056力を持つこと
(56)力を持つこと
「こんな病院があったなんてな」
俺は驚いていた。見かけは単なる洋風の一軒家なのに、中に入ると手術台にベッド、薬品の棚、輸血袋まで用意されている。院長は白髪頭でサングラスをかけたじいさんで、「金さえもらえるなら誰でも診てやるよ」とふんぞり返っていた。
唯は相応の金を払ったのだろう。電卓を打って青白い顔を見せた。
「半年分がパアね」
ともあれ、まともな病院なら事情聴取されるであろう傷も、ここなら問題なく治療してもらえるとのことだ。
処置を受けた新郷哲也は、ベッドに寝かされ輸血を受けていた。それを椅子に座って眺めながら、俺は山城と話す。
驚いたことに、山城光輝がくだんの内通者だったという。
「あんたが新郷に情報をこっそり流していたのか。……いったい、何で?」
「勝間龍覇の一強支配に嫌気が差していたからだよ」
豊かな黒髪で額を隠し、そこからのぞく双眸は紳士的だ。顔はほっそりした造形で嫌味がない。その彼がしみじみ述べる。
「『放射火炎』と『爆裂疾風』の前の支配者は、頑張って曲玉を探していたんだけどね。いつまで経っても何の成果も上げられなかった。そこで龍覇は蛇川をふたりに差し向けて、ちゅうちょなく殺させたんだ。そうして奪った八尾刀を、二階堂くん経由で教団本部へ運ばせようとした。きみが『爆裂疾風』を奪ったけどね。ともかく僕は『放射火炎』の新しい持ち主となり、無理やり支配者化させられたんだ」
山城の頬に自虐の陰が滑り落ちる。
「支配者化させられた人間は、常に八尾刀とともにあり、役に立たなければ殺される。死ぬ以外に八尾刀の支配者をやめることはできないからね。彼はナンバー3の僕に発破をかけたんだ。曲玉を探せ、もし見つけられなければ蛇川を遣わして殺すぞ……ってね。僕は恐怖した。そして、この組織が潰れてくれることを願ったんだ。……まあそれより前から、この教団から逃げ出したかったってのはあるけどね」
驚いたことはまだあった。俺は車中、自分の股間に違和感を感じて、ズボンの中を見てみた。そこにはなんと、男性器がしっかりと生えていたのだ。
曲玉の力であることは自明だった。
曲玉は、刀匠源清麿に神の力が宿る八尾刀を作らせた。だがおそれをなした清麿は、曲玉を道永の滝に隠し、八尾刀を弟子に託して江戸に戻った。それでも八尾刀の力が忘れられず、自分自身の力のみであのような神の刀を作ろうとした。しかし曲玉がない清麿には、もはや八尾刀を作る力はなかった。彼はいら立ちを紛らわすために酒におぼれ、結果自害という道を選んだ。
山城は断言する。
「きみが曲玉を吐き出せば、また元通りの女の体に戻るに違いないよ。そのままでいるといい」
そう、曲玉は望むものに望むものを与えるのだ。清麿に作刀の力を、俺に男の体を。龍覇が飲み込んでいれば、きっと何か、彼が望む力を。
「いらないさ」
俺は喉に指を突っ込み、曲玉を吐き出した。たちまち女の体に戻る。山城が驚愕して固まった。俺の傷は治ったままで、それはよかった。
手の平に載った、胃液まみれの小さな装飾品。勝間龍覇ら多くの人間が探し求めた『真実の瞳』……
「『爆裂疾風』を手にしてからいろいろあったけど……。度を越えた力を欲したりすることは、結局自分自身の首を絞めるだけなんだ。春からの一連の騒動で、そのことがよく分かったよ。男の体は最高だけど、これはやっぱり、将来自力で手に入れるさ」
「本当に後悔しないのかい?」
「ああ」
俺はまた女体に戻った自分に、少しの寂しさを覚える。『壮絶な不幸』『身を引き裂かれるような苦悶』とは、曲玉の力を手放した後に訪れる、後悔や寂寥や渇望のことを指すのだろう……
「曲玉は俺が責任持ってどこかに埋める。あと愛着湧いてきた『爆裂疾風』は、護身用をかねて俺が持ち続けるよ。力はいらないっていったけど、俺は死ぬまでこの八尾刀の支配者だからな。それ以外の小短刀の扱いは山城が新郷と相談して決めてくれ」
「うん、分かった。そうするよ。新郷武さんの墓前に報告へ行くとき、一緒に話し合うかな」




