9歳-4-
レナが寝静まった後と、レナより早く起きた朝は、木剣を振る。
一人、誰にもバレないよう、裏庭の大きな木の陰で。
レナと寝る前からしていたけれど、あの日からさらに手応えを感じるような……そんな気がしている。
『素振りしかできないから』なんて言い訳はなし。
一振り一振り、一閃一閃、無駄にしないように。
この一振り、この一閃でなにかを得ることができれば、レナを守れる確率が上がる……かもしれない。
逆に言えば、得られなければレナが攫われる確率が上がってしまう……かもしれない。
だからなんとしても強くなるんだ、という覚悟。
毎晩のレナのあどけない寝顔を守るんだ、という決意。
それが今の、原動力。
レナが将来野盗に攫われるなんて、知ってるのは私だけ。
だから、そのために今から準備できる人間も私だけ。
私なんて所詮ただの小娘。剣を振ったって大した役に立てない可能性も高い。
けど、だからって素振りをしなくて良い理由にはならない。
やる以外の選択肢なんて、あり得ないんだ。
一日の最後はレナとお風呂に入って一緒に眠るのも、今ではすっかり素敵なリフレッシュタイム。
前生ではお風呂も睡眠も事務的にこなすだけだったけど、今生では欠かせない憩いの一時だ。
最近ではお互い緊張も無くなり、お風呂遊びしてくれるようになったし。
ついついおしゃべりが過ぎて、寝る時間が遅くなってしまうこともある。
――我ながら、よく毎日飽きないと思う。
可愛くて優しい妹を持てて、お姉様幸せ。
……と、本人に言ったら「私こそ! お美しくて、可愛らしくて、誰より優しくて、頭も良くてカッコイイ、世界一のお姉様が居て幸せです!」
なんて答えてくれるから、泣いちゃいそうになっちゃった。
†
そんな日々を過ごして、三ヶ月が経った。
9歳になってから、七ヶ月。
私は再び、お父様に呼び出された。
「参りました、お父様」
「うむ。まあ座りなさい」
七ヶ月ぶりにお父様の執務室のソファに座る。私の背後にエルザが立った。
お父様が執務机から離れて私の対面に腰掛けると、執事が私たちの前にティーカップを置く。
「急に呼び出してすまない」
「いえ、ちょうどダンスのレッスンもキリが良かったので」
お父様がカップに口を付けて、ソーサーに下ろす。
「最近、レナと入浴したり寝たりしているらしいな」
毎日のことだから、他の執事やメイド達にも見られている。そこからお父様に伝わったのだろう。
「はい。レナの寝顔を見るのが今の一番の幸せです」
思い出すだけで頬がニヤケちゃいそう。
「フランに話を聞きに行ったとき、感謝していたよ。1ヶ月間、毎晩のように寂しくて泣いていた、と」
「はい、私もありがとうと言われました。毎晩、というのは知りませんでしたが……」
「まあ、まだ七歳。事前に知らせていたとはいえ、最初は適応できないものだ」
「それで、お咎めに呼び出されたのでしょうか?」
言葉で答えず、お父様はただ私をジッと見返してくる。
私はそんなお父様の視線を、微笑んで見つめ続けた。
と、お父様は肩の力をぬいて、背もたれに寄りかかって手を組んだ。
「そんな雰囲気を出してカマをかけようと思ったが、通じないようだな」
「子供みたいなイタズラやめてください、もう」
「貴族基訓の第六条は、本質は大人への忠告だ。大人は子供を甘やかしがちだからな」
「昔、親や使用人が居ないと何もできない貴族ばかりになって、国が傾きかけたからできたルールだそうですね」
「そう伝わっている。よく勉強してるな。今はそんなことも勉強するのか」
「先生から教わったのではなく、たまたま知りまして」
自分で図書室の本を漁って得た知識だけど。
「ルナの解釈の通り。兄弟姉妹にも頼らないのは違う。最近はレナもよく笑うようになった。私からも礼を言わせてくれ」
「そんな、大層なことはしていません」
「ルナ自身はそう思っていたとしても、言いたいのだよ」
私もカップに口を付ける。紅茶だった。
「お父様も、第六条には思うところがあったのですね」
「個人差もあるだろうし……やはり娘が寂しそうにしてるのは、親も辛いものだ」
「分かります。自立とか言う前に、心を病んだらどうするんですか、って話ですよ」
「確かにな」
しばし、互いにお茶を飲む時間。
と、そこで私の前にだけお茶菓子が置かれた。チーズケーキのようだ。
(……レナに持って帰ろ)
お父様の前より、レナと分けて食べる方が美味しいに決まってるし。
「レナって、本当に凄い子ですよね」
お父様が何か言おうとした気もするけど、私はそう切り出した。というか、ほぼ自動的に口が動いていた。
「……というと?」
「とっても優しいし、あの年齢でしっかり敬語でお話しできるくらい賢いし。そんな内面が容姿にも現れていて、まさに天使……いえ、天使よりも愛らしくて」
「ん? あ、ああ……」
「私がレナとお風呂に入りたかったし、レナと寝たかっただけです。
お父様からお礼をいただきましたが、なんのことはありません。ただ、それだけです。
とはいえ……私の容姿ではあの子に釣り合わないので、そこだけが懸念点ですが」
「いや、ルナも可愛い美しい、と社交界で言われているから安心しなさい」
「お父様の前で『姉の方は醜い』なんて言えるわけありません。みんなもちろん、内心では思っているはずです。『あんな姉は妹にふさわしくない』と」
「そんなわけないだろう……」
