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【コミカライズ】転落令嬢、氷の貴公子を拾う  作者: 瑪々子


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希望の光

アストリア王国軍が混乱の中で引き揚げていくのを、リュカードは厳しい目で見つめていた。


ここで追い討ちを掛けたとしても、兵の絶対数ではアストリア王国軍が上。ディーク王国の結界より外には出ない方がよい、その判断は既に軍に示している。


(これだけの大軍が、我が国を諦めるはずもない。今回は無事に守れたが、また厳しい戦いになるだろう。

…特に、あの炎の竜を操った男)


リュカードは、暗い赤髪の将軍の鋭い目を思い返した。あの男とはまた遠からず相見えることになる、そう直感が知らせている。



アストリア王国軍の去りゆく背中に目をやっていたその時、リュカードの耳に、懐かしい、狂おしいほどに切望していた声が、自分の名を呼ぶ声が届いた。


「リュカード様…!」


リュカードがはっと横を振り向くと、赤紫色の長い髪の少女が、アルスとグレンに庇われるようにして、白銀の犬を連れてこちらに向かってくるところだった。

そのエメラルドのように輝く瞳は、リュカードのことを、まるで記憶の中の姿を確認でもするかのように、じっと見つめている。


「…アリシア!」


考える前にリュカードの身体が動いていた。

すぐさまアリシアに駆け寄り、アリシアの華奢な身体を抱き寄せる。

「会いたかった…」

リュカードは腕に力を込め、さらにぎゅっとアリシアを抱き締めた。


結界が崩壊し掛かったとき、消耗し切った身体を丸ごと潤すように届いた魔力は、アリシアからだとすぐにわかっていた。

それは、アリシアの記憶が戻ったことを意味するということも。

しかし、腕の中のアリシアから伝わる温かな流れ込むような魔力は、彼女が戻ってきたことをようやく実感させるもので、その喜びが抑えきれず湧き出してくる。


アリシアもリュカードの背にその手を回し、その手に力を込めた。

しかし、その身体が細かく震えているのに気付き、リュカードは腕の力を緩め、アリシアの俯いた顔をそっと持ち上げた。


「…アリシア、どうした?

もう、大丈夫だ。…怖かったろう。

結界が維持できたのもアリシアのお陰だ。また、君に助けられたな」


アリシアは少し濡れた瞳を上げて、リュカードの目を覗き込むように見つめると、ふわりと微笑んでゆっくりと口を開いた。

「リュカード様のその瞳の色、記憶を失くしていた時も、ずっと探しておりました。

記憶が戻り…またこうしてお会いできたのが、まだ信じられなくて。…ほんとうに、嬉しくて」


リュカードの腕の中にいるのを実感するように、しばらくアリシアはリュカードに身体を預けてから、ふっと笑った。

「それから、ディーク王国を助けたのは、私ではありません」


アリシアが振り返った視線の先には、少し離れてアリシアを見守るように座る白銀の犬が、金色の瞳でアリシアを見つめている。


「ね、ヴェントゥス?」


アリシアはそっとリュカードから離れると、にこりとヴェントゥスに笑いかけ、歩み寄るとその頭から背中を優しい手付きで撫でた。


(あなたに名前はきっとあると思って、アストリア王国にいるときには名付けずにいたけれど…。

ヴェントゥス。あなたは、私が記憶を失くしても、ずっと側にいてくれたのね)


「ああ。…ヴェントゥスは、このディーク王国を救ってくれた。彼がいなかったら、間違いなく今アストリア王国に敗戦していただろう」


ヴェントゥスが戦場に現れてから、文字通り戦の風向きが変わった。

ディーク王国軍を襲ってきた炎を風で巻き上げ、アストリア王国に向けたのは間違いなくヴェントゥスだ。

リュカードの頭には、追い詰められたあの瞬間に全滅という言葉まで浮かんだほどだ。八方塞がりのあの状況で、姿を見せたヴェントゥスは一筋の希望の光だった。アストリア王国軍が撤退した今の状況は、奇跡というほかない。


リュカードはヴェントゥスに向き直る。

「ヴェントゥス、君は…」


いったん区切ったリュカードの言葉を、側でヴェントゥスを見つめていたシリウスが継ぐ。


「精獣…。あなたは、風を司る精霊の化身だったのですね」


***

戦果を挙げられずアストリア王国に帰還した軍に、アストリア王国国王は怒り心頭だった。呼び付けたローレンスとフレデリックにそれは冷ややかな視線を浴びせると、国王は口を開いた。


「ローレンス、何のためにそなたに今回の戦を任せたと思っておる。

結界すら破壊できずに、しかも、精獣らしきものが姿を見せただと?…まだ力が不十分かと考えていたが、既にそれほどの力があるとは…。


わかっているとは思うが、次はないぞ。よいな」


ローレンスは国王に深々と頭を下げる。

「はっ。承知しております、陛下」


国王は忌々しそうにフレデリックに視線を向ける。


「お前はあの魔力持ちの娘をローレンスの剣から庇ったそうだな。…殺しておけば、まだディーク王国への侵攻は容易だったものを。余計なことをしおって」

吐き捨てるように言うと、国王は玉座から立ち上がり、その場を後にした。


フレデリックは頭を下げたまま、無言で父王の足音が遠ざかるのを聞いた。



フレデリックは、アリシアを守ったことを微塵も後悔してはいなかった。たとえ、彼女を敵国に手離すことになるとしても。


アリシアは、アストリア王国からの去り際に、持っていた魔具をフレデリックにも向けて、そっと放っていた。フレデリックは、魔具から放たれたアリシアの気持ちが流れ込んでくるのを感じた。

そこに込められていたのは、フレデリックへの溢れるほどの感謝の気持ちだった。



…こんな私に、あれほどまでに優しくしてくださって。

記憶を失くして心細かった私のことを、誰よりも近くで慰め、励ましてくださった。

どれほど、フレデリック様の存在を心強く感じたことか。


言葉に尽くせないけれど、心から感謝しています。

あなたのお側は離れますが、いつか、アストリア王国とディーク王国が、剣を交えるのではなく、手を携えられる日が来たら。

…そうしたら、フレデリック様が民を笑顔にするお手伝いを、きっと私にもさせてくださいね。



最後にアリシアの微笑みが目に浮かぶようだった。

…ああ、君は。あんなに昔の私の言葉を、まだ覚えていてくれたんだね。


父王に詰られた言葉よりも、アリシアの想いの方が、よほど切なく深くフレデリックの胸を抉った。


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