予感
ネイフォートの侵攻によりパーティーはすぐにお開きとなった。
会場にいた者たちは何も伝えらず、困惑する中帰っていったと言う。
話をしてくれたのはお父様。
陛下より秘密裏にネイフォートの侵攻を伝えられ、談話室の側で私たちが出てくるのを待っていたらしい。
そして私たちが出てくるや、情報をすり合わせて会場の話をしてくれたというわけだ。
「お父様、私たちは……」
「邸に戻るしかないな。アルニム嬢も、今公爵がこちらに向かっているそうだ。それまでこちらで待機しているのがよいでしょう」
「はい、公爵閣下。迎えがまいりましたらわたくしも帰りたいと思います」
「うむ。それでは殿下、我々はこのへんで失礼いたします」
お父様がアデリンデから殿下の方へと顔を向け、挨拶をする。
殿下はそれに一つ頷いた。
「すまないね公爵。エリオット、お前も一旦戻れ。どうせ会議は団長以上の者しか参加できない。しっかり休んでくるといい」
「はっ! では、失礼いたします」
殿下と別れ、リディと一緒に三人で出口に向かう。
その間、たわいもない話を交わしながらあれこれと考える。
どうしてネイフォートは侵攻してきたのだろう。侵攻してくるなら北隣のガルイア帝国の方だろうに。
というのも、ネイフォートはグレンディア国の庇護下にある。
自然豊かな国であるのに加えて、領土が狭い。軍事面においては、言い方は悪いが弱小だ。
それをこの国に庇ってもらってようやく国として成り立っている。でなければ、疾うの昔に隣国に攻め入られて滅んでいるだろう。
だからこそわからない。この国に逆らってなんの利があるのか。
強い後ろ盾を得て鞍替えをした? それとも、この国に頼らずともやっていけるだけの力を手に入れたとか?
それならわからなくもないけれど、いずれにしたってこちらにちょっかいを出してきた時点で愚かとしか言いようがない。
何せ、この国にはほかの国にはほとんどいない魔術師が多くいるのだから。
「ルティナ、あまり深く考えるな」
「あ……」
リディの声で意識が現実に引き戻される。
いけない。私はもう殿下の婚約者ではないのだ。気にはなるけれど、一介の令嬢が考えるべき事案ではない。
それよりももっとほかのことに意識を向けるべきだ。戦争が起こって家族や領がどうなるかとか、リディのこととか。……そう、リディ。
ゆっくりと彼を仰ぎ見る。
「リディ、あなたも……」
そこまで言って口を噤む。
『あなたも戦場に駆りだされてしまうの?』と訊こうと思ったが、どうしても口に出せなかった。言葉にしてしまったら現実になりそうで怖かったから。
「……問題ない。さあ、馬車に。公爵と夫人が待っている」
「うん。ねえ、リディ。明日会えないかしら?」
「……難しいだろうな」
私の問いにリディが困ったように微笑むと、すっと手を差し出してきた。その手に己の手を乗せて、馬車に乗る。
「ごめんなさい。無理を言ってしまったわ。今日はエスコートありがとう。あなたと踊れて凄く楽しかった」
「俺もだ。気を付けて帰ってくれ」
「あなたもね」
ほかに言いたいことはあるけれど、これ以上彼を困らせるようなことは言わない。ぐっと堪えて彼の顔を見る。
「……それじゃ、また」
「ああ」
そこで馬車の扉が閉ざされ、公爵邸に戻った。
***
翌朝。まだ夜も明けきらぬ時間にお父様からの呼び出しがあった。
すぐさま必要最低限の身支度を済ませると、お父様がいる執務部屋へと向かう。
「お父様、お呼びでしょうか」
お父様の許可を得て執務部屋に入ると、よそ行きの服に身を包んだお父様が執務机に向かっていた。
声をかければお父様がゆっくりと顔をこちらに向ける。
その表情を見て、なんの話なのか予想がついた。いや、元から薄々気付いていた。
だが、あえて触れずにお父様の言葉を待つ。
「こんな時間に起こしてすまない」
「いいえ。眠れずにおりましたから」
「眠れないのはわかるし私が言えたことでもないが、あまり無理をしてはいけないよ。休める時は休みなさい」
「はい」
やや口角を上げ、力なく微笑みながら頷く。
何をするにも睡眠は大事だ。特に、正しい判断をする時には。
それをきちんと理解しているのにもかかわらずどうしても眠れなかった。先のことがある程度読めるから。……お父様の次の言葉が怖い。
「先程、王城にやっていた使いの者が戻ってきた。今も会議は続いているが、とりあえず聖騎第一の遠征が決まったよ。その後遅れてほかの師団も向かうそうだ」
「そう、ですか」
お父様の話に、言葉を詰まらせながら返事をする。
わかっていた。彼の所属する第一師団が適任だということくらい。だけど……。
「ティナ。出発までにはまだ時間がある。見送る家族用に城門を開けているそうだから行っておいで」
「お父様?」
意外な言葉に頭が追いつかず、数度目を瞬かせる。
そんな私が面白かったのか、お父様が「ふっ」と噴き出した。だがすぐに真顔に戻る。
「何をそんなに驚いているんだい? 彼に会いたいのだろう? すぐに行きなさい。心残りがあっては今後の妨げとなる」
「……! はい、行ってまいります」
さっと頭を下げると、くるりと向きを変えて執務部屋を飛び出す。
自室にイルマを呼び出し、体裁を繕うため屋外用のドレスを纏って邸を出た。
*
馬車を走らせ王城に向かう。
目の前に王城が見えるのになかなか着かずにもどかしい。
逸る気持ちを抑え、目を瞑って時を待つ。
……リディ、まだ行かないで!
