14歳-11-
滝と護法剣越しの朝日が眩しくて、目覚める。
「……ルナリア」
私のすぐ目の前に、殿下の顔があった。
「……おはよう、ござい、ます……」
「良かった、目覚めてくれて」
……そう言う殿下の目元は、赤く腫らしているように見えた。
殿下は上体を起こすと、手元にあったゴールドフルーツを私に見せる。
「朝ご飯だ、食べた方が良い」
そう言うと、皮を剥き始めた。
全部を剥いて、私に渡してくれる。
「ありがとう、ございます」
のそのそと受け取って、もそもそと口を付ける。
一かじりすると、その美味しさに全身が震えた。
疲れ切った体に、欲しい栄養が詰まっていたからだろう。
このフルーツが高値で取引される理由を、この身をもってひしひしと思い知った。
「さて、食べながらで良い。前向きな話をしよう」
「……?」
私をにっこりと見下ろす殿下。
「ルナリア。私はここに残る」
……次を食べようとした口が、そのまま動きを止めた。まさに開いた口がふさがらない。
「ここまでの戦いで、私を庇った以外はほぼダメージ受けていない君だ。一人なら踏破するのも簡単だろう」
「……なにを、言い出すんですか」
栄養が巡り、段々寝起きの頭が回り始める。
「自分にあまり護法剣を使わないところを見るに、あれはMPや魔力神経の消耗が大きいのだろう?」
――それは、ご名答なんだけど……
答えられない私に、殿下は笑みを深めた。
「戦闘のたびに無駄に四本も生成していたら、そりゃ今みたいに魔力神経が真っ赤にもなる。君も分かっているだろう? 一人だったらクリアできないダンジョンではない。高難度は高難度だろうけど」
「……殿下。この話は、前向きな話とは言えません。二人でここを出るための……」
「いいや、前向きだ。このままだと全滅する。私のせいで。そんなことになるくらいなら、君一人でも生きて戻るべきだ」
「殿下、お考え直しください。女王にお成りになるのでしょう? もしそうでなくても……」
殿下は笑みをやめて、真剣な目になった。
「王女リーゼァンナ・キルシュ・オルトゥーラの名に於いて命ずる。ルナリア・ゼー・トルスギット。単独でこの森を抜け、生還せよ。そして……」
再び、優しく微笑んだ。
「幸せな第二の人生を、歩みなさい」
「殿下……」
言い切った殿下はゆっくり立ち上がって、滝の向こう側の太陽の方を向いた。
「すまないね。決心が遅れて。……本当は、もっと早くに、この命令を下すべきだった。命惜しさに、君を無駄に消耗させてしまった」
「……その命、承服いたしかねます」
殿下は振り返らず前を向いたまま。その背中に、言い募る。
「帰ったら不敬罪でも死刑でもなんでも良いです。貴女をここで見捨てるようなこと、絶対にしません」
「……では、どうすると言うんだ?」
ゆっくりと、顔だけ振り返る。
「この四日ろくに進行できない原因であり、君の消耗の原因であり、左肩の怪我の原因でもあり、焚き火を付ける程度の魔法すら使えない無能を抱えたまま、どうやってこの森を出ると言うんだ?」
「そのような言い方は……」
「全て事実だろう? 『後ろ向きな話はしないように』などと言って、君から捨てられるのを恐れた小心者だ。君を盾にして戦わせて、のうのうと守られてるだけの卑怯者だ!」
殿下が叫ぶ。
振り返った殿下は、見たことない顔で大粒の涙をポロポロと零していた。
「捨てていけ! 君が捨てないというなら、この護法剣を解いた瞬間、滝壺に飛び込むまでだ! 助けられたとしても今度は君から離れて走って行くぞ! そんな奴を介護しながらどうやって脱出する? そんな余裕も余力も無いだろう!?」
そう吼えて、殿下はゆっくりと涙を拭う。
「……頼む。最期くらいは、君の役に立たせてくれ」
そう言って、また新しい涙を流しながら殿下は笑った。
――気づけなかった。
彼女の精神が、とっくに限界に来ていたことに。
なまじ頭の良い方だから、とっくに気づいて秘めていたのだろう。
『自分が死んだ方が良い』という事実に……
(でもそんなの、適材適所の話であって……)
私が戦いに向いていた、というだけ。
私には政治も外交もできないし、ましてや女王なんて絶対無理。
それに、なにより。
私と殿下は、もうとっくに、友達なんだ。
――やっぱり、この人が死んだ方が良いなんて、どうしても思えない……!
確かに、全滅しないようする、という判断は正しいのだろう。
でも、知ったこっちゃない。
この人を見捨てて生き延びたら、もう二度と、心の底から笑えなくなる。
――欲しいものは全部、手に入れる、って決めたんだ。
とっくの昔に。
「気にしないでくれ。土台、私の寿命はここだったんだ。ドーズやギルを雇っただけで回避できるなんて甘い話、そもそも無かったんだよ」
殿下は強がって笑っている。
私の前で膝立ちになり、私の右肩にそっと手を置いた。
「一から鍛え直し、命をかけて人を助け続ける……それを積み重ねてきた君だから、死を回避して幸せになる権利が生まれたんだ。どうか、その権利を謳歌して欲しい。これは私の願いでもあるんだから」
顔を上げる。
鼻が付きそうな至近距離で、殿下を見上げた。
「……お気持ちは、固いのですね」
「ああ」
「王女の名も、高貴な血の流れる体も、女王の夢も意思も何もかも、ここに捨てて行かれる、と」
「そうだ。何を言われても覆す気は無い」
「……分かりました」
立ち上がる。
今度は私が殿下を見下ろす。
「だったらそれ、私が拾うわ」
「……拾う?」
「でも、体だけでいい。意思とか夢は邪魔だから」
「なにを言って……」
「意思とか夢があると反抗しそうだし。『最期くらい役に立ちたい』とか、『滝壺に飛び込む』とか」
敬語を使わなくなった私を、唖然として見上げる殿下……いや、命も体も意思も捨てられた女。
「あと、人権とかも要らない。体だけ残して、後は捨てる。
分かる? 肉体だけで意思も人権もない、奴隷以下の道具ってこと。前々から欲しかったのよ、そういう玩具」
私は口角を上げて悪く笑って見せた。
「元の持ち主は、強い意思で貴女の全てを捨てた。それを私が再利用してあげるわ。拾った以上は、もう私の物よ。今更元に戻りたいなんて不可能なんだから」
頭の中で整理しているのか、女は呆然と私を見返すだけ。
「だから……」
私は泣いてしまいそうになるのを堪えて、努めて笑みを維持し続けた。
「なにがあったって、持って帰るんだから……!」
王女だった女が唇を震わせる。
小さく嗚咽を零して、また涙を流し出し始めた。
そのせいで私も結局、目から涙が零れ落ちてしまう。




