第9章:逢魔街の大厄災日ー004ー
真っ先に気がついた。
マテオは、まず気配で察する。誰かがいる、と。
しゃがんで背を向けている体勢は、解釈を変えれば隙だらけでもある。
立とうと上げた顔の前を、過ぎっていくきらめきがあった。
一つ二つ、金色の粒子がマテオの灰色をした瞳に映る。
現れた粒子を追えば、奈薙へ辿り着いた。
煌めきは巨岩のごとき体軀へ降りそそがれている。
「流花殿。悠羽殿を抱えていただけますかな」
聞こえてきた男性の指示に、誰と問うこともなく流花は従う。
起きた異変に心を奪われているのか。悠羽も普段ならむずかる流花の腕へおとなしく収まった。
「どうやら間に合ったようですな」
墨色の裳付姿である道輝が突き出した手のひらから金色の粒子を発しながら近寄ってくる。
一人ではなかった。
横に白衣を着た妖艶な美女がおり、金色に染まっていく奈薙の傍で腰を落とす。
「たいしたものねー。これ、奈薙でなければ即死もんよ」
「良かった。私も来た甲斐があったというものです」
「でもチャンスなのよねー。ここは死んだということにして、どうなっているかバラバラにしてみたいわー」
ふっふっふっと邪悪な笑みを伴う白衣の美女に、道輝は思いっきり渋面を作った。
「瑚華殿が言うと、冗談に聞こえませぬ」
「冗談で言ってないわよ」
マテオにすれば、瑚華と道輝のやり取りなどどうでもいい。
「センセイ、奈薙は助かるのか」
「あったり前じゃない。このスーパードクターにかかればって言いたいけれど、今回はこの坊さんのおかげになるわね」
マテオだけでなく流花に楓、そして悠羽までつぶらな瞳を向けてくれば、道輝は少し照れた。
「この道輝も瑚華殿のおかげで、己れの能力がヒトを仮死状態にして延命に役立てることを知ったくらいです。それまではもう……」
身に着ける裳付より暗い色の声で告げる。
「……単なる殺戮のチカラでした」
ほらほらほらっ、と瑚華が威勢よく急かしてくる。
「話しは後にして。これからまだ行かなくちゃいけないところがあるんだから」
「えっ、センセイ。どこ行くんですか?」
金箔の仏像よろしくとなって転がる奈薙を挟んで訊くマテオだ。
なぜか瑚華はニヤリとした。
「もちろん陽乃ちゃんのとこ。なんとかして止めなきゃ、病院には動けない患者も多いの。なんだか『神々の黄昏の会』の連中は役に立たないみたいだし」
後半はちくりといった調子で、道輝を見る。
視線を向けられた当事者は苦笑しながらである。
「あの莉音に緋人と冷鵞だけでなく、新冶殿まで頑張っているようですが、未曾有の相手に全く敵わないようですな」
巨獣となった鬼の上方に浮かび上がった光の矢が間断なく放たれている。
赤黒い肌へ、一本とて突き刺さることはない。瑚華が言う通り、役に立っていない。
「攻撃といった力技では難しいでしょうな」
やけに落ち着いている道輝のしみじみとした口調である。
なぜか瑚華がずいと半歩前へ出ては胸を張る。
「そこでスーパードクターと坊さんと、異国からやって来た白銀の髪をした少年の出番ってわけよ」
「あのー、すみません。いつの間にか、僕も入ってません?」
ハイとばかり右手を上げて尋ねるマテオだ。
「だからわかりやすいように言ってあげているじゃない、このスーパードクターがっ」
やたらスーパードクターを強調するじゃありませんか、と言った台詞は喉で留めたマテオは道輝を含めて見つめ直す。
肝心な点の確認が何よりだ。
「あのでっかい鬼が、陽乃さんと解っていての作戦ですよね」
「当然でしょ。スーパードクターが人を傷つけて、どうすんのよ」
マテオは目の端で流花の表情を窺う。
浮かべる安堵に、瑚華がなぜスーパードクターを連呼するか、推察できた気がする。
生命を救う医師が立てる方法である。戦闘を前提とする者たちと発想を異とするだろう。陽乃は患者であり、患者の家族である流花には安心を届ける。
そして何より理性も何もない凶暴な巨大生物へ変身しても、あくまで人間とするところが嬉しい。
「わかりました、センセイっ!」
感激を隠しきれない返事をしてからマテオは、ふと気づく。
「でも、センセイ。以前、僕に投与した薬はヤバい副作用を起こす例もあるって仰っていませんでしたか」
「ああ、それはあれよ。時には多くを救うために、最悪の結果も必要とするところが医学の難しさなの」
げっ、となったマテオだ。
重症くらいはありそうと聞いていたがここにきて、まさかの『最悪もある』発言である。よく人を傷つけないなどと口にする。
マテオをスルーする瑚華は、流花たちへ向かう。
これから迎えの者たちを寄越す。金色に塗られた金剛力士像みたいになった奈薙と悠羽を流花と楓に任せる旨を伝えた。
「まぁ、あれね。うちの病院へ運ぶ予定だけど、状況次第では別の場所へ向かうよう迎えの者には言い含めてあるから安心して」
流花が大抵の男性のみならず女性ですら卒倒しそうな、憂いゆえに美しい顔を作る。
「状況次第って、甘露センセイが帰ってこられない可能性があるってことですか?」
「やーねー、流花ちゃん。万が一よ、万が一。綺麗な子、だーい好きなスーパードクターが抜かりないことを知らせておきたかったの」
冗談めかして答えた瑚華が自分でステアリングを握る車へ、マテオと道輝の二人を乗せれば早速である。
「万が一どころではない話しになるけど、本当にいいの?」
流花の時とは打って変わった口調で覚悟を問うてきた。