祈りながら馬車に揺られ、やがて王城の入り口で馬車が停まった。
連れてきた護衛の手を借りて降りるや否や、軍本部がある塔に向かって走り出す。
とはいえ、今の私はルディではない。令嬢の姿だ。
ほかの令嬢よりも早く、さりとて見苦しくないよう早足程度に努める。
そうして軍本部前に行けば、第一師団の面々はまだ出征の準備に追われているようで、皆せわしげに動いていた。
出発していないことに心底ほっとし、乱れていた息を軽く整えて辺りを見回す。
直後、出征準備中の騎士の中に見知った人物を見つけて思わず声をかけた。
「アマリー!」
「なっ!? ティナ様、どうしてこちらに!?」
私の声で振り返ったアマーリエが、慌ててこちらにやってくる。
「忙しい時にごめんなさい。どうしてもここに来たかったの」
「ああ、副団長ですね。今すぐ呼んできます」
「いいの。自分で捜すから。それよりアマリー。どうか気を付けて」
「ありがとうございます。やられるつもりはないですけど気を付けますね」
アマーリエは満面の笑みを浮かべると、軽い挨拶とともに準備作業に戻っていった。
いつもならば誰かが呼びに来ても居座るだろうに、早々に戻っていったところを見ると相当忙しいのだろう。引き留めて申し訳なかったな、と自省した。
再び一人になり、目的の人物を捜す。
私に気付いた騎士たちは驚いた表情をしながらも、あれやこれやと動いている。
おそらく、貴族令嬢がいて驚いているのだろう。私がルディだと気付いている様子は誰からも見られないから、私の予想は間違っていないはずだ。
そんなことを考えながら更に足を動かす。
するとだいぶ歩いた先で目的の人物を捉えた。
すぐさま近づこうと足を向ける。けれど。
「副団長、ちょっといいですか?」
「どうした?」
「ここなんですけど……」
一人の騎士が私よりも先に目的の人物――リディの許に行き、打ち合わせを始めてしまった。
それを見てぴたりと足を止める。
本当は今すぐにでも彼の側に行きたい。だが、先程のアマーリエのことを考えると迂闊に話しかけるのも憚られる。
それゆえ、彼らの話が終わるのを待つことにした。
「……わかりました。それじゃ、こちらに署名をお願いします」
「部隊長たちの署名は入っているのか。わかった。ちょっと待ってくれ」
そう言って、リディが胸元から一本のペンを取り出す。
夜空色をしたキャップ付きの……万年筆かしら? あれは確か……。
「リディ」
リディと話をしていた騎士がいなくなってすぐ、彼に声をかける。
出征の準備をしていた騎士たちが私の声に反応して一斉にこちらを向いたが、気にせず彼の許に歩み寄る。
一方リディもほかの騎士同様こちらに顔を向け、目を見開いた。
「ルティナ! どうした、こんな時間に……」
リディが足早にこちらにやってきて、彼との間が一気に縮まる。
「ごめんなさい、忙しい時に。お父様から『城門が開かれている』と聞いて、あなたを見送りに来たの。それよりそれ……」
「ああ、これだろ? あの時の万年筆だ。『月の女神』を彷彿とさせる色合いだから、お前が側にいてくれる気がして……あ、いや今のは……」
リディが急に口ごもる。『うっかり口が滑った』とでも言わんばかりの表情だ。
その言動に一つの感情が湧き上がり、そっと口元に片手を添える。
「嬉しい」
「え?」
「でも、ごめんなさい。本当ならあなたの無事を祈って、刺繍を施したハンカチを渡すべきなのだろうけれど……昨日の今日で準備できなかったの」
あまりの眠れなさから刺繍を始めたが、やはり数時間で完成させることはできなかった。
悔しさとふがいなさにしょんぼりとしていると、彼の右手が私の頬を覆った。
「ルティナ。お前のその気持ちだけで十分だ。ありがとう」
リディが優しい笑みを浮かべたあと私の頬から手を離し、持っていた万年筆を胸ポケットに挿す。それから再び口を開いた。
「出発まではまだ時間がある。どこかで休んだ方が……」
「マルティナ嬢?」
話の途中で不意に横から声をかけられ、声のした方を見る。
今までリディを見ていた所為か視線の先の男性を見て、やけに体格がいいな、とどうでもいいことを思ってしまった。
「まあ、団長。おはようございます。団長が出陣なさるのですね。わたくしてっきり将軍が出陣されるのかと思っておりました」
「いろいろありましてね。察していただけるとありがたいです」
「いやという程わかります。ご苦労をなさったのですね。いつものことながらお疲れさまでございます」
どうせ上層部の駄々に付き合わされたのだろう。
