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ティア・イリュージョン  作者: おおまめ だいず
幻想の星編
156/206

鮮麗

 周囲に広がる瑠璃色の世界。優雅に泳ぐ魚たち。海の中から見上げると見える水面には、音も立てずに形を変えていく太陽の光がある。とても静かだ。静かすぎて、時の流れなど忘れてしまいそうだ。


『……………穏やかだねぇ……』


 そう呟いた巨大な陰が、揺らぐ太陽の光を隠した。声は海の中で、冷たく静かに響く。その隣を泳ぐ魚人の男はそれに言葉を返した。


「……そうだろうか…?最近は魔物の情報をよく耳にする。……海帝鯨よ、この海も近いうちに荒れるのでは……」

『ディプリューン、……お前はいつもそうだ。用心が過ぎるんだよ。……もうすぐ子が生まれるというのに、このままではお前の子は自由を持てなくなるぞ。…ところで、名は決めたのか?』


 海帝鯨はディプリューンの考え込む顔に目を向けて言った。彼は真っ直ぐな視線を海帝鯨に見せた。


「……エルディーネ……だ。」

『……エルディーネ………ほぅ、美しい名ではないか。遠い昔の言葉で“清き水”という意味だな。』


 すると、静かであったはずの海の中に、美しい歌声が響き渡った。少女のような声だ。


“ラ…ラ………ラララ………ラ…ラ…ラ………ララ………”


「……歌…?」

『……フン……、水面の奥からだね。こんなにはっきりと声が聞こえるのは妙だ。』


 海帝鯨はそう話すと、その歌声が聞こえる水面に向かって泳ぎ始めた。


「っ、行くのかっ。わざわざ海帝鯨が顔を出す事では——」

『ディプリューン、お前は来なくてもいい。……フッ…久々に楽しめそうだ…。』


 海帝鯨はその巨大な体で海を掻き分け、上へ向かった。大きな尾鰭が上下すると、周囲を泳ぐ小魚たちが吹き飛ばされる。水面に揺れる太陽の光が近づくとともに、美しい歌声ははっきりと聞こえてくるようになった。そして、海帝鯨は水面を突き破り、顔を出した。


『………フゥ……。………おや…?』


 快晴の空の下、水平線に囲まれた場所で海帝鯨が目にしたものは、色鮮やかな翼をした少女だった。翼を上下に動かして宙に留まる彼女は、海帝鯨の巨大な体を目の前にして歌を止めた。


『セイレーンかい。妾は初めて見るが、本当にいるとはねぇ……』

「………鯨さんだ〜。……大っきぃ〜……」


 彼女は頭から胸までが人で、それ以外は鳥の姿をしている。セイレーンだ。


『……フッ…可愛い魔物さんだこと……お前だね?歌っていたのは。』


 海帝鯨がそう問いかけると、セイレーンは元気よく頷き、口を開いた。


「うんっ!私っ、歌うの大〜っ好きっ!あとねっ、空を飛ぶのも大〜〜っ好きっ!!」


 それは太陽のように輝く笑顔だった。そして、彼女の首には綺麗に光るペンダントが掛けられていた。


『……そうかい、そうかい……』

「鯨さんは、歌うの嫌い…?」


 セイレーンはつぶらな瞳で海帝鯨に問いかけた。海帝鯨は静かに首を横に振る。


『…いいや、嫌いじゃないさ。ただ、歌うにはこの口は少々大きすぎるものでねぇ…妾が歌うと皆が耳を塞ぐのさ。だから、妾は歌わないんだよ。』

「ヘヘッ、鯨さんって、面白〜いっ!」

『………そうかい。』


 その時、海帝鯨は疑問を抱いていた。今、目の前にいるのはセイレーンという魔物だ。しかし、言葉も通じれば、襲ってくる様子もない。ただの元気な少女だ。ディプリューンや多くの魚人からは、魔物は恐ろしい存在であると聞いていたが、目の前の彼女にはそのような言葉は当てはまらない。