珍しくお父様が呆れた表情になった。
「お父様すらレナの可愛さが理解できないなんて……」
「いや、レナの容姿が良いのは分かってる。だがルナはそれ以上だと言いたいだけで……」
「まさか。私は目つきも悪いし、髪も肌もレナに比べればくすんでいるし、なにより、あんなに人類を幸せにする笑顔はできません」
「人類……? なんだか壮大な話になってきたな……。
目つきが悪いんじゃなく、つり目と言うんだ。くすんでいるなんて微塵も思わない。
ルナは、どちらかというと可愛いより美人、というだけだよ」
「それは親としてフィルターが掛かっているだけです」
「いつの間に、こんな姉バカになってるとは……」
「レナの愛らしさに今更気がついただけです」
「だとしても自分を下げなくていいと思うが……
まあ、とりあえずその話は置いておこう。今日呼び出した本題は、そこじゃない」
「レナのこと以上の本題なんてあります?」
「いくらでもあるさ」
お父様が前のめりになる。両手の指を組んで、両肘を膝に乗せた。
「剣を振っているそうだな。それも毎朝毎晩と、以前より頻度が多い、と」
お父様はさほど表情を変えずに言った。
――うーん、もうバレちゃったか。
呼び出された時点で薄々(うす)察してはいたけど。
誰にも見つからないようにしてたつもりなんだけどなぁ……。
「半年前、剣の稽古はしないと約束してくれただろう。
二度目だ。今日からはもうやめなさい」
「……お父様」
呼びかけて、私も前傾姿勢になる。そのまま右手を伸ばした。
「お手を」
「…………」
お父様が左手で私の手を取る。
掌を触り、指を調べていた。
「いかがでしょう?」
「……どういうことだ? 剣を振った姿を見た、と言った使用人が嘘をついたのか?」
「いいえ、剣を振っているのは本当です。『稽古』ではなく、ただの『素振り』ですが」
「……屁理屈を言いおって……」
「魔法で掌を保護し、筋力を補助しながら素振りを行っています。以前より掌は痛みませんし、筋肉に負荷なく振るえています」
「魔法? 魔力神経ができるまで無理をするな、と言っただろう」
「大した魔法ではありません。すごくシンプルですし、今の私でも問題ない程度です」
実際、アナライズで見ても『魔力神経負荷』が10%を超えたことはない。
お父様が手を離したので、お互い元の姿勢に戻る。
「次に筋肉の方ですが、一旦着替えてきてよろしいですか? ノースリーブの方がわかりやすいと思いますので」
言って、私は立ち上がった。
エルザがドアの方へ向かい、私が通るために開けようとする。
「……いや、よい。とりあえず、今は信用するとしよう」
「ありがとうございます」
再びソファに座る。エルザも私の後ろに戻ってきた。
「お父様。私はこの半年、増えた勉学も、難易度の高いダンスも、身の回りの管理も、こなしてきたつもりです」
「それは教師陣からも耳にしている。非常に優秀と」
「掌と腕への負担が軽減できたことで、体型維持もできていると思います。なにより、剣を捨てることはしたくないのです」
「……それは、以前から分かっているつもりだ」
眉間に右手を当てて、お父様が呟く。
「剣の先生を付けて、なんて言いません。
真剣をねだるようなこともしません。
女が騎士や兵士になれないことも重々承知ですし、なる気もありません。
あくまで趣味の一環として、認めてくださいませんでしょうか」
「趣味……剣を振る趣味、か……。ふふっ」
体勢そのまま、お父様が少しだけ声を出して笑った。
顔を上げて、私を見る。
「少しでも肩や腕を出す服が似合わなくなったら、やめてもらうぞ」
穏やかな表情で、お父様はそう言った。
驚き半分、ありがた半分で、その目を見返す。
――もう少し平行線になると思っていたのだが……。最悪、何年でも戦うつもりだったし。
「ありがとう、ございます。……正直、こんなにあっさり認めていただけるとは思っていませんでした」
「やるべきことをやった上で、ルナの魅力である華奢な体型を崩さずにいる。
魔力を扱うなら戦技の習得もできないから、本当に趣味の範囲でしかない。そうなると、これ以上攻め口が見つからん。
……とはいえ、多少変な子だと思うがな」
「多少、と配慮していただいてありがとうございます」
どちらからともなく、小さく笑い合った。
「まあ、とはいえ、女が武器を振るうのは粗野で野蛮、というのが一般論。
陛下や殿下の反応次第では、続けられないかもしれないことは理解しておいてくれ」
流石にここで「王妃になんてなる気なんてない」と言うわけにもいかないので、私は笑みを絶やさないでおいた。
怒られる以前に、不敬罪になってしまうし。
とはいえ、お父様のような考えの男性は稀だろう。
剣を持ち続ければ、順調に殿下や陛下にも嫌われるに違いあるまい。
王族側から婚約を拒否されれば、不敬罪にもならない。
剣を持つことで、私は守られ、殿下も後腐れ無くシウラディアと結婚できる。
これこそまさに三方良し、WinWinWinってヤツよ!
「……また何か妙な屁理屈をこねてないだろうな」
「滅相もございませんわ、お父様」
「妙にしおらしいときは疑うようになってしまったよ」
「酷いですお父様、レナには甘いのに……」
「私のせいか……?」
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