こんな時だというのに相も変わらず危機感が足りない人たちだ。多少腹立たしさを覚えながらも表には出さずに押し殺す。
「はは、まあそんな感じです」
私の推測に団長が肯定とも否定ともとれる曖昧な返事をしてきた。
その様子から、ほかにも理由があるのだと窺い知る。
けれど、私はもう聖騎士団を辞めた人間だ。これ以上の詮索はできない。
「それよりマルティナ嬢。現在大会議室近くの部屋を開放して情報を公開しています。そちらで情報を収集なさった方がよろしいのではないですか? 我々の出征後、残った騎士に案内させますよ」
「ありがとうございます。是非お願いします。団長、お気を付けて」
団長の申し出をありがたく受け取りつつ、彼の無事を祈る。そしてすぐにリディと目を合わせた。
「リディ。どうかあなたも。遠く離れたこの地であなたの武運を祈っているわ」
「ありがとう。……ルティナ、無事帰還を果たしたら俺に『祝福』をくれないか?」
「!?」
思いもよらぬ言葉に驚いて、わずかに目を見開く。同時に顔も熱くなった。
「あ、の……」
動揺しすぎて言葉にならない。両頬に手を添えて、顔の火照りを抑えるので精一杯だ。
無理もない。だってリディに『祝福』を求められたのだから。
『祝福』――正確には『女神の祝福』と言い、帰還した騎士が愛しい人から口づけを贈ってもらうことを指して言う。
元はこの国を築いた大地の女神ヴェルテディアと、配偶者である聖騎士の話だ。
伝承によれば、女神が聖騎士の子を身ごもって身動きがとれない時に、遠く離れたダンジョンで魔物のスタンピードが発生。夫である聖騎士が現地に赴いて、無事スタンピードを鎮圧した。その後、凱旋した際に女神が彼を英雄として称え、口づけを贈ったことからそう呼ばれるようになったとされている。
今はやや形を変えているものの、その風習はしっかりと残っている。
それをリディに求められた。これを恥ずかしがらずに何を恥ずかしがるというのか。
「あ、ダメだ。ルティナ、悪い」
言うが早いか、慌てふためく私の手をリディが引っ張る。
そのまま彼の腕に捕らえられ、私の顔は彼の胸にうずまっ……いや、正面から勢いよく彼の胸板にぶつかった。
「ぶふっ!」
いくら男性の胸板といっても弾力はそれなりにある。鼻血が出ることはないだろうが、痛いことに変わりはない。
「酷いわ、リディ」
彼から離れ、極力猫を被って上品に抗議する。
ここは王城だ。どこで誰が見ているかわからないため、素を出すのは控えた方がいい。先程の変な声もなかったことにする。
「すまない。だが、その顔は俺と二人だけの時にしてほしい」
「はい? ……何を言っているの?」
謎の願いに危うく素が顔を出しかけたが、すんでのところで堪える。
周囲に誰もいなかったら本気で『頭は大丈夫か』と言っていたに違いない。
「何ってそのままだが……そんなことより、どうなんだルティナ。『祝福』をくれるのか?」
「~~っ! 知りません!」
ぷいっとリディから顔を背け、団長の方を向く。
視線の先では団長が何故か片手で口を覆い、体を震わせていた。
「お前たち、姿や立場が変わっても何も変わらないな。以前のままだ」
「団長、これ以上話をややこしくしないでくれ。不機嫌な彼女に見送られるのは精神的に堪える」
「わかった、わかった。これ以上口を出さんし、もう行く。準備もそろそろ終わるからな」
二人のやりとりに現実を突きつけられ、一気に我に返る。
準備が終わる、それは出発が目前ということ。言い換えれば、リディが戦地に行ってしまうということだ。
へそを曲げている暇はない。背けた顔を戻してリディを見る。
その視線に気付いたのか、リディが「どうした?」と尋ねてきた。
「あなたが負けるなんて微塵も思っていないわ。あなたは私より強いもの。だから、怪我をしたら絶対に許さないわよ?」
そこまで言うと意識してにこりと笑う。
もう少し優しく言えないものかと内心頭を抱えるが、言ってしまったものは仕方がない。潔く腹をくくる。
そんな私に向かって、リディの手がゆっくりと伸びてきた。
「ああ、もちろんだ。ルティナ、行ってくる」
そっと触れるだけの抱擁。だが、それだけでも十分彼の温もりが伝わってくる。
ゆっくりと目を閉じてその温もりを味わうと、なかなか言えずにいた言葉を紡ぐ。
「……いってらっしゃい、リディ」
ようやく素直に見送りの言葉を言えたことに満足してリディを仰ぎ見る。
彼は小さく頷くと、団長とともに騎士たちの許に行き、それから程なく出征した。




