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侯爵令息の過去

エリオット視点です。

「エリオット」


俺の名が、聖騎士団の湾曲する廊下に響き渡る。

声の主はわかっている。嬉しさを隠しもせずに振り返れば、予想通りの人物がいた。


「兄上! どうしたのですか? 聖騎士団の区画に来られるとは珍しいですね」


俺が兄上の許に行くのと同様に、兄上もこちらに向かってくる。

兄上が歩く度に、癖のない髪がさらさらと揺れ動く。

母上の髪色を受け継いだ俺からすれば、尊敬する父上と同じ、琥珀色の髪を持つ兄上が羨ましい。

けれど、悪感情は一切ない。六歳程離れている所為か、兄上は昔から俺に優しかった。慕うことこそすれ、嫌いになどなりようもない。


兄上との距離が縮まり、足を止める。目が合うと兄上が微笑んだ。


「エディに用があってきたんだ。すぐに見つかってよかったよ」

「俺に、ですか? 近衛副長になったばかりで忙しいのですから、呼びつけてくださればよかったのに」


兄上はつい最近、近衛騎士団近衛副長の座に就いたばかりだ。

何かと忙しいだろうから俺を呼びつければいいだろうに、兄上に人を呼びつけるといった横暴さは一つもない。ともすれば自分から足を運ぶ人だ。しかもその労力を隠すのだから頭が上がらない。


「聖騎士団で働くエディの姿を見ておきたかったんだ。しっかりやっているようだね」

「ありがとうございます。それよりも兄上、一体どのような話ですか?」

「実は、今すぐ侯爵領に戻ることになってね。(しばら)くの間、王都を離れる。こっちのことは頼むよ、エディ」

「わかりました。それにしても急ですね。侯爵領で何かありましたか?」


近衛副長になったばかりの兄上が侯爵領に行くとは、どういうことだろうか? 問題が起こった話も、起こりそうな話も聞いていないが。

疑問に思って首を傾げると、兄上が笑った。


「違う、違う。そんな重大なことじゃないよ。ただ、あの地に少しだけ用があってね。たいした用ではないから一か月くらいで戻れるとは思うのだけれど……」


兄上が、扇ぐように手をぱたぱたと左右に振って否定する。とてもにこやかな表情だ。

その様子から、特に深刻な状況に陥って侯爵領に行くわけではないと窺えた。

ほっとして、旅の無事を祈る言葉だけを口にする。


「そうですか。兄上、道中お気を付けください」

「ありがとう、エディ」


兄上は始終笑みを絶やさずに、用件は終えたと近衛騎士団の区画に戻っていった。




それから三週間が経った頃。

いつものように王都の警邏(けいら)を終え、軍本部に戻ったところで、デュナー副団長に呼び止められた。


「エリオット、引継ぎはいい。すぐに侯爵邸に戻れ」


副団長の顔は非常に険しい。

何かよくないことが起こったのかもしれない。

一抹の不安を覚えながら副団長に挨拶をして、急いで邸に戻った。


「エリオット様!」


邸に戻るなり、執事のティルマンが駆け寄ってきた。

彼の慌ただしい姿は珍しい。それ程に事が重大なのだと伝わってくる。


「何があった?」

「イストゥールダンジョンで、魔物のスタンピードが起こりました。クラウス様が兵を引き連れて鎮圧に向かわれましたが、魔物との戦いの最中に負傷されまして、そのままお亡くなりになりました」

「…………は?」


ティルマンの言葉が信じられず、眉間に皺を寄せて彼を見る。

あの時兄上は『重大なことじゃない』と言って笑っていた。それなのに亡くなったなどと、誰が信じる?


