰に触れる。
その指先があまりにも優しくて、桜は自然と目を閉じていた。
「……怖くないか」
囁く声に、桜は小さく首を振る。
「……家宣様が、いてくれるなら」
その言葉に、家宣の瞳がわずかに揺れた。
次の瞬間、桜を強く抱きしめ、耳元で低く囁く。
「……そんなこと言われたら、俺は……我慢できなくなる」
その声は甘く、苦しげで、どうしようもなく愛おしかった。
桜は家宣の背中に腕を回し、ぎゅっとしがみつく。
衣の紐に手がかかる。
ゆっくりと、けれど確かに。
布が滑り落ちる音が、静かな部屋に小さく響いた。
指先が肩を、鎖骨をなぞるたび、桜の息は浅くなっていく。
「……きれいだ、桜」
祈るように落とされたその言葉に、桜は思わず身をすくめた。
顔を隠そうとした手を、家宣がやさしく捕まえ、自分の頰に当てる。
「隠さないで。俺に見せてくれ」
その真っ直ぐな視線に、もう逃げたいとは思えなかった。
月明かりが障子越しに淡く部屋を染める。
重なり合う影は、ゆっくりと溶け合っていく。
家宣は額に、瞼に、唇に、何度も口付けを落とす。
まるで、ずっと待ち続けていたものを、ようやく手に入れたかのように。
桜もまた、頰に、顎に、首筋に、そっと唇を寄せる。
そのたびに家宣の息が乱れ、腕に込められる力が強くなるのを、はっきりと感じていた。
言葉はいらなかった。
確かにそこにあるのは、互いの鼓動と、熱と、吐息だけ。
やがて朝の光が障子を淡く染め始めた頃、
二人は互いの温もりを確かめるように、深く寄り添っていた。
家宣の腕の中で、桜は安らかな寝息を立てている。
その髪を指で梳きながら、家宣は誰にも聞こえない声で呟いた。
「……ずっと、こうしていたい」
江戸の夜は静かに、けれど確かに、
二人を次の甘い段階へと、やさしく押し進めていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次話もお付き合いいただければ幸いです。




