第7章:破滅の女神ー005ー
流花が姉弟と離れて異国で暮らす。
東の鬼に無理やり連れ戻されようとしている現実を鑑みれば、取るべき選択の一つかもしれない。
けれどもマテオは流花本人から夕夜へ想いを寄せていると聞いていた。
だから夕夜の態度は面白くない。
いちおう仲間とされる奈薙が教える人物評から諦めるしかないのだろう。
だけど無責任な考えであることを百も承知してである。
姉妹が離れて暮らすことを、こうもあっさり決まっていいものか。
流花を連れていく提案をした側とはいえ、マテオは釈然としなかった。
悠羽がリビングいっぱいに響く泣き声を挙げている。
よしよし、と腕のなかであやす陽乃へ、ソフィーが表情を明るくした。
「ずいぶん大きな赤ちゃんなのね。プリースクールに通っていたとしてもおかしくないくらいに見えるほどよ」
ええと、と陽乃が返答に窮している。
訊いてはいけないことだったと気が付いたソフィーは慌てた。
「ごめんなさいね、言いづらいことを聞いちゃったみたい」
「いえ、そんな。こちらこそ、すみません……ええと、この娘は私たちの妹なんです」
「そうか、一度リモートで話したわね。すっかり見違えちゃって。祁邑の嫡流は三姉妹だったわね。しっかり記憶しておけば、もっと早く気づけたのに。本当にごめんなさい」
頭を下げるソフィーに、陽乃が慌てる番だった。
「お気になさらないでください。複雑になった理由は私たち自身にあるわけですから」
「でも能力を持つ者が事情は抱えずにいられない。口にしたくない事柄があることを配慮できないなんて、同じ能力者として恥ずかしいわ」
異能力世界協会のトップにある者の配偶者であるソフィーの弁だった。
すみません、と陽乃が頭を下げる。
この人は謝ってばかりだな、とマテオは胸の内で呟く。
夕夜はフォローをするつもりだったのだろう。
「でも、こうして全員が無事でいられるだけで素晴らしい。これもかれもマテオのおかげだ。彼には感謝しかないですよ」
「ば、ばか。やめろ」
慌てふためく番がマテオに回ってきた。
悠羽の暴走を、瞬速の能力をもって命懸けで止めた。もしかして自身も砂になってしまう危険を覚悟のうえで挑んだ。
成功はしたが、なんとかだ。運に任せた部分も多分な行動だった。
身内を心配させるのは必至であったから、伏せておいた。知られたら家へ連れ戻されるという気持ちがなきにしにもあらずではあるが。
あっさり夕夜にバラされてしまった。
たちが悪いことに、マテオの焦る様子を照れと解釈し、誉め殺しはなお続く。
「うれさんの暴走は世界を滅ぼしそうな能力でしたからね。本人を抹殺なんて話しも出たくらいなんですが、マテオの瞬速が止めてくれました。今は少々問題ありでも、命さえあればです。本当にマテオ、ありがとう」
隠し事を流れるように夕夜によって打ち明けられてしまう。
マテオとしては、このヤロー! だ。
恐る恐るソフィーを窺えばである。
案の定だ。
伏せた顔から表情は見えないものの、まずいと思わせるだけのオーラを放っている。
「あ、あのぉ〜、母上。これは実にそのぉ〜……」
黙っていられないマテオが、その声に上げたソフィーの顔を見たらだ。
何か自分は思い違いをしているのに気づいた。
怒るでも哀しむでもない、だからといって表情に感情がないわけでもない。
マテオには計りきれない母の顔がある。
ごめんなさい、とする声もあった。
マテオは汗が出そうなほど狼狽えてしまう。
「どうしたんです、母上。いったい何を……」
「アイラやマテオに黙っていたことがあるの」
いつになく深刻なソフィーに、マテオの目は泳いでしまう。
ふと視線の先に捉えたアイラは落ち着き払っていた。
「お母さまのことは、なんとなくですが想像していました」
驚きで少し目を見開いたソフィーだったが「そうだったの」と返す際には微笑を浮かべていた。
アイラも微笑みで応える。
家族の中で独り残された形となったマテオは訊かずにいられない。
「何がどうなっているのか、僕にも教えてください」
ソフィーはマテオではなく流花へ顔を向けた。
「ごめんなさい、流花ちゃん。本当に」
謝罪に答えたのは、された本人ではなくマテオだった。
「母上、いったい何がどうしたんです。なんで謝るんですか」
「外を見てごらんなさい」
直接の返事になっていないが、マテオは言われた通り窓へ寄ってカーテンを開けた。
「なんだ、あいつら」
マテオの声に、奈薙にアイラだけでなく夕夜も来る。
冴闇ビルの周囲を取り囲む黒服の人だかりが見えた。
連中がまともでないことは、全員がそれぞれ武器を手にしている点から分かる。
俺がいこう、と玄関へ向かいかける奈薙を、「待って」とソフィーが止めた。
「あれは一般人です。この国の政府に派遣された者たちです。私たちが抵抗を示さなければ危害は加えてこないでしょう」
つまり少しでも逆らう意志を見せたら、躊躇なく攻撃してくるわけか。能力者と一般人とされる者の間における争いの法解釈は、問答無用で前者が罪となる。ここで奈薙は黒服連中をぶっ飛ばしたら、通常と比べものにならない重き罪状を背負わされることになる。
法が無効化する『逢魔ヶ刻』の時間まで、まだまだ間はあった。
「ハメられたわ」
ソフィーが天を仰ぐように言う。
マテオには訳が解らない。
ただ決まりかけていた予定はキャンセルになるだろうと感じていた。