けれど、ティルマンはそんな嘘を吐く人間ではない。

それによく見れば彼の顔は真っ青で、冗談を言っているようには思えなかった。


「嘘、だろ……?」

「エリオット。戻ったか」


声をかけられてゆるゆると上の方を見る。

玄関ホールは吹き抜けとなっており、父上が二階の廊下からこちらを見下ろしていた。


「只今戻りました。父上、あの……」

「執務室で話す。来なさい」


拒否などできるはずもない。言われるがまま父上の執務室に行く。

部屋に入ると、父上は執務机の脇にある応接用のソファに腰をかけていた。

父上の指示で俺もそこに座る。


「端的に言う。三日前に起こった魔物のスタンピードで、クラウスが亡くなった。これからはお前が侯爵家の跡取りとなる。そのつもりでいるように」

「……」


父上の口から告げられて、(ようや)く兄上の死が本当なのだとわかった。

途端に胸が苦しくなる。体が震えて、指の先に突き刺すような痛みが走る。


とはいえ、泣くつもりはない。騎士たる者、泣いてなるものか。

目が熱くて堪らないけれど、涙がこぼれないよう必死に(こら)える。

その中で、ふとある疑問が脳裏をかすめた。


……何故スタンピードが起こった?


前回、イストゥールダンジョンで魔物のスタンピードが起こったのは、五十年程前だ。あと五十年は余裕があるはず。


「父上、スタンピードはまだ先だったはずです。それにもかかわらず、スタンピードが起こったのは何故ですか?」

「原因は不明だ。ただ、スタンピードが起こったのは事実。現在、調査班がダンジョンを調べている。結果が出るのはもう少し先だ。その間に侯爵領に戻るぞ。お前たちの母も一緒だ。家族みんなでクラウスを弔ってやろう。…………部下を守り、立派な最期だったそうだ」


兄上は部下を守ったのか。だとしたら、兄上らしい最後だ。

でもそこに俺がいたら、状況は変わっていたのではないだろうか。自惚れではない。一つの可能性だ。


むろん、兄上についていくのが難しかったことはわかっている。

日々の職務があるから、急に予定を変えるわけにはいかない。予定を調整すれば必ず仲間に迷惑をかけてしまう。

それでも、無理矢理兄上についていけばよかった。そう思えてならない。


「エディ、思い悩むな。胸を張れ。お前の兄は一報とともに出撃し、民を危険に曝すことなく魔物のスタンピードを食い止めた。騎士の鑑だ」


父上は、民を危険に曝さずに済んでほっとしているようだった。表情も安堵を物語っている。

だが、釈然としない。俺には父上の考えが、どうしても受け入れられなかった。


確かに民が無事だったことは嬉しい。

けれど、兄上が亡くなっているのだ。何故ほっとできる?