「ねぇ鯨さんっ、せっかくだから、一緒に歌わない?」

『……いや、妾はよい。……妾の前で、また歌ってくれまいか…?聴かせておくれ。』


 その言葉に、セイレーンは再び笑顔で頷いた。


「うんっ!良いよっ!……ラ〜ラァ〜ラララ〜ラ〜ラ〜ラ〜ララ〜」


 その澄んだ歌声は優しい風と共に流れ、青く大きな空と海を包み込んだ。海帝鯨は目を閉じ、静かにその歌声を聴いた。


 その歌声は、太陽が水平線に隠れるまで続いた。時間はあっという間だった。それから海帝鯨とセイレーンは毎日のように顔を合わせ、歌い、聴き合った。海帝鯨にとって、この時間が何よりも楽しみになっていた。




「鯨さんっ!私っ、新しい歌をつくって来たわっ!」

『…そうかい。聴かせておくれ。』




 日が昇り、沈むまで、彼女の歌声は空と海に響き続けた。彼女と会ってから、海が荒れる事など無かった。




「鯨さんっ!今日は今までつくってきた中で私が一番好きな歌をプレゼントするわっ!」

『…そうかい。…それは楽しみだねぇ。』




 彼女の首に掛かったペンダントが、太陽の光に照らされて色鮮やかな輝きを放つ。その輝きが目に映らない日など無かった。




「鯨さんっ、私ね…夢を見たんだっ…でも、それは夢じゃないみたいで…まるで私が経験したような感じで……」

『…そうかい。詳しく聞こうじゃないか。』




 水面を境にした2人の毎日は、鮮明なようで儚いようで、長い月日を引き換えに、一刻一刻に彩りを与えた。





 しかし、その時は突然やってきた。毎日のように晴れ渡っていた空は曇天に変わり、水面の色を濁らせた。鮮やかな翼の少女は現れない。海帝鯨は灰色の空をひどく奇妙に思った。胸騒ぎがする。何かの、良からぬ事の予兆なのだろうか。


『………』


 いつもの場所、いつもの時間のはずなのに、彼女は来ない。心配になった海帝鯨は海から顔を出しながら泳ぎ回った。居ない。周囲を見渡した。居ない。そしていつもの場所から遠く離れたところで、海帝鯨はあるものを目にした。大きな船だ。


『……何だぃあの船は……。わざわざこんな荒れた日に…………………………っ!!』


 その時、目に映ったものが海帝鯨に大きな衝撃を与えた。船の上の人が、何かを海に放り投げたのだ。大胆に裂かれた傷だらけの羽、赤く染まる割れた頭。海帝鯨はその顔に見覚えがあった。セイレーンだ。


『そんな…………っ!!そんなぁっ!!』


「っしゃぁっ!!魔物撃破ぁっ!!報酬金も弾むぞぉっ!!」

「おいっ!!なに秘宝も回収せずに海に捨ててんだぁっ!!」

「っ!!やべぇっ!!すっかり忘れてたっ!!」


 セイレーンの傷だらけの亡骸は静かに海に沈んでいった。


『嘘だァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァァァァぁぁぁッッッ!!!!』






『……話は終わりだよ。』


 海帝鯨の話を聞き終え、レオ達3人はどう口を開けば良いか分からなくなってしまった。ネネカは悲しそうな顔をしている。


「………そんな………そんな事があったなんて……」


 アランは拳を握り締め、眉間にしわを寄せた。


「………許せねぇっ…誰なんだそいつらはっ……」

「でも、今まで僕達が倒してきたのも魔物だ。彼女も……、セイレーンもっ、同じ魔物だったんだよ。確かに悲しいけど………僕らにとっては攻撃対象だ……」

「でもよぉっ!!……でも……」


 アランはレオを睨みつけ、声を荒げた。しかし、レオの言葉は正しかった。海帝鯨も彼には反論しない。すると、ディプリューンは長い顎髭を撫でながら口を開いた。


「………海帝鯨よ、つまりあなたにとって最も鮮麗なものというのは……命であると……」

『……そうさ、ディプリューン。命以上に鮮麗なものはない。あの時、船の上に居たものは、妾のかけがえのない鮮麗を汚したのだ。』


 そして、海帝鯨の大きな口から3人が待っていた言葉が出る。


『そこで、だ。お前達を試そうと思う。もしお前達が、鮮麗を汚した彼らのような“人”でないのであれば、彼女が落とした秘宝を……あの輝くペンダントを探してきてくれ。恐らく、暗い海の底にそれはある。』

「…………分かりました。必ず、見つけ出してみせますっ!!」


 レオは真っ直ぐな眼差しを海帝鯨に向けて言った。

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