俺の中に、少しだけ父上への反発心が生まれた。ただし、反発心が表に出てくることはなかったが。


「明朝、ここを出る。すぐに準備をしなさい」


胸中に湧き上がるさまざまな気持ちを押し殺して、父上の言葉に頷く。そのまま部屋をあとにした。




翌朝。俺たちは王都を発ち、東にある侯爵領の本邸に向かった。


侯爵領は王都から割と近い。王都が国の北東寄りにあるからだ。

とはいえ、王都と侯爵領は隣接しているわけではない。小さいながらも子爵領を挟んでいる。

だが子爵領は南北に延びているため、さして時間もかからずに本邸に着くことができた。


「……兄、上」


兄上は棺に入れられていた。棺の脇では母上が棺に縋りついて泣き崩れている。


俺は……泣けない。心がからっぽで、けれど時折胸がギュッと締め付けられる。

それなのに、やはり泣くことができない。ただ突っ立って茫然と兄上を見ているだけ。何も考えられなかった。


そうして、気付いたら夜になっていた。

といっても、ずっと突っ立っていたわけではない。あれこれと忙しなく動き回っていた。じゃないと、余計なことばかり考えてしまうから。


だが、動き回った所為で喉が渇いた。水を飲もうと、水差しが置かれてある場所を見る。

しかし、そこに水差しはなかった。そういえば日中、飲みたければ誰か呼ぶから、と言って断ったのだったか。


昼間の出来事を思い出しながら、呼び鈴に手を延ばす。が、途中でぴたりと手を止めた。

よくよく考えたら夜もだいぶ遅い。使用人を呼び出すのは少し申し訳なく思えた。


「自分で行くか」


小さい頃はこの邸で過ごしていた。こっそりと水を汲みに行ったことだってある。あとで「我々の仕事です」と使用人に咎められたのもいい思い出だ。

それはともかく、勝手は知っている。問題はないと考え、静かに自室をあとにした。


照明魔道具が掛けられている廊下を歩き、見えてきた階段を下りて一階に行く。すると、途中にあるリビングルームから明かりが漏れているのが見えた。

こんな時間に誰だろう。不思議に思い、そっと部屋に近づく。

そのまま部屋の扉をノックしようと構えた瞬間、扉の向こうから泣き声が聞こえてきた。


「どうしてこんなことに……」

「すまない、私の認識の甘さが原因だ」

「そんなことはありません! 旦那様の所為ではないのです。ですが……」


母上の声だ。一緒にいるのは父上だろう。二人ともまだ起きていたのか。


「そうだな。クラウスではなく、エリオットならよかったのに……」

「……ええ、そうですね」

「!!」


ドクン、と強く心臓が波打つ。心なしか呼吸が浅い。


この状態で部屋に入るなど無理だ。

構えていた手を下ろし、くるりと向きを変えて来た道を戻る。

目的を果たすことなく部屋に戻り、勢いよくベッドに腰を下ろす。そのまま後ろに倒れ込んだ。


『エリオットならよかったのに……』


父上の言葉が頭にこびりついて離れない。

無意識に片手で目を覆う。


兄上ではなく、俺なら死んでも構わなかったのか? 俺は、望まれていなかったのか?

ぐるぐるといろんな思いが頭の中を駆け巡る。

信じたくない気持ちと、少しだけ同意する気持ちと……。


ただ一つ言えるのは、やはり俺が行けばよかったということだ。

俺だったら何も背負うものがなかった。兄上を庇って死んだってよかった。両親だって悲しまなかったはず……いや、少しは悲しんでくれたか? 両親からの愛情はちゃんとあったはずだ。

でもそれ以上に、兄上の存在の方が大きかった。それだけだ。


「は、はは……」


乾いた笑いが出る。

兄上を失い、仲の良かった家族も失った、そんな気分だった。



それからというもの、俺は全てにおいてやる気を失った。

兄上についていけばよかったとか、俺が死ねばよかったとか常に考えてしまう。


兄上を失った喪失感も続いたままだ。

だからだろうか、何を食べても味がない。

けれど料理人に伝えられるはずもなく、むりやり料理をお腹に詰め込む。

生きたいのか、死にたいのか……。自分でもよくわからない。


考えるのを諦めて空を仰ぐが、何も感じない。風が爽やかだとか、降ってきた雨が不快だとか、一切の感情が湧いてこない。

そして気付けば、懸命に頑張っていた仕事も、おざなりになっていた。


そんな俺を見兼ねたのか、エリーアス副団長が俺を揉んできた。それはもう、ぼこぼこになるまでだ。

酷く痛かったが、おかげで少しだけ正気に戻れた。


そうして我に返って間もなく。今の状況を変えようと冒険者ギルドに行くことにした。

冒険者登録をし、グランデダンジョンに行って魔物を狩る。一匹でも多く倒せたらそれでいい。

兄上の命を奪った魔物の存在が憎くて、片っ端から倒していった。わずかに胸がすく思いがした。


けれど、現実に戻ると嫌でも兄上の死を突きつけられる。職場での態度は相変わらずだった。



騎士の仕事を務めながら、休みの日には必ず冒険者ギルドに行く。

そのような生活を続けていたある日。ギルドで一人の少年に出会った。

十代前半と思われる少年は痩身で、言動がやや幼い。服装も身なりがいいのか悪いのか、ちぐはぐだ。


しかし俺が気になったのは、言動でも格好でも、ましてや人目を引く美貌でもない。綺麗な琥珀色の髪だ。瞳は澄んだ紫色で違うものの、どうしても兄上を思い浮かべてしまう。

だからつい、一人でダンジョンに行こうとしている彼に声をかけてしまった。


でも、それでよかったのだと思う。なんせ彼は危なっかしいのだ。

俺が守らなければたちまち命を落としてしまいそうで、気が気でない。思う存分、世話を焼いた。


すると、途端に俺の周りが鮮やかになった。

少年に情けない姿を見せたくなくて、何事も真剣に向き合うようになったからだろう。


きっかけを与えてくれた少年――ルディにはただただ感謝しかなかった。

活動報告にちょっとしたお話を載せました。

興味がある方は下記の『作者マイページ』よりどうぞ。